[#表紙(表紙.jpg)] 平岩弓枝 御宿かわせみ18 秘  曲 目 次  念仏踊りの殺人  松風の唄  おたぬきさん  江戸の馬市  冬の鴉  目籠ことはじめ  秘曲  菜の花月夜 [#改ページ]   念仏踊《ねんぶつおど》りの殺人《さつじん》      一  大川端《おおかわばた》の小さな旅宿「かわせみ」で働いている女中のおたまが五日ばかり休みを頂きたいと、|るい《ヽヽ》に申し出たのは、父親の新盆に故郷から帰って来いと便りが来たからである。  もともと、るいは七月になったら、おたまに休みを与えるつもりであった。  この春、おたまの故郷から知らせがあって父親が卒中で急死した際、るいがすぐにも帰るようにいったのに、 「お父つぁんが生きている中《うち》なら、お暇をもらってかけつけますが、もう歿《なくな》って三日も経っているんです。手紙にも野辺《のべ》送りは済んだとありますし、おっ母さんと妹がなにもかもいいようにしてくれたと思いますので……」  今更、行っても仕方がないと強くいい張って、結局、戻らなかった。  おたまがそういった理由の一つは、ちょうど奉公人の出がわりの時期で、「かわせみ」でも若い女中が二人、嫁入りのために暇を取って去り、その代りが思うようにみつからなくて、るいと女中頭のお吉《きち》が困り切っているのを承知していたせいである。 「普段は素直な子ですけれど、これと決めていい出したらきかないところがあるんです。当人がいっていましたが、おっ母さんというのが生《な》さぬ仲で、妹ってのはその母親の子なんだそうで、江戸へ奉公に来たのも、家に居づらい事情があったようで、無理に帰してやっても、かえってつらい思いでもするんだと可哀相ですよ」  とお吉がいい、むしろ、新盆に墓まいりに行かせてやってはと勧めたことでもある。  おたまの故郷は木更津から少し入った清川村というところだという。  木更津までは舟の便があるが、往復でおよそ二日余りが消えてしまう。 「五日といわず、折角だから、盆祭の間、ゆっくりしてお出《い》でなさい。いろいろと顔出ししなければならないところもあるだろうし」  るいはおたまに、父親への香典包を渡し、その他にも土産物などを充分すぎるほど持たせ、若い衆に木更津通いの舟の出る河岸《かし》まで送らせた。  そして十日。 「ぼつぼつ、おたまちゃん、帰って来そうなものですね」  お吉がまず口に出した。  すでに盆が終って三日が過ぎている。 「法事もあることだし、三年ぶりに帰ったのだもの。なにかと用事もあるでしょう」  父親が歿って、継母と腹違いの妹だけになっているおたまの実家である。 「親類が、さきざきの相談なんかをなすってるんじゃありませんかね。おたまちゃんも十八だ。嫁に出すにせよ、聟《むこ》を取るにせよ、決して早いことはねえんですから……」  番頭の嘉助《かすけ》は、そっちに気を廻している。  そして二日、漸《ようや》く、木更津から使《つかい》が来た。 「おたまさんが殺されたんです。盆祭の日で……もっと早くにお知らせしなけりゃならねえところでしたが、なにしろ、えらいさわぎでして……」  ちょうど東吾《とうご》も家にいて、 「誰に殺されたんだ」  驚きの余り、声も出ないでいるるいに代って訊《き》いた。 「そいつが、わかりませんので……」 「下手人は挙っていないのか」 「へえ、お役人が調べていますが、一向に埒《らち》があきません」  村では、妹のお梅と間違えて殺されたんじゃないかという噂だがと、使の男は当惑気味に話した。 「あたし、木更津まで行って来ます。あんないい子が殺されるなんて、冗談じゃない。いったい、誰がなんのために殺したのか、はっきりさせてやらないと、おたまちゃんだってうかばれやしません」  るいがいきり立ち、 「まあ、俺達が出かけて行っても、下手人が挙るかどうかわからないが、せめて、るいの気のすむように、線香の一本も上げてやって来よう」  女房に甘い東吾が、その気になった。  使の男を案内に、早速、その夜の木更津通いの舟に乗る。  海路は穏やかであった。  もっとも、江戸から木更津までは、海の両側に房総半島と三浦半島がせり出していて、まるで大きな池の中を行くようなものだから嵐でも来ない限り、そう大きな波は来ない。  案内役の若い男は、清川村の名主の小作人で吾市といい、東吾に訊《き》かれるままに少しずつ、事件の当日の話をはじめた。  清川村には古くから盆祭の日に念仏踊りを催す習慣があった。 「在所の若い娘が白い頭巾の上から花笠をつけまして簓《ささら》を打ち鳴らして踊りますんで、村中、総出で鎮守の社《やしろ》へ集って見物しますだ」  その踊り子の一人に、おたまの妹のお梅がえらばれていた。 「おたまは、踊り子ではなかったのか」  と東吾が口をはさみ、吾市が首を振った。 「踊り子は在所の娘だけで、他国へ奉公に行った者は盆休みに帰って来ても加わらねえです……」  一つには、踊りの稽古が間に合わないかららしい。  にもかかわらず、死体で発見されたおたまは、念仏踊りの衣裳をつけていた。 「お梅さんの話だと、鎮守の社へ行く途中、どうにも腹が痛みだして動けねえ。それでもって、おたまさんに代ってもらうことにして、おたがいの衣裳を取り替え、自分は林の中で暫《しばら》く休んでから家へ帰ったといいますだ。おたまさんは江戸へ奉公に出る前に念仏踊りの踊り子をつとめたことがあるので、まあ、なんとか踊れるといったそうだが……」 「おたまは鎮守へ行ったのか」 「いや、その途中の閻魔堂《えんまどう》の裏で殺されたでねえ……」  死体がみつかったのは、翌朝になってだといった。 「殺されたというが、それは刃物か、それとも……」 「刃物で……体中、血まみれで倒れていたですから……」  るいがまっ青になっているのは、舟の僅かな揺れのせいではないと気がついて、東吾は訊くのを中止した。  海の上には少し欠けはじめた月が出ていて風が涼しい。  東吾は荷物の中から合羽《かつぱ》を出してるいの肩にかけてやった。  木更津で朝飯をすませ、るいのために駕籠《かご》をやとって清川村へ着いた。  吾市がまず、おたまの実家へ東吾夫婦をつれて行く。  農家だが、暮しむきは悪くなさそうであった。  吾市の話では、死んだおたまの父の与兵衛が働き者で親の代からの田畑を少々増やし、かなりの収入《みいり》があるという。  庭には鶏が数羽、餌をついばんでいて、若い女がぼんやり、それを眺めていた。  るいがみたところ、江戸へ出て来たばかりの頃のおたまに少し似ている。 「お梅さん」  と吾市が呼んだ。 「江戸から、おたまさんの奉公していた先の御主人がみえられただが……」  お梅はふりむいて、こっちをみたが、そのまま、ばたばたと家の中へ走り込んだ。  奥から出て来たのは、初老の僧と中年の女であった。  東吾が近づいて、江戸の「かわせみ」の主人夫婦である旨を名乗り、おたまの不慮の死の知らせをもらい、とりあえず香華《こうげ》をたむけるために来たことを告げた。 「それは、御遠方からわざわざ……」  僧が数珠《じゆず》をつまぐり、吾市にすすぎの水を汲んでくるように命じた。 「手前は、この村の玉泉寺の住職で鎮守の別当をつとめて居ります瓊雲《けいうん》と申します」  中年の女は、お梅の母のお辰だと紹介した。 「まず、お上り下さい」  住職に勧められて、東吾とるいは家へ上り、仏間へ入った。  それほど立派なものではないが、がっしりした仏壇にまだ新しい位牌《いはい》が二つ、並んでいる。線香を供え、合掌してから東吾はお辰のほうをむいた。 「その後、下手人は判明したのか」  お辰がうつむいて、袖口を目に当て、住職が代りに答えた。 「まだ、お縄には出来ませぬようで……」  お梅が急に泣きじゃくった。 「あたいが悪いんだ。あたいの代りに姉ちゃんは……」  母親が娘の背を撫でながらいった。 「ここの家は何かに祟《たた》られているんですよ。うちのが死んで、間《ま》なしにおたまがこんなことになるなんて……」  住職が母娘をなだめ、東吾とるいは夏の風が吹き通る縁側へ出て、吾市が運んで来た冷たい麦湯を飲んだ。      二  玉泉寺へ帰るという住職に東吾とるいがついて行ったのは、寺の墓地におたまの墓があると聞いたからで、かんかん照りの田舎道は歩く度に白く土ぼこりが上る。 「念仏踊りと申すのは、何刻《なんどき》頃から始まったのですか」  東吾の問いに、住職は笠の下の汗を拭きながら答えた。 「あれは夕刻からで、左様、暮六ツ(午後六時)に太鼓を打って始めるのです」  もともとは疫病退散の呪《まじな》いの踊りだったが、いつ頃からか盆の行事になってしまった。  踊り子が若い娘なので人気がある。 「村中が総出で境内に集って夜半まで騒ぐので、年に一度のたのしみになって居ります」 「すると、この道なぞは鎮守へ出かける村人が大勢、通行していたでしょうな」  村道の両側は田畑、それに林が点在している。 「いや、この道を来る者はさほど多くはありません」  清川村は鎮守の社の南と西側に多く人家が集っていて、北側に当るこの辺りには三軒ほどしか家がない。  その一軒がおたまの実家で、もう一軒は病人がいて祭どころのさわぎではない。  残る一軒が「かわせみ」へ使に来た吾市の家だが、 「あそこは今年が年番で一家中が朝から鎮守の社へ手伝いに来て居りました」  おたまの家は、父親の忌中でお辰は家にこもって鎮守には出て来なかった。 「本来なら娘も忌中でござるが、何分にも年に一度の盆祭で若い者が集るのに、閉じこもっているのも可哀相で……父親の百カ日も済んでいることだからと手前が申しまして、お梅は踊り子に出る、姉のおたまも祭見物に来る筈でござった」  従って、六ツからの念仏踊りの見物に、この道を通る者は、考えてみるとおたまとお梅の姉妹しかなかったことになる。 「南や西のほうの村人が、こちらに用事でもあって来ていれば別でございますが……」  話している中《うち》に、住職が不安そうな表情になった。  つまり、おたまを殺した者はあらかじめ、ここを通るのが姉妹、或いは念仏踊りに出るお梅だけであることを知っていて、待ち伏せしたと考えられるからである。  やがて、閻魔堂の前へ来た。  堂のまわりは林になっていて炎天下を歩いて来た者が一息つくには具合のいい場所であった。堂の横には井戸もある。 「十何年か前までは、堂守りが住んでいて、小さな小屋がありましたが、歿《なくな》りまして後に小屋はこわしてしまいました」  井戸だけはそのままになっている。  東吾がのぞいてみると、かなり深い。  井戸の蓋や釣瓶《つるべ》は清川村で修理したり、新しくしたりしているといった。 「清川村の者でこちらのほうに田畑を持っているのが何人か居りまして、弁当をつかったり、なにかとこの井戸を使うことが少くございません」  ためしに東吾が水を汲み上げると、冷たく澄んでいる。  住職が手拭を絞って顔を拭いている中に、東吾は閻魔堂の裏へ廻ってみた。  草がふみ荒された場所がある。事件のあと、雨が降ったらしく、血は大方洗い流されていたが、それでも草の根や土に変色が残っていた。  暮六ツの祭に出かけるのであれば、念仏踊りの衣裳を着たおたまがここを通りかかった時は、まだ明るかったと思われる。  再び村道へ戻って歩き続け、漸く玉泉寺に着いた。  住職が寺男に命じて蕎麦《そば》の用意をさせてくれた。 「お辰というのは、しっかり者の女房でござったが、今度のことでよくよく参ったようでして……」  昨日が殺されたおたまの初七日《しよなぬか》だというのに、寺へ来なかった。 「仕方がないので、今朝、こちらから出むいたところ、ひどい頭痛で二日ばかり床についていたとか、お梅のほうはなにをいっても泣くだけで、当分、あの家は立ち直れますまい」  蕎麦が出来る前に、墓地へ行った。  おたまは父親の与兵衛と隣合せの墓の中でねむっている。  墓地の先は鎮守の境内につながっていた。  神楽殿《かぐらでん》の前が広場になっていて、念仏踊りはそこで行われるらしい。  行ってみると、神楽殿の手すりのところに念仏踊りの衣裳が何枚もかけてあった。 「衣裳も花笠も頭巾も、神社のほうにおいておくのです。念仏踊りの踊り子に決りますと各々、一組ずつ当人に渡しまして……」  当日、踊り子は家で着替えて神社へ集って来る。  東吾が白い頭巾を手に取った。 「これをすっぽりかぶると目と鼻ぐらいしか見えませんな」  その上に花笠をつけるのであった。 「おたまは殺された時、頭巾と花笠をつけていたのでしょうな」 「そのように聞いて居ります」  住職が顔をしかめてうなずいた。  方丈《ほうじよう》で蕎麦の接待にあずかり、東吾はおたまの供養になにがしかの金を包んで住職に渡し、ついでのように訊《たず》ねた。 「ところで、殺されたおたまですが、こちらへ帰って来て嫁入りなどの話はなかったのですかな」  住職が苦笑した。 「縁談というのではござらぬが、江戸の水で洗うとあのようにきれいな娘になるものか、村の若い男が随分とさわいで居りましたようで……、盆祭の夜に、誰がおたまをくどくかとだいぶ評判になっていたそうでございますよ」  しかし、そのおたまは盆祭をみることもなく殺されてしまった。 「お梅のほうはどうですか。妹に縁談は……」 「名主様のところの手代で新助というのと夫婦にすると、お辰さんがいっているのを聞いたことがありましたが……」  礼をいって、東吾はるいと寺を出た。坂を下りて行くと吾市が立っている。 「名主様に旦那方のことを知らせたら、是非、立ち寄って行ってもらいてえとのことでごぜえます」  東吾が笑った。 「そいつはよかった。今から名主さんを訪ねようと思っていたんだ」  吾市と肩を並べて、東吾が訊いた。 「お梅と、名主の手代の新助がいい仲だってのを、あんたは知ってたか」 「村の者は大方、知ってただが……」 「だが……、なんだ」  吾市が赤くなった。 「まあ、ええだが……」 「よくないぞ、いってくれ」 「俺がいったといわねえでくれ」 「いいとも、俺は口が固いんだ」  唇をなめて、吾市が低くいった。 「おたまさんが江戸から帰って来て……怪訝《おか》しくなっただ」 「新助が、おたまのほうに色目を使ったか」 「いや、お辰さんが新助とのことはなかったものにしてもらいてえ、お梅は江戸へ奉公に行くかも知れんと、名主様へいって来たそうだ」 「江戸へ奉公……」  成程と、東吾がうなずいた。 「姉さんがきれいになって帰って来たので、妹は羨《うらや》ましくなったんだな」  るいがそっと東吾の袖を引いた。 「でしたら、新助という人は、お梅さんを怨《うら》んでいたのでは……」  名主の家の門が前方にみえて来た。  田舎風の立派な百姓家である。  名主は吉右衛門といい、五十そこそこの痩《や》せぎすの男であった。  東吾とるいを奥座敷へ招じ入れ、丁寧に挨拶をしてから問うた。 「吾市の話では、おたまの奉公して居りました御家の御主人様とか」  るいがうなずいた。 「おたまさんは丸三年、私どもに奉公して居りました。この度はお父つぁんの新盆とのことで暇をやりましたのですが……。それが、このようなことに……」 「つかぬことをうかがいますが、おたまは江戸でいいかわした男などは……」  るいがきっぱりと答えた。 「左様な者は居りません」 「おたまの身持につきましては……」 「名主様は、何をお考えか存じませんが、おたまさんに限ってふしだらなことは全くございません。手前どもも、他家の娘さんをおあずかりして居りますのですから、その点は御信用下さってけっこうでございます。なんなら、江戸までお出《い》で下さってお調べ下さいまし」  るいの剣幕に絶句した名主をみて、東吾が穏やかに言葉を添えた。 「おたまの身持に関しては、俺も保証するが、名主どのがそのようなことにこだわるのは何か理由があっての上ですか」  吉右衛門が気弱な表情になった。 「決して左様なことはございません。ただ、こちらのお役人が、あれだけの器量よしなら江戸で少々の男出入りがあったかも知れぬ。恋の怨みで、清川村まで追って来た者がおたまを殺害したのではないかと申されましたので……」  るいがきっとした。 「でも、おたまさんは妹のお梅さんと間違えて殺されたのだと、こちらへ来てうかがいましたが……」 「たしかに、そのような噂もございます。手前どもとしては、もう、なにがなにやら……」  すっかり逃げ腰になった吉右衛門に、東吾が訊いた。 「御当家の手代に新助という者が居りましょうか。もし、居られるようなら、こちらへお呼び願いたいが……」  吉右衛門が手を叩くと、色の浅黒い小柄な男が敷居ぎわに手を突いた。 「これが、新助でございますが……」  あまり若い女の気を惹《ひ》きそうな容貌ではない。取り柄は、名主の手代という身分だろうか。 「名主どのはこの新助とお梅が夫婦になるというような話を御存じですか」  吉右衛門が途方に暮れたように新助を眺めた。 「どうなったんだ。あの話は……」  新助はうつむいたまま、顔を上げない。 「あんた、お梅と夫婦約束をしていたのだろう。お梅のほうからその約束を取り消したのは、いつのことだ」  臆病そうに新助が東吾を窺《うかが》ったが、そのきびしい視線にぶつかると慌《あわ》てて返事をした。 「盆祭の前日でございます」 「盆祭の当日はどこにいた」 「鎮守様とここを行ったり来たりで……」 「夕方、念仏踊りのはじまった時は……」 「ここの家……いえ、鎮守様のほうで……」 「念仏踊りがはじまる前、お梅が来ないので大さわぎになっただろう……」 「はい。どうしたのだろうとみんなが……」  東吾がるいへいった。 「この家の外に、吾市がいると思う。すぐここへ連れて来てくれ」  すばやくるいが出て行き、吾市を伴って来た。 「あんたは祭の年番だったそうだな」  柔らかい口調で東吾がいった。 「玉泉寺の住職の話だと、朝から鎮守の社務所に詰めっきりだったそうだが……」 「へえ」 「念仏踊りの始まる前、お梅が時間になっても到着しなかった筈だが、大さわぎになったのか」 「そんなことはねえです」  という返事であった。 「たしかに、踊りが始まる時になってもお梅さんは来なかったが、あの子は普段からいい加減なところがあるから、多分、遅れて来るだろうと、そのまま始めたです。見物人は誰も気がつかねえし……」  大勢が輪になって踊るので、一人欠けていてもどうということはない。 「お梅が来なかったことで、大さわぎにはならなかったのだな」 「やっぱり、親父の忌中だで、遠慮したんじゃねえかということで……」 「おたまの死体がみつかったのは翌朝だといったな」 「そうです。朝早くに、お辰さんが俺の家へ来て、昨夜、おたまさんが帰らねえというんで、俺と爺さまとで鎮守様のほうへ探しに出ただ。途中で新助さんに出会って、新助さんが閻魔堂の裏を見てみるかというんで……」  吾市の話の途中から新助はがたがた慄《ふる》え出した。その新助へ東吾が鋭く訊いた。 「お前は、なんでそこへ通りかかったんだ。何故、閻魔堂の裏へ廻ってみようと思ったんだ」  歯を食いしばっている新助へどなりつけた。 「とっとと返事をしろ。ここでいえねえなら代官所へ行くぜ」  悲鳴のような声を上げ、新助が叫んだ。 「俺じゃない。俺はなんにもしていねえ」 「それじゃ、誰だ」 「知らねえ。俺が知ってるのは、若旦那のいいつけで……おたまさんを呼び出しに行く途中だったんだ」 「なんだと……」 「本当だ。途中で吾市に出会って、おたまさんが昨夜から帰っていないと……」 「どうして閻魔堂の裏へ行った。いい加減なことをいうとぶった斬るぞ」 「若旦那が……祭の二日前に、閻魔堂の裏へおたまさんを呼び出したのを知ってたからだ。俺じゃない。俺はなんにもしていねえ」  東吾が吉右衛門へいった。 「御当家の悴《せがれ》どのをお呼び下さい」  吉右衛門は死人のような顔をしていた。 「吉太郎」  と呼ぶのが、せい一杯である。  吉太郎は東吾が気がついていたように、すぐ隣の部屋で話を聞いていたらしい。観念したように襖《ふすま》を開けて入って来た。 「あんた、今の新助の話に間違いはないか」  東吾にみつめられて、吉太郎は不貞腐《ふてくさ》れた態度で顎《あご》を引いた。 「それが、どうだっていうんだ」 「吉太郎」  と吉右衛門がかすれ声でいった。 「真面目に返事をしなさい。さもないと、お前に人殺しの疑いがかかるのだぞ」  流石《さすが》に吉太郎はぎょっとしたようであった。 「人殺しなんて冗談じゃありませんよ」  東吾へ向き直った。 「新助がいったのは本当ですが、別にどうってことじゃありません。盆祭の二日前におたまを呼び出したのは、三年ぶりでなつかしかったから、少し、話をしたいと思って……」 「ついでに、女房にならないかとくどいたんだろう」  東吾の言葉に吉太郎は照れくさそうに笑った。 「むこうにとっては悪くない話だったと思いますよ」 「吉太郎、お前、そんなことを親に相談もなしに……」  吉右衛門が呟《つぶや》き、あまり出来がいいとは思えない悴がうそぶいた。 「先方の気持をきいてから、打ちあけようと思ったのさ。ひょっとして誰かといい仲にでもなっていたら、目もあてられない」 「おたまはなんといった」  びしっと東吾が話を戻した。 「話はありがたいが、まだ奉公中の身の上だからと遠慮してましたよ。今の奉公先がいい家なのでずっと働きたいなんていいやがるから、俺はとっとと暇をとっちまえとけしかけたがね」 「お前は盆祭の日に、もう一度、おたまを呼び出して口説《くど》こうと思った。盆祭が終るとおたまは江戸へ帰ってしまう。そこで、新助を使にやった。その時刻は夕方だ」  図星だったらしく、吉太郎と新助が顔を見合せた。 「お前達は、おたまがお梅の代りに念仏踊りに出るとは思わなかったが、祭見物には出かけて来ると考えた。そこで、お梅が鎮守へやって来る時刻をみはからって、新助は一本道をおたまの家へ向った」  新助がぺこりと頭を下げた。 「その通りで……」 「どこで、おたまと会った」 「それが、会いませんでしたので……」  新助が体を乗り出した。 「若旦那は一本道だから、途中で会うか、まだ、むこうの家にいるか、どっちにしても行き違いになることはないとおっしゃるので、手前は六ツよりも小半刻《こはんとき》(三十分)ばかり前に鎮守の境内を抜け出しまして……。ところが、むこうへ着いてみると家には誰も居りません」 「でたらめをいうな。おたまとお梅とは、なにかで行き違いになったとしても、母親のお辰は家にいた筈だ」  東吾にいわれて、新助は真剣な表情で大きく手をふった。 「本当に誰もいなかったのでございます。何度も声をかけましたし、家の中ものぞいてみたので間違いはございません」  これは途中で行き違ったと慌てて戻ってみたが、おたまはみつからない。 「若旦那に叱られると思い、神酒所《みきしよ》で声をかけられたのを幸い、酒を飲み、酔っぱらって寝てしまいました」  早朝、目がさめて名主の家へ帰ると、 「若旦那が御立腹で、おたまさんが江戸へ発《た》たない中に、急いで家へ行って連れて来いとおっしゃるので、そのまま、出かけまして」  その途中で吾市と出会ったのだと泣き顔になって白状した。 「手前はおたまさんを殺しちゃ居りません。もし、おたまさんをお梅さんと間違えたとしても、お梅さんを殺す気持なんぞありゃしません。人殺しをすれば、はりつけになると知っていて誰がそんな怖ろしいことを……。お梅さんにふられたって、村にはまだいくらも若い女が居りますので……」  手を上げて東吾は新助の饒舌を制した。 「もういい。お前は面白いことを教えてくれたぜ」  あっけにとられている名主父子を尻目に東吾はるいをうながして、さっさとその屋敷を出た。吾市がそのあとを追って来る。 「あんたにはすまないが、二、三、教えてくれないか」  東吾が訊ねたのはまずお辰のことであった。 「あの人は、木更津の一膳飯屋《いちぜんめしや》の女中だったんで。おたまさんが三つの時に本当のおっ母さんのおいねさんが病気で歿って、そのあと、与兵衛さんがお辰さんを家に入れたですよ」  ということは、おいねが病気で寝込んでいる間に二人が深い仲になったわけである。 「木更津の者は大方、知っとることだが、お辰さんというのは凄腕で、人のいい与兵衛さんがひっかかったというのが本当の所でごぜえます。すぐにお梅さんが生まれたが、口の悪いもんは、与兵衛さんの子かどうかといったくらいで……」 「お辰は、おたまに対して継子《ままこ》いじめはしなかったのか」  吾市が顔をくしゃくしゃにした。 「そりゃひどいもんだで……。うちの婆さまがよくおたまさんを家につれて来て飯を食わせていたくらいで……」  与兵衛の前では猫かわいがりをしてみせるが、かげに廻って意地の悪いいびり方をする。 「おたまさんは子供の頃から利口者で、決して与兵衛さんに告げ口もせず、世間の人にも黙っていたが、なに、うちの婆さまが喋《しやべ》りまくったで、みんな知っていたです」  十五で江戸へ奉公に出たのも、当人が強くのぞんだからだが、まわりも与兵衛にそうしたほうがいいと勧めた。 「ところで、与兵衛の財産だが、田や畑、あの家なんぞは、誰のものになるんだ」  吾市がしたり顔でうなずいた。 「与兵衛さんは、おたまさんに聟《むこ》をとって家を継がせたかったんだろうが、お辰さんは承知しねえ。それで夫婦喧嘩が絶えねえ中に、与兵衛さんが、ぽっくり逝っちまっただ」  お辰にしてみれば、もっけの幸い。 「名主さんの所の手代の新助さんをお梅の聟にして田畑をゆずるとみんなに触《ふ》れていたがね」 「つまりは、おたまが邪魔なわけだ」  お梅のほうは、どんな娘だと訊いた。 「母親似だで……。あんまり心がけはよくねえですよ。見栄坊で……。新助と夫婦になる気だったに、おたまさんがすっかりきれいになって戻って来て、村の男はみんなわいわいさわぐ、名主さんの悴までがおたまさんを追い廻すと、今度は自分も江戸へ奉公に行くといい出したりして、そういう量見じゃどこへ行ってもろくなことはねえと、うちの爺さまはいってるだよ」  村のはずれで吾市と別れる時、東吾はいくらかの金をやって、明日、木更津の「ひさご屋」まで来てくれと頼んだ。  待たせておいた駕籠で、るいと木更津へ戻る。 「ひさご屋」は、清川村へ行く前に朝飯をすませた宿で、今夜はそこへ泊る予定であった。  風呂へ入ってから晩飯をすます。  海が近いので開けはなした障子のむこうから潮の香が流れ込んで来た。 「東吾様は、お辰があやしいと思っていらっしゃるのでしょう」  団扇《うちわ》を使いながら、るいが訊いた。 「るいは、どう思う」 「念仏踊りの衣裳で、もし、おたまちゃんをお梅と間違えたのなら、下手人は新助かも知れません」  神妙なことをいっていたが、狭い村で女にふられたというのは、若い男にとって随分と恥かしいに違いないとるいはいった。 「人殺しの動機にはなるな」  殺されていた時のおたまは白い頭巾と花笠をつけていたという。 「ただ、俺が気になるのは、この暑い最中《さなか》、鎮守へ着く前から、うっとうしい頭巾だの笠だのをつけて行くものだろうか」 「汗でお化粧がはげてしまいますね」 「女なら誰でもそう考えるだろう」  踊りの始まる直前に頭巾と笠をつけるのが自然ではないかと東吾は考えている。 「その点は、明日、吾市に訊《き》いてみよう」  他の踊り子達はどうだったのか。 「やっぱり、お辰でしょうか」  いくらなんでもというのが、るいの気持であった。 「そりゃあ、継子いじめぐらいはしたかも知れませんが、殺すというのは……」  東吾が慎重に話し出した。 「母親というのは、娘のためなら、どんなこともやってのけるんじゃないのか」  自分の娘であるお梅は名主の手代の新助と夫婦になる予定であった。 「そこへ、新盆でおたまが帰郷した」  名主の悴の吉太郎が早速、おたまに目をつけて女房になってくれと口説きはじめる。  もし、おたまが承知すれば、姉は名主の若旦那の嫁、妹はその手代の女房ということになる。 「お梅が新助をふって、江戸へ奉公に出るといい出したのは、吉太郎がおたまを口説いているのを知ったからだ」  見栄っぱりのお梅にとって、この身分の落差は我慢出来なかっただろうと東吾はいう。 「それじゃ、お梅が下手人……」 「いや、殺したのはやはりお辰だろう」  お辰にとって、おたまは、お梅の幸せをぶちこわした憎い女ということになる。 「母娘はあらかじめ手順を相談した。まず、お梅がおたまと一緒に家を出て鎮守へ向う。途中の閻魔堂のあたりで、お梅は仮病《けびよう》を使い、堂の中でおたまと衣裳を取り替える。その間にお辰が追いついた」  堂を出たところで、おたまはお辰に刺し殺された。 「頭巾と花笠は殺してから、かぶせた。それは下手人がおたまをお梅と間違えたと思わせるためだ」  吉太郎の使で新助がおたまを迎えに行った時、途中でも会わず、家には誰もいなかった。 「俺はあれを聞いた時、お辰が下手人と気がついたんだ」  お辰とお梅は閻魔堂の中で新助が帰って行くのをやりすごして家へ戻った。 「東吾様のお考え通りだと思いますが、証拠がありませんね」  るいが憂鬱そうにいった。 「実はそれで俺も弱っている」  だが、東吾は机に向い、夜更けまで長い手紙を書いていた。      三  翌朝、東吾は「ひさご屋」へやって来た吾市に手紙を渡し、暫《しばら》く何事か話をした。  江戸の木更津河岸へ行く舟にるいと乗ったのは、そのあとであった。 「かわせみ」では番頭の嘉助と女中頭のお吉が待ちかまえていて、早速、るいから事件の顛末を聞いた。 「そりゃ若先生のおっしゃる通り、お辰に間違いございませんな」 「でも、どうでしょう。案外、新助って人もやりかねないような気がしますよ」  と意見は二つに分れたが何分にも決め手がない。 「なんとか下手人を挙げてくれませんことには、おたまちゃんが、あんまり可哀相で……」  木更津の役人は、なにをぼやぼやしているのだろうとお吉が八つ当りをして三日目、「かわせみ」の暖簾《のれん》をくぐって吾市が汗みずくの顔を出した。 「こちらの旦那様へ、お知らせに参ったでごぜえます」といわれて、お吉が早合点をした。 「まさか、また、誰か殺されたんですか」 「いえ、そうではねえです」  もたもたしている中に東吾が出て来て、 「どうだ、うまくいったか」 「へえ、旦那様のおっしゃった通りで……」  居間へ通って、吾市がさし出したのは、木更津の代官所の役人から、東吾へ宛てた丁重な礼状であった。 「やっぱり、井戸か」 「へえ、お役人もたまげたですよ」  二人が笑い合ったので、るいがむくれた。 「なんですよ、いけ好かない。おたまちゃんはうちの奉公人だったんですから、その下手人はどうなのか、ちゃんと話して下さいまし」 「話すから、そこにすわれよ」  冷たい麦湯を吾市に勧め、東吾も飲んだ。 「下手人はお辰だった」 「白状したんですか」 「証拠が出て来たからな」 「証拠ですって……」 「俺は考えたんだ」  刃物で何カ所も刺されて、おたまは死んだ。 「下手人は当然、返り血を浴びる」  血まみれの着物の始末であった。 「常識からすると、まず、焼くか、洗うかだな」  下手人がお辰だとすると、 「焼けば、変った臭いがする」  すぐ隣に住む吾市の家では、吾市の両親がお辰にもお梅にもいい感情を持っていない。 「おたまが殺されたとなると、吾市の家の者はすぐにお辰を疑いの目でみるだろう。それは、お辰にもわかっていた」  となると、うっかり血まみれの着物を燃やせば、 「おたまさんの殺されたあと、あの家で着物を焼くような臭いがしました」  と役人に告げ口される怖れがある。 「洗うのも剣呑《けんのん》だ。夜中に洗いものをしていたと、吾市の家の者が目撃するかも知れないだろう」  焼けず、洗えないとなると残るは、 「捨てるだが、これも迂濶《うかつ》な所には捨てられない」  るいが手を打った。 「ああ、それで井戸なんですね」  閻魔堂の脇にあった井戸のことであった。  吾市が嬉しそうに、るいへ告げた。 「こちらの旦那様の文を届けたら、役人があの井戸さらいを名主さんに命じたですよ」  井戸の底から、出刃庖丁と一緒に風呂敷包にして重しの石を入れた、お辰の着物が、まだ点々と血の痕を残してひき上げられた。 「おかげさんで、俺はお上《かみ》から褒美《ほうび》をもらったです」  つまり、探索の役に立ったということらしい。  両親に江戸の土産を買って帰るのだと、吾市が嬉しそうに立ち去ってから、東吾とるいは居間へ戻った。  蚊やりが白く煙を上げている。 「お父つぁんの新盆に帰れなんて勧めなければ、殺されることもなかったのに……」  それが、るいの後悔であった。 「仕方がねえや、当人が暇をくれといったんだ。当人だってよもや殺されると思って帰ったんじゃなかろう」 「いい子だったんですよ、本当に……」  るいが口惜しそうに唇を噛み、東吾は所在なく団扇を動かした。  空はまだ晴れているのに、遠雷が聞えている。 [#改ページ]   松風《まつかぜ》の唄《うた》      一  深川の越中島《えつちゆうじま》に講武所附属の銃隊調練所が設立されて、有志の者はそこで銃砲の技術を習得することが出来るというので、神林《かみばやし》東吾も教授方の許しを得て通いはじめた。  最新式の洋銃の扱いも教えてくれるが、ピストルなども各種、用意されていて、日頃、あまりそうしたものに触れる機会のなかった東吾には殆《ほとん》どが新知識であった。  練習をはじめてみると、イギリス人の教官が感心したほど、射撃の勘がよかった。 「神林どののように剣の技に秀れている仁《じん》は、銃の上達も早い、やはり、共通したものがあるのでしょうな」  一緒に練習を始めた仲間にいわれて、東吾は苦笑した。  剣術と銃とは全く手段が異った。強いて共通するものといえば、反射神経だろうかと思う。  東吾には見かけによらず、何事も始めると熱中するところがあって、射撃そのものがとりわけ好きというのでもなかったが、真面目に越中島へ通っていた。旗本や御家人の子弟の大方は一通り銃を扱えるようになるとイギリス人の教官の態度が横柄《おうへい》だなぞと理由をこじつけて練習に出て来なくなった。  で、半年もすると、銃隊訓練の歩兵の他は、個人で射撃の練習に来る者は何人もなくなってしまったのだったが、その中で東吾が注目し、ひそかに敬意を払っている人物がいた。  たまたま、練習が同じ時に重なって、先に挨拶《あいさつ》した東吾に対し、恐縮しながら、 「川上武八でござる」  と名乗った。  御家人で住いは芝の増上寺の裏のほうだといった。  最初、東吾は彼を六十すぎの老人と思っていたのだが、親しくなってから、ちょうど五十歳だと知った。  今から八年ほど前に、足の指に怪我をしたのが原因で大患にかかった。最初の手当が悪かったせいだが、結局、右足の指を三本切断し、二年もの間、病床について、なんとか回復したが、今でも右足をひきずるようにして歩く。実際の年齢よりも老けてみえるのは、おそらくそのためだろうと東吾は気の毒に思った。  別に東吾のほうから訊《き》いたのではなかったが、妻は早く歿《なくな》って、子供もいないようである。  射撃の腕は素晴しかった。  的に当てること百発百中で、越中島で訓練を受けている者の中では筆頭であろう。  実際、練習は東吾以上に熱心であり、射撃が好きらしい。 「父祖代々、徳川家の禄を食《は》みながら、このような身になり、この有様では一朝《いつちよう》ことある場合、なんのお役にも立たぬかと情なく存じて居りましたが、銃のおかげで生き甲斐を取り戻せたように存ずる」  万一、幕府に弓引く者が現われた時、撃って撃って撃ちまくり、先祖代々の御恩に報いるつもりだとひかえめながら嬉しそうでもあった。  東吾は「かわせみ」へ帰っても、あまり銃の話はしなかったが、川上武八のことは折に触れて物語った。 「なんですか、勤皇浪士だの、長州浪人だのがお上《かみ》に刃向かおうってさわいでいるようですが、まさか大戦《おおいくさ》だなんてことにはなりませんでしょうね」  るいやお吉は眉をひそめ、東吾が射撃の練習に出かけて行くのを好まないふうであった。  その日、東吾が越中島の調練所から帰りかけると珍しく川上武八が門を出るところであった。いつもなら夕刻まで練習に余念のない人なので東吾は思わず声をかけた。 「今日はお早いですな」 「お恥かしい話ですが、ちと風邪気味でござれば……」  成程、あまり顔色がよくない。  八月中から雨の多かった江戸は九月に入って急に秋が濃くなっている。 「それは御無理をなさらぬほうがよろしいでしょう」  連れ立って永代橋《えいたいばし》を渡るあたりから、武八が腹を押えはじめた。如何にも苦しげである。  みかねて、東吾はいった。 「我が家はこの近くです。お寄りになって少し休まれては如何ですか」  武八は駕籠《かご》を拾って帰るといっていたが、その自信もなくなったらしく、再度、東吾が勧めると、 「では、お言葉に甘えて暫時《ざんじ》……」  面目なげについて来た。  もはや足許《あしもと》もおぼつかないし、東吾が支えた腕が驚くほど熱っぽい。  殆ど肩にひっかつぐようにして「かわせみ」の暖簾《のれん》をくぐると、出迎えた嘉助がすぐ心得て、あいていた梅の間へ案内し、布団を敷いて武八を寝かせた。 「越中島の帰りに具合が悪くなったんだ」  女中の知らせでとんで来たお吉にいうと、 「まあ、ちょうどよかったですよ。宗太郎《そうたろう》先生がおみえになっているんです」  只今、お居間のほうでお食事中です、といわれて、東吾は武八の世話をお吉にまかせて奥へ行きかかると、るいも出て来た。 「御病人だとか……」 「いつか話した川上どのだ。宗太郎が来ているそうじゃないか」  るいが笑った。 「それがお気の毒に……朝から今までお茶も召し上らずに患家をお廻りだったんですって。最後がそこの新川の鹿島屋さんで、終ってお帰りになる時、うちの前を通られるのを嘉助がみつけて……。あなたがお留守だからと御遠慮なさるのを無理にお通ししたんです」 「成程、それでやっと昼飯にありつけたわけか」  夫婦そろって居間へ行くと、宗太郎が食後のお茶を飲んでいた。 「お帰りなさい。また、厄介を背負い込んで来たようですね」  帳場のほうの声が筒抜けだとにこにこしている。  ざっと事情を東吾が話し、宗太郎はすぐに出て行った。 「あいつ、だいぶ忙しそうだな」  ぼつぼつ日の暮れようという時刻に漸《ようや》く昼飯をすませた。 「夏の終りと冬の終りは御病人が多いそうですよ。今年の夏はとりわけ不順でしたから、それを持ちこたえたお年寄りなどが、今頃になって寝込むのですって」  東吾が着替えを終えた頃、宗太郎が戻って来た。 「風邪です。腹痛はおそらく冷えたせいでしょう。お吉さんにいっておきましたが、蒟蒻《こんにやく》を熱くして手拭にくるんだ奴を腹に当てておくと治まりますから……」 「蘭方《らんぽう》が蒟蒻か」 「民間療法と申すのは馬鹿に出来ません。奇妙なものもありますが、多くは人間の英知です」  風邪の熱のほうは薬を飲ませたので、間もなく下る筈だといった。 「まあ一刻《いつとき》(二時間)余りも眠ると、ずっと楽になりますから、駕籠でそろそろと帰られる分にはなんということもないでしょう。お屋敷はどちらですか」 「増上寺の近くだそうだ」 「それなら、たいした距離ではありませんね」  お吉が運んで来た湯で手を洗い、漸く将軍家の御典医に蘭方の医者が加えられたなどという話をしてから、もう一度、梅の間をのぞくと、川上武八はぐっすり眠っている。 「目がさめたら、白粥《しらかゆ》のようなものを差し上げて下さい。おそらく汗をかいていますから、着替えもよろしくお願いします」  七重《ななえ》と花世《はなよ》が待っていますからと、薬籠《やくろう》を下げて「かわせみ」を出て行った。      二  そんなことがあって三日の後、川上武八が手土産を持って「かわせみ」へ礼に来た。  この時も宗太郎が来ていた。  但し、患家廻りの帰りではなくて、花世を伴って遊びに来ていたものである。  花世は可愛い盛りであった。  廻らない舌でよくお喋《しやべ》りをする。  麻生《あそう》家では祖父の麻生|源右《げんえ》衛|門《もん》を、じじたま、父親の宗太郎を、そうたま、母親をたあたま、と呼ぶ。  父親をそうたまと呼ぶのは、七重が夫婦だけの時、 「宗さま」  と呼んでいたのを真似たらしい。 「かわせみ」へ来ると、東吾が、とうたま、で、るいが、ばばたまになる。  七重がるいを、 「小母《おば》さま」  と呼ばせようとしたのが、ばばたまになってしまったので、 「冗談じゃねえな、これじゃ、花世の父親は俺で、るいがばあさんみてえじゃないか」  と東吾が口先だけでむくれてみせたが、内心は満更でもなく、 「とうたま」 「ばばたま」  と呼ばれて、二人共、目を細くしている。  とりわけ、花世はるいになついていた。  るいは子供を遊ばせるのが上手で、花世の人形に、着せ替えの着物や袖なしを縫ってやったり、紙を火箸に巻いて圧し潰し、縮緬《ちりめん》のようにして姉さま人形をいくつも作る。そして、花世とままごとをして遊ぶ。 「よくもまあ、飽きもせず、一つことをやってるな」  と東吾が感心するくらいで、花世もるいと遊んでいる時は、本当に夢中になっているのがよくわかる。  るいを冷やかす東吾にしてからが、 「とうたま、おかえりなさいまちぇ」  などと花世にいわれ、 「どうぞ、めちあがって下さいまちぇ」  とままごとの食事をさし出されると、真面目な顔で、 「これは旨《うま》い。旨い、旨い」  とお吉がお腹を抱えて笑い出すほど、神妙に相手をしている。  で、花世としては、すっかり「かわせみ」が気に入って、なにかにつけては、 「ばばたまのおうちへ行きたい」  と父親を困らせるらしい。 「実は七重に二人目が出来ましてね。今が一番、つらい時期なので、たまにはゆっくりさせてやりたいと思いましてね」  患家を廻るのに忙しく、あまり女房子の面倒をみてやれなかったからと、今日の宗太郎は、すっかり甘い父親の顔になっている。  秋日和の午下《ひるさが》り、「かわせみ」の広い帳場の板の間で、花世が東吾を相手に物差しをふり廻して「剣術のおけいこ」をしている最中に、川上武八はやって来た。 「どうも、えらいところをお目にかけましたな」  照れくさそうに挨拶をした東吾に、武八が微笑した。 「愛らしいお娘御《むすめご》でござるな。お子はお一人で……」  といわれて、東吾は慌《あわ》てた。 「いや、これは手前の娘ではなく、過日、貴公を診察した医者の総領でございます。手前共とは遠縁に当りますので、よく遊びに参って、それがしを東吾と教えたものですから、とうたま、などと申し、まぎらわしくて仕方がありません」  弁解をしているところへ、奥から本物の父親のほうが出て来た。 「その後、お具合は如何ですかな」  おかげさまで、と武八は手を突いて礼を述べた。 「実を申せば、この夏の終りあたりから体調を崩し、たかが夏風邪と思うて居りましたところ、食も進まず、寝汗はかく、頭は重い、体力気力とみに衰えて参って、あげくがとうとうあの体《てい》たらくでござった。薬を頂戴致し、二日で本復《ほんぷく》致し、昨日は久しぶりに気分爽快、このように元気になり申した」  まだお若いのに名医だと感心している武八に、宗太郎は花世を抱いて頭を下げた。 「餅は餅屋です。風邪は万病のもとと申しますから、油断はいけません。何事によらず、こじらすとあとが厄介です」  本所《ほんじよ》へ帰るという宗太郎に、るいが菓子包を渡し、花世は父親の腕の中から東吾へ手をのばした。 「とうたま、また、あそびまちょ」 「ああ、明日、花坊のたあたまのお見舞に行くから、その時、さっきの続きをやろう」 「あした……」 「そうだ、花坊が一つ寝るとだ」 「ひとつ、ねると……」 「ああ」 「とうたま、ゆびきり……」 「よし、指切りだ」  店の外まで送って行った東吾を見送っていた武八が急に懐紙を目にあてた。  戻って来た東吾のいぶかしげな視線にぶつかると、 「いい年をしてお恥かしい。つい、死んだ娘のことを思い出しましてな」  赤い目のまま、鼻をかんだ。 「お嬢様は、おちいさい時に……」  るいがそっと訊ね、 「いや、歿りましたのは十七の時でござったが、その娘が誕生してすぐに家内が病死いたし、殆ど男手一つで育てたので……」  東吾と花世のやりとりを聞いている中《うち》に、その昔、娘と話している自分の姿が浮んで来てと、また目頭を押えた。 「失礼ですが、川上どのには、他にお子は」 「ござらぬ。親一人子一人でござった」 「では、さきざき、御養子などなさらねばなりませぬな」  東吾は武八の気持を変えようといったが、 「いや、そのことはあまり考えて居りません。後世に残さねばならぬほどの家柄でもなし、まして、この節《せつ》の御時世でもござれば」  自分を取り直したように挨拶をして、そそくさと腰を上げた。  川上武八の態度が少々、気になって、翌日、東吾は麻生家へ七重の妊娠を祝い旁《かたがた》、見舞に行った時、麻生源右衛門にその話をした。 「御家人の川上武八のう」  源右衛門はちょっと考えて、自分の居間へ行ったが、間もなく戻って来た。 「川上武八、家禄は五十石だが、三河以来の譜代の家柄じゃ。但し、当主は無役故、内情はおそらく潤沢とはいえまい」  女房子は居らず、今のところ、養子のお届けもないといった。 「当人は八年ほど前に足を痛め、今でも不自由です。しかし、射撃の腕は抜群で、銃を持って御奉公をという気概のある侍です」  そうした武士が、仮にも五十石取りであり、三河以来の家柄を、どうして軽《かろ》んずるような言い方をしたのか、東吾は不審を持った。 「ただ貧乏だからという理由で養子を迎えないというのは解《げ》せないと思います」  御時世で多くの武士は窮乏生活に甘んじている。 「川上家よりも、遥かに小禄の者でも、家を守ろうとする意識は強いのが当り前でしょう」  町人でも百姓でも、跡継ぎということを大事にする。まして、武家ではそれが第一であった。 「たしかに東吾の申す通りじゃ。川上武八のこと、それとなく調べてみよう」  麻生源右衛門が請け合って、東吾は半日、花世の相手をし、母親の七重から、 「女の子でございます。これ以上、おてんばにしないで下さいまし」  と睨《にら》まれて、頭をかきながら「かわせみ」へ帰った。  数日後、麻生宗太郎が「かわせみ」へ寄った時、畝源三郎《うねげんざぶろう》が宿帳改めのために来ていた。 「義父《ちち》からの伝言ですが、川上武八どのについては、悪い評判も、良い評判もないとのことで、強いていえば、八年ほど前に、一人娘が知り合いの家へ手伝いに行っていて頓死《とんし》したとか……」 「頓死……」 「くわしいことは誰も知らぬようです」  東吾が腕をこまねいた。 「頓死というと、なんだ」  畝源三郎が律義な返事をした。 「要するに急死ですな」  宗太郎が二人の友人の顔を眺めてつけ足した。 「医者のほうでいうと、まあ心の臓が急に停ったような、あまり原因がはっきりしないものも含めて頓死で片付けることがありますよ」 「病気なら病死というだろう」  源三郎が宿帳を嘉助に返して、東吾へ向き直った。 「川上という仁に、なにか不審がおありなのですか」 「俺が気を廻しすぎているのかも知れないんだが……」  どうもひっかかるんだ、という東吾から事情を聞いて、源三郎がいった。 「奉行所に、あの辺の武家屋敷へ出入りをしている者がいますから訊いてみましょう」  そして、また数日。  越中島の調練所で洋式銃が一挺、紛失するという事件が起った。  勿論、調練所で練習に使用する銃は、一切、持ち出し禁止になっているのだが、その日、すべての訓練が終って係の者が調べたところ、最新式の洋銃と弾一包がなくなっていた。  本来、江戸は飛道具《とびどうぐ》のすべてを持ち込むのを厳禁していたくらいで、係の役人が蒼白になって調べたが、全く手がかりがない。  東吾はその事件の起った日には越中島へ出かけなかったのだが、「かわせみ」にまで問い合せの使が来た。  で、事件の当日、射撃の練習に来た者の姓名を訊いてみると、その中に川上武八の名もあった。  もっとも、武八は病気の時を除いて、毎日、越中島に通っているようだから、名簿に名前があっても不思議ではない。  使が帰ったところに、畝源三郎が来た。  洋式銃の紛失の話をすると、 「いけませんな」  内憂外患の世のせいか、役人達の間に落着きがない。 「万事に杜撰《ずさん》で、責任感に乏しい者が増えているようです」  仮にも将軍家のお膝下で、洋銃がなくなったなどという事件が起るのも、そのいい例だと苦い顔をしている。 「ところで、この前のお話の川上という御仁のことですが、なんとも気の毒な話です」  川上武八はどうも家族運がない人だと源三郎はいった。 「人柄は悪くなく、近所も同情をしています」  まず、両親が早く歿り、弟が続いて病死した。武八には他に兄弟はいない。 「知り合いが世話をして妻帯し、夫婦仲は人も羨《うらや》むほどだったといいますが、最初の子供を出産したあと、御新造《ごしんぞ》は産後の肥立ちが悪くて、そのまま回復しませんでした」  その後、武八は再婚話をすべて断って、自分の手で子供を育てた。 「糸路どのといいまして、なかなかの器量よしだったそうです」  十二、三から、父親を助けて家事を切り廻し、裁縫を習って、十五、六では、もう近所の縫物をひきうけて賃仕事などもしていたという。 「どこも同じと思いますが、五十石取りといっても、川上家は長年の借財がたまっていて決して暮しむきはらくとはいえなかったようです」  それでも父娘が支え合って、ささやかでも幸せな日々だったろうと源三郎は、彼らしくもなく、声を詰らせた。 「武八どのが大怪我をしたことは御存じですね」 「当人から聞いたよ、最初、たいしたことではないと思って治療をおろそかにしたのがいけなかったそうだ」 「二年余り、病床についたようですが、その時、糸路どのは家計を助ける意味もあって、近所の山村甚兵衛どのの屋敷へ女中奉公に行ったそうです」  女中奉公といっても通いで、夜は家へ帰る。 「山村家は旗本で当主の甚兵衛と申すのは病身で、無論、お役にはついていません。しかし、母親の実家が富商だとかで、暮しには充分、ゆとりがあるようです」  甚兵衛も妻を商家からもらって、夫婦の間に常太郎という一人息子がいる。 「今から八年前が十八歳だったといいますから、当年二十六歳になります」 「源さん、八年前になにがあったんだ」 「山村家ではひたかくしにかくしていますし、勿論、公《おおやけ》にはなっていません。しかし、近所の者はみんな憶えていましたよ」  東吾が親友の目の奥をみつめた。 「川上どのの娘が頓死した理由だな」 「あれは、常太郎に殺されたのだそうです」  常太郎というのは、生まれつき常軌を逸したところがあり、 「子供の時はわからなかったようですが、十五、六からそのきざしがみえて来て、突然、飼犬を殺したり、近所の猫をつかまえて来ては、竹刀《しない》の糸で首を締めて吊しておいたりと異常な振舞をするようになったそうです」  癇《かん》が強く、自分の気に入らないことがあると荒れ狂う。 「医者にかかり、薬なども飲んでいたようですが、時折、発作を起すとか……」 「それで、糸路どのを殺したのか」 「手ごめにしようとして抵抗されたので殺してしまったと、取調べに対して答えたと申します」  殺した相手が微禄であろうと武士の娘だったから、全くの内聞には出来ず、公儀が事情を調べたのだが、 「山村家は、だいぶ金を使ったそうですな」  医者が常太郎の病気のことをいい立て、事件当時、常太郎は心神喪失の状態だったとして罪一等を減じられた。 「山村家は座敷牢を作って常太郎を終生、押しこめにするということで処罰を免れたのですが、それは当座のことで、今はごく普通に屋敷の中で暮していて、内々ですが嫁も迎え、子供もいるといいます」 「川上武八どのは、それで納得されたのか」  いわば、狂犬に一人娘を殺されたようなものである。 「納得はされなかったでしょうが、何分にもお上のお裁きです」  それに、その当時、武八は病床にあった。 「ともかくも歩けるようになるまでに、五年くらいかかったそうですからね」  その間の治療費やら看護人の世話などは、山村家が負担した。 「武八どのは、それを受けられたのか」 「心ならずも、でしょうな」  なんにしても、未だに山村家では川上武八を怖れていると、源三郎はいった。 「殊に、川上どのが射撃の練習に通っていると聞いて青くなったようですな」  これまでも、常太郎を外に出さないようにしていたが、今度は、鉄砲を撃ち込まれるのではないかと、土塀を高くしたり、常太郎を蔵の中で寝起きさせていると、これは、山村家と親しい旗本のところに出入りをしている同心から聞いたことで、 「実をいいますと、山村家からその旗本を通じて、同心の児玉大三郎どのにそれとなく屋敷を見廻ってもらえないかと依頼があったそうですが、児玉どのは、町方の支配ではないからと断ったそうです」  仮にも旗本が不浄役人と日頃、軽んじている奉行所の役人を番犬代りに使おうというのは虫がよすぎると、奉行所で笑い話になっているらしい。 「待ってくれ、源さん。山村家は川上武八どのが、今でも常太郎を怨《うら》んでいて、銃で狙撃するかも知れないと怖れているんだな」 「そういうことです」  東吾が立ち上った。 「すまないが、源さん、一緒に行ってくれ」  るいを呼ぼうとして、はっと気がついた。 「あいつ、だらだら祭を見物に行ったんだ」  芝神明宮《しばしんめいぐう》の大祭であった。  九月十一日からはじまって二十一日までの長い祭なので、俗に江戸っ子はだらだら祭と呼んでいる。 「かわせみ」の常連で、上方《かみがた》から来ている客がその祭を見物したいというので、るいが案内|旁《かたがた》、一緒に出かけていた。 「帰って来たら、源さんと御用のことで出かけたといってくれ」  嘉助にいいおいて、慌《あわただ》しく大川端《おおかわばた》を出る。  鉄砲洲《てつぽうず》から築地を抜けて、汐留橋から芝口へ入ると、ここらからは神明様の氏子で祭提灯が賑やかであった。 「東吾さんは、越中島の調練所で銃が紛失したのと、川上どのを結びつけて考えたわけですか」  歩きながら、源三郎がいった。 「なんだか、いやな予感がするんだ」  東吾の脳裡に浮んでいるのは、先日、麻生家の花世をみて涙をこぼした川上武八の表情である。 「そういう譬《たと》えはよくねえが、もしも、花世が、糸路どののようなことになったら、俺は常太郎をぶった斬る。お上のお裁きもへったくれもねえ」 「東吾さん」  ひょっとして、武八が養子を迎えもせず、川上家のさきゆきに対して、なんの手だてもしていないのは、いつの日か、娘の仇を討つ決心があるせいではないのか。  そう考えると、この間からの武八の言動の平仄《ひようそく》が合うのだと東吾はいった。 「しかし、仮に銃を持ち出したのが川上どのだとしても、山村家のまわりは武家屋敷ばかりですからね。まさか屋根に登らせてくれともいえないでしょう」  山村家は土塀を高くし、常太郎は蔵の中で暮している。  芝口一丁目から二丁目、三丁目、源助町、露月町と行くに従って祭の人出はどんどん増えた。  め組の半纏《はんてん》を着た若い衆が威勢よくかけ抜けて行く。  御神酒所《おみきしよ》の前では子供達が山車《だし》の太鼓を叩いていた。 「川上どのの屋敷は増上寺の裏だそうですね……」  雑踏がひどくなって来て源三郎が東吾に訊いた。 「古川のむこう側、将監橋《しようげんばし》の近くということだが……」 「そうすると、やはり、神明様の前を通らなければなりませんね」  宇田川町で右折しても、増上寺の塔頭《たつちゆう》が天徳寺のほうまでつながっているので、大廻りになってしまう。 「若先生じゃござんせんか」  声をかけて、東吾の前へとび出して来たのは飯倉の岡っ引の仙五郎であった。 「なんだ、親分も祭見物か」  と東吾はいったが、芝神明とはさして遠くもない飯倉から、町内の名主連中に頼まれて祭の警固に出ているのであった。 「そこらで、うちの内儀《かみ》さんに会わなかったか」  と訊いてみたが、仙五郎は今しがたまで将監橋の袂《たもと》で喧嘩の仲裁をしていたという。 「祭に喧嘩はつきものでござんして、め組の若いのが間に入ったんですがおさまりませんで、血の気の多いのが次々とび出して来まして、ちょいとばかり手を焼きました」  結局、飯倉の仙五郎親分の口ききでおさまったということらしく、仙五郎は少しばかり得意そうな顔をしている。 「いったい、なんで喧嘩になったんだ」  人波が神明宮のほうへ向って動いているので、立ち止ることが出来ず、東吾も源三郎も仙五郎も、その中に入って歩きながら話している。 「それが、どうもはっきりしませんで……誰かしかけた奴がいたようなんですが、おさまってみると、そいつは影も形もねえんで、人を馬鹿にした話です」  ふっと東吾の眉が曇った。足が急に早くなる。  神明宮の前を素通りして大門《だいもん》から増上寺の塀に沿って行くと道は将監橋へ出る。  どこかで花火の上ったような音がした。  一発、二発、そしてたて続けに数発。 「銃の音だ」  東吾を先頭に男三人が走りに走って橋を渡ると右手は古川に沿って空地になって居り、群衆がひしめいている。  空地のまん中に大きな櫓《やぐら》が組まれていた。  かなりの高さの所に祭の若い衆の姿がみえ、太鼓がみえた。  若い衆が櫓の上から、血相変えて叫んでいる。  仙五郎が十手を振り廻して群衆をかき分け、源三郎が櫓の下へたどりついた。 「今の音はなんだ、いったい、どうしたのだ」  櫓の下にいた祭半纏の若い衆と上から下りて来たのが、青い顔でこもごも答えた。 「なにがなんだか……」  侍が櫓の上に登っていたという。 「俺達は将監橋の喧嘩でめ組がやられているというんで、櫓を下りてかけつけたんで……」  喧嘩がおさまって、酒がくばられて、いい気持で飲んで櫓のほうへ戻りかけると、 「いきなり、ぱん、ぱんとひでえ音がして」  なんだ、なんだと戻って来ると、 「侍がね、いえ、お侍さんが櫓から下りて来て……」 「鉄砲を持っているんです、鉄砲を……」  東吾がどなった。 「どっちへ行った」  さあと若い衆が顔を見合せた。 「なんか、すうっと消えちまったみたいで……」 「その侍は、足が悪くなかったか」 「そういやあ、片足をひきずってたかも知れねえです」  祭の世話人らしいのが仙五郎とやって来た。 「旦那、鉄砲を撃ち込まれたのは、そのむこうの山村というお旗本で……」  櫓の上からは山村家の土蔵や庭が見渡せる筈《はず》であった。  東吾と源三郎はまっしぐらに山村家へ行った。  門のところに用人らしい白髪頭が、かけつけてきた隣近所の屋敷の侍に、なにか叫んでいる。  東吾と源三郎が、その前にたどりついた時、門の中から若い女が半狂乱の顔を出した。 「常太郎様が、ひどくおびえて裏門からとび出して行きました……」 「なんということ……」  まっ青になっている用人の前から東吾は走り出した。  山村家の裏門は古川沿いの空地へ向いている。将監橋のほうへ行けば、例の櫓にぶつかるから、まず、そっちへは逃げまいと考えた。  鉄砲を撃ち込まれて、逆上して屋敷をとび出したものである。  古川沿いを赤羽橋のほうへ向ったと判断して、東吾は武家屋敷の中の道を西へ行った。  左側は薩摩宰相の上屋敷で、銃声を聞きつけたのか、侍が門の外へ出て来ている。  その前をすり抜けると、十字路に出る。  右は赤羽橋、左へ行けば芝浜への道であった。 「源さん、赤羽橋のほうをみてくれ、俺はこっちへ行ってみる」  左右に別れた。  これは最初から川上武八の企んだことだと悟っていた。  武八は、祭で古川沿いの空地に出来た高い櫓に気がついたに違いない。  その上に登れば、山村家の屋敷内が見渡せる。  越中島の調練所から手馴れた洋銃を持ち出し、おそらく金をやって喧嘩をしかけさせた。  櫓の上にいた連中が喧嘩さわぎにかけつけて行き、武八は銃を持って登った。  銃を撃ち込んだのは、常太郎の姿をみかけたからではあるまいと思った。  もし、常太郎が櫓から見える位置にいたのなら、武八の銃口が撃ち損じる筈がなかった。  百発百中の腕を持つ武八のことである。  銃を撃ったのは、山村家の屋敷内を動揺させ、常太郎が蔵から出て来るのをねらったのだろうが、その前に若い衆が戻って来るのがみえた。  鉄砲の音で四隣《あたり》もさわぎ出している。櫓の上にいては、捕えられるのを待つだけだから、当然、下りて逃げる。  とすれば、山村家の様子をどこかで窺《うかが》っていただろうし、常太郎が裏門を出たのをみたかも知れなかった。  なんにしても、武八は足が悪かった。そう素早くは動けない。  東吾が行く道は三田の町屋であった。  神明宮のほうの雑踏が嘘のように静かだが、それでも人通りが全くないわけではない。  通りすがりの町人に訊いてみると、たしかに足の悪い侍が歩いて行くのを見たという。  ところが三田同朋町でもう一度、訊いてみると、そんな者は通らなかったという返事であった。  同朋町へ来るまでに、横町はいくつかあったが、右へ折れる路地はいずれも行き止りであった。  左へ折れるのは、同朋町へ入る手前、内藤丹波守の上屋敷の脇だ。  ひき返して東吾はその路地へ入った。  これは大名家の上屋敷に囲まれた道で人通りは全くない。  古川での銃声もここまでは聞えなかったとみえて、どの屋敷も平常のまま、門を閉じてひっそりと静まりかえっている。  松平壱岐守の上屋敷の前を過ぎると六軒町であった。  このあたりで路地は複雑に交差している。  走り廻ったあげく、東吾は豆腐屋に、足の悪い侍が浜のほうへ行くのをみたと教えられた。  本芝の通りを横切ると海の気配がした。  潮の香がする。  日輪は大きく西へ傾いて、海辺は暮れかけていた。  砂浜へ出た。  人っ子一人みえない。  右手に松林があった。  その先は鹿島明神の社《やしろ》がある。  人影が松のむこうに動いた。  東吾は砂を蹴って近づいた。  むこうが、東吾をみる。やはり、川上武八であった。  銃を杖にして立っている。 「あなたが、来て下さったのか」  かすかな微笑が痩《や》せた顔に広がった。 「わたしが銃を持ち出したと知って、訪ねて来られたのでしょう」 「山村家のこと、まことに理不尽……」  傍まで来た東吾に、武八が手を上げて指した。沖の彼方である。  白い波頭のたっている沖の海に、東吾は一人の男が泳いでいるのをみた。 「あれは……」 「常太郎でござる」  追いつめられて海にとび込んだのかと東吾は思ったが、武八の言葉によると、彼がここにたどりついた時、すでに常太郎は泳いでいたという。  恐怖の余り、異常になったものだろうか。 「この距離なら、あなたの腕なら、間違いなく一発で仕止められる筈……」  弾がなくなったのかと訊いた。  不思議なことだが、せっぱつまった状態という感じが、東吾もしなくなっていた。川上武八の態度が、あまりにも穏やかで悠然としているせいである。  この人物が今しがた旗本の屋敷に鉄砲を撃ち込んだとは、とても思えない。 「いや、弾はまだ三発あります」 「では、何故……」  将軍家のお膝下《ひざもと》で銃を発射すれば極刑ときまっている。  それを承知で川上武八は娘の怨みを晴らそうとしたのではなかったのか。 「ごらん下さい。彼奴《きやつ》は子供を背負っているのです」  武八にいわれて、東吾は目をこらした。  かなりの距離があり、常太郎の姿が波にみえかくれするので定かとはいえないが、確かに赤い着物の子が背中に乗っているようである。 「あれは……」 「常太郎の娘。たしか三つになる」  すると、常太郎は屋敷を逃げ出す時、自分の娘を背負って出たものか。 「娘に、なんの罪があろうなどと立派なことを考えたのではござらぬ」  立っているのが耐え難くなったのか、武八は砂地に腰を下した。 「ただ、あの姿をみて、手前はあの子が娘の糸路に重なって……その昔、よく糸路をつれて、この浜へ来たものでござる。手前は水泳ぎが好きで、小さな娘を背に乗せて、沖へ泳いだものでござった。その折の、糸路の声や、首にしがみついていたあの子の手が思い出されて……我ながら、不覚なことと存ずるが……」  東吾は海を眺めた。  暮れなずんだ沖のあたり、波はやや高くなっている。  どこへ向って泳ごうとしているのか、常太郎の姿は薄暮の海に浮んだごみのようにみえる。  松の梢《こずえ》を潮風が吹いて、川上武八がゆっくりと立ち上った。      三  常太郎の水死体が品川沖で発見されたのは翌日のこと、娘のほうはどこへ流されたのか行方が知れなかった。  川上武八は、屋敷へ戻って銃で自殺し、その家は取り潰しになった。  大川端の「かわせみ」では、るいが神明宮の生姜市《しようがいち》で買って来た生姜が、毎日のように食膳に出た。 「なにしろ、まあ、ずらりと生姜の店が並んでいて、どの店もとぶように売れているんですよ。神明様のお祭に行って、生姜を買わない人なんてありません。なんていったって、薬味にしておいしいし、体のためにもいいんですって……」  得意になっていうるいは、生姜の他にもう一つ、買い物をして来た。 「千木笥《ちぎばこ》っていうんです」  檜《ひのき》の曲物《まげもの》に藤の花が描かれていて、その中に豆が入っている。 「この箱を箪笥に入れておくと着物が増えるんです。神明さんの世話人さんが教えてくれたんですよ」  いそいそと箪笥をのぞいている女房を眺めて、東吾は胸算用をした。  講武所から給金が出たら、日本橋本町へでもいって正月用の晴れ着でも買ってやるより仕方がない。  庭で百舌《もず》が啼いた。 [#改ページ]   おたぬきさん      一  柳原という名前の通り、神田川の筋違《すじかい》御門から浅草御門までの堤には川に沿って柳の木がずらりと並んでいる。  柳森稲荷社は、この柳原の和泉橋の西詰、堤の下に鎮座していた。  もともとは、太田道灌《おおたどうかん》が江戸城にあった頃、この辺り一帯の鎮守神であり、城から鬼門に当るので、方除《かたよ》けに柳を植えたとも伝えられている。  平素は、それほど参詣人が多くはなく、川岸の静かな神社で、聞えて来るのは、神田川を上り下りする舟の櫓《ろ》の音ぐらいなのに、毎月十五日だけは、足のふみ場もないほどの雑踏になった。  理由は、この日、境内にある福寿神の祠《ほこら》に「おたぬきさん」が出開帳《でがいちよう》するからであった。 「おたぬきさん」という愛称で呼ばれているのは木像に漆《うるし》をほどこした七寸ばかりの木彫りの狸で、五代将軍綱吉の生母、桂昌院が信仰していたといわれ、大奥から旗本瓦林家へ伝えられている。  この「おたぬきさん」に願をかけると福を呼ぶといい、米相場や小豆相場に手を出して首尾よく利をあげたのだの、富くじに当っただのという者があって、商売繁昌から子宝を授かりたいというのまでが、ぞろぞろとお詣りにやって来る。  で、旗本の家でも困り果てて、柳森稲荷に毎月十五日だけ「おたぬきさん」をあずけて自由に参詣させるという慣例が、いつの頃からか出来た。  九月十五日、神林東吾が柳森稲荷の前を通りかかったのは講武所の帰り道に、るいに頼まれて和泉橋の近くにある団子屋へ寄ったからであった。  もっとも、正確にいうと、頼まれたというのは当っていない。今朝、出がけにるいとお吉が註文しておいた団子を誰が取りに行くかと話をしていたのを小耳にはさんだ東吾が、 「柳原なら帰り道に寄って来てやるよ」  と引き受けた。  筋違から清水山の前を通って柳森稲荷の近くまで来ると長い行列が出来ている。  なんだろうと足を止めると、 「東吾さんもお詣りですか」  道のすみから畝源三郎が声をかけて来た。背後に深川長寿庵の長助《ちようすけ》がついている。 「なんだい、この行列は。まさか、団子を買うのに並んでるってんじゃあるまいな」  東吾が訊《き》き、 「知らなかったんですか。今日はおたぬきさんの御開帳で……。なんでも先月ここに願をかけた石町《こくちよう》の中島屋が小豆相場でえらく儲けたって評判で……そのせいですか、今月は格別の人出のようですよ」 「まさか、源さん、頼母子講《たのもしこう》でも当てようってんじゃあるまいな」 「お寺社から頼まれて見廻りに来ているんです。なにしろ、境内の中は押し合いへし合いで、掏摸《すり》にとっちゃいい稼ぎ場です」 「金儲けのお詣りに来て、胴巻抜かれてりゃあ、世話はねえな」  憎まれ口を叩き合っていると、柳森稲荷のほうから群衆をかきわけるようにして若い男がとび出して来た。 「お医者を……誰か、お医者を……」  と叫んでいる様子が只事ではない。  長助がそっちへ走った。 「どうした、病人か」  声をかけられた男が青い顔で告げた。 「お内儀《かみ》さんが、血を吐いて……」  東吾と源三郎が一瞬、顔を見合せた。 「どこだ。案内しろ」  長助を先頭に、参詣人の行列を突っ切って境内へ入った。  大きな銀杏《いちよう》の古木が枝を広げている一方に茶屋があった。縁台をいくつも出してあって長い行列のあげく参詣をすませた人々が疲れ切って一休みしているのだが、そのあたりに人だかりがしていた。 「寄るな。寄るな。見世物じゃねえぞ」  と、どなっているのは、やはり今日、境内の混雑の整理に駆り出されて来ていたお手先の庄太という若い衆で、長助と共にやって来た畝源三郎の姿をみると、ほっとしたように肩の力を抜いた。 「深川の親分、えらいことで……」  庄太の声で、縁台のところにかがみ込んでいたきちんとした身なりの男が立ち上って小腰をかがめた。 「おさわがせ申します。手前は鎌倉河岸の相模屋の主人、辰三郎でございます。家内が俄《にわ》かの発病で……どうぞ、お医者をお願い申します」  源三郎と東吾が縁台の上に寝かされている商家の内儀の様子をみた。  顔はすでに土気色で、傍についている娘だろう、まだ若いのが手拭で口許を拭いてやっているのだが、その口のまわりも手拭も赤く血に染まっている。  長助が二人の背後からいった。 「お医者が参りました」  さっき、この境内に入る折、長助が自分について来たお手先の一人を医者を呼びに走らせたものである。  神田連雀町に住む町医だったが一目で首を振った。  すでに絶命しているという。 「死因はわかるか」  東吾に訊かれて、 「この臭いは、おそらく石見銀山《いわみぎんざん》ねずみ取りでございましょう」  とすると、毒を盛られて殺されたという可能性が出て来る。  長助がお手先を指図して野次馬を追い、とりあえず茶屋にあった葭簀《よしず》で囲った中で、畝源三郎の取調べがはじまった。  この一行は最初に名乗った鎌倉河岸の相模屋の主人、辰三郎とその女房のお勝、傍にいるのが娘のお八重と、親類の娘だというお秋、それから、手代の小吉の五人連れであった。 「今日は、家族揃っておたぬきさんの御開帳へお詣りに参りまして、あまり人出が多うございましたせいか、お勝が気分がよくないと申しまして、この茶店で休みましたので……」  と辰三郎が額ぎわに脂汗を浮べながら、源三郎の問いに漸《ようや》く答えた。  突然の女房の死に取り乱していて、声も上ずっている。 「鎌倉河岸の家を出てから、お勝が口にしたものは……」 「なんにもございません。途中、寄り道も致しませんし、この茶店で薬を飲むまでは……」 「薬とは……」 「お勝はのぼせ性で、陽気の変り目にはよく具合が悪くなりますので、かかりつけのお医者からお薬を調合して頂いて居りまして、今日も、それを持参して居りました」 「薬は、お勝が持っていたのか」 「はい。懐紙ばさみの間に入れて、懐《ふところ》に……」 「服用には水か茶を用いたのだろう」 「手前は飲むところをみて居りませんでしたが……」  娘のお八重がいった。 「お茶です。ここの茶店の……」  その茶碗は縁台の上においたままである。  源三郎がお勝の懐紙入れを抜き取って中を調べた。薬の小さな包が、まだ二つ、はさみ込んである。 「これは、あずかるぞ」  長助に命じて、茶碗もそこに出ている五人分を回収させた。 「では、遺骸を自宅へ運ぶように……」  はじめてお秋という娘が声を出して泣きはじめた。      二  東吾が団子を買って帰って来ると「かわせみ」の居間に月見の仕度が出来ていた。 「この前の十五夜は雨でしたから……」  今夜は晴れそうですね、とお吉が空を眺めるようにしていう。  柳森稲荷での出来事を話すと、女二人が眉をひそめた。 「殺されたんでしょうか」  と、まず、るいがいう。 「そいつは今頃、源さんが調べているだろうが、自分で死のうという場合、わざわざおたぬきさんの開帳の混雑の中で毒を飲むかね」  人間の気持として、よくよく、せっぱつまった場合でもなければ、静かな、他人に邪魔をされない所をえらぶものではないかと東吾はいった。 「鎌倉河岸の相模屋さんといえば、大きな米問屋だったと思いますが、そんな家のお内儀さんに死ななけりゃならない理由があるとは思えませんね」  お吉は相模屋を知っているようであった。 「鎌倉河岸じゃずば抜けて大店《おおだな》ですよ。たしか、御当主は清右衛門さんといいました」 「いや、辰三郎といったぞ。みたところ、三十そこそこの若い主人だった」 「それじゃ、あたしの知ってる相模屋さんとは違いますよ」  いつものように、がやがやと賑やかな中で着替えをすませ、るいがすぐ夜の御膳にしましょうかといったのを、 「ちょっと待ってみよう、源さんが寄るかも知れない」  東吾は団子でお茶を飲み、縁側で月の出を待っていた。  果して、月がまだ上らない中《うち》に源三郎がやってきた。 「やっぱり、うちの若先生と畝の旦那とは、以心伝心っていうんですねえ」  お吉がいそいそと酒を運び、 「これは有難いですな」  源三郎が盃を取った。 「やはり、相模屋の女房は殺されたようですよ」  酒が咽喉《のど》を通ってすぐに報告した。 「殺されるような理由があるのか」 「今のところありません。ただ、自分から死ぬ理由もないのでして……」  懐中から懐紙を出して、間に入れて来た薬包を出した。 「お勝のかかりつけの朴庵の話ですと、この薬は、いわばのぼせを鎮めるものでして、血の道の病気にも効果があるところから、お勝には昨年あたりから調合して渡しているのだそうでして。お勝が懐中していたのも、家の手文庫にしまっておいたのも残らず調べさせましたが、薬に異常はありませんでした」  茶店から持って来た茶碗の中身も、 「五つとも、ただの茶です」  すると、お勝が茶店で飲んだものだけが毒物ということになる。 「少くとも、それは外から見た限りでは、いつも飲んでいる薬と変りなかったのでしょう」  薬包も薬そのものも平素、常用しているのと見分けがつかなかったから、お勝は毒と知らずに飲んでしまった。 「朴庵は自分の渡した薬にそんなものが混っている筈《はず》はないと申していますが、彼が誰かから頼まれて、薬に細工をしたのかも知れません」  又、お勝は薬をいつも居間の手文庫の中に入れておいたから、家の者が中身を取り替えようとすれば、これも出来ないことではない。 「毒物の石見銀山ねずみ取りですが、これは年中、相模屋においてあるそうで……」  相模屋は米問屋であった。商売物の米を守るためにも、ねずみ取りは必需品であった。 「鎌倉河岸の相模屋さんと申しますと、御主人は清右衛門さんとおっしゃるんじゃありませんか」  湯豆腐を運んで来たお吉が訊いた。 「清右衛門は二年ほど前に病死して、今の主人はその弟の辰三郎で……今年になって兄嫁のお勝と夫婦になったそうですよ」  娘のお八重は清右衛門とお勝の間に生まれた子で、今年十七になる。 「お勝はいくつだ」  と東吾。 「三十五、辰三郎より五歳年上です」 「辰三郎のほうは、今まで独りだったのか」 「嫁をもらって分家をさせるという話はあったそうですが、何分、金のかかることですし、実現しなかったようですね」  黙って聞いていた東吾が、ぽつんといった。 「明日にでも、相模屋へ行ってみようか」  源三郎が嬉しそうな顔をした。 「そう願えると助かります。どうも、この件、案外、根が深いのではないかという気がするのです」  酒を二本。膳の上のものをきれいに片づけて、源三郎は八丁堀へ帰って行った。  そのあとで、東吾はついこないだ麻生家へ行った時、宗太郎から借りて来た本草学《ほんぞうがく》の書物を開いてしきりに考え込んでいる。  そんな亭主を横目にみて、るいは縁先から中天を仰いだ。  雲一つない夜空に、月は一人でみるのがもったいないほど冴え冴えと輝いている。  ことりと小さな足音がして、お吉がるいの隣に並んだ。 「まるで仏さまみたいに神々しい感じがしますね」  小さくささやいて、居間の東吾をちらりとみた。 「こんなお月夜に人殺しの話を持ち込む畝様も畝様ですけど、うちの若先生もあんまり風流とは御縁がないようで……」  翌日、長助が迎えに来て、東吾は「かわせみ」を出た。  秋はめっきり深くなって、大川の堤で、枯尾花《かれおばな》が風に揺れている。 「相模屋のお内儀さんも運がねえというか、おたぬきさんに福を授かりに行って死んじまっちゃあ話になりません」  首をすくめた長助に、東吾が訊いた。 「相模屋の家族の評判はどうなんだ」 「いいとも悪いとも、ごく当り前じゃねえかと思います」  というのが長助の返事であった。 「殺されたお勝さんですが、しっかり者の女房で、近所の噂では特に悪くいう者はございませんでした」 「清右衛門という亭主が死んで二年そこそこで、義理の弟と夫婦になったようだが、清右衛門が生きている中から、辰三郎といい仲だったということはあるまいな」  昨日、東吾がみたお勝はすでに血を吐いて死んでいたのだが、どちらかといえば年増の厚化粧で、着ているものも、年齢より派手であった。 「それはねえようでございます。あのお内儀さんが辰三郎と夫婦になるというのは御親類方が決めたそうで、まあ、お勝さんも三十五、後家を通させるにゃ、ちょっと気の毒だし、辰三郎ならば、ずっと商売を手伝っていて店のことにも明るい。さきゆきは娘のお八重さんに聟を取って家を継がせるにしろ、当座は、これが一番いいという判断でして……」 「二人に異存はなかったのか」 「お勝さんはだいぶ迷っていなさったと、番頭がいって居りました。ですが、女手じゃ米問屋をやって行くのは無理でございます」 「辰三郎に女はいなかったのか」  長助が、ぼんのくぼに手をやった。 「そいつは、まだ訊《き》いて居りません」  鎌倉河岸とは、神田三河町一丁目と竜閑橋の間の川べりをいうので、その昔、江戸城を築いた際に、鎌倉から運んで来た石を、この河岸から荷揚げしたので、この名がついたらしい。  相模屋はこの鎌倉河岸に向っていて、町名からいうと神田鎌倉町に属していた。  店は大戸が下り、忌中の札が出ている。  表に立っていたお手先の庄太が、長助に耳打ちされ、心得たように路地に面した入口から東吾を案内した。  畝源三郎は町役人《ちようやくにん》と共に、奥座敷にいた。  廊下をへだてたほうの居間は法要の準備が出来ていて、手伝いに来たらしい近所の女達が働いている。  奥座敷には、主人の辰三郎と娘のお八重、それに相模屋にとっては本家筋に当る湊屋吉右衛門という年配の男がひかえていた。  源三郎が東吾を引き合せ、早速に東吾が訊いた。 「この家には石見銀山ねずみ取りがいつもおいてあるそうだが、それをちょっとみせてもらいたい」  お八重が出て行って、四角い陶製の蓋付の箱を持って来た。 「これは、いつも、どこにおいておくのだ」 「米蔵の前の物置です」  源三郎が縁側のほうの障子を少しばかり開けた。そこから庭のむこうの米蔵が見える。  蔵の前に小さな物置小屋がある。 「あそこは誰でも入れるのだろうな」  東吾の言葉に、辰三郎がうなずいた。 「別に鍵をかけては居りませんし、店の者も奥むきの女中達も始終、出入りをして居ります」  箱の蓋を取り、東吾が顔を近づけた。  和紙にくるんである石見銀山ねずみ取りは殆ど臭いがなかった。 「こいつは、普通の家で使ってる奴と違うようだな」  東吾の言葉に、辰三郎がうなずいた。 「おっしゃるように、特別のもので……手前どものようなねずみの好物を扱います店では、毒に馴れると申しますか、ねずみが強くなりまして、ごく当り前のねずみ取りでは効き目が薄うございます。それで、生薬屋に頼みまして、よく効くものを調合して使って居りますので……」  そういう強い毒物を、誰でも出入りする場所においたことを、湊屋吉右衛門にとがめられたが、と、辰三郎は体を縮めるようにして頭を垂れた。 「つい、ねずみを退治するために使うということで……よもや……他のことには……」  薬を包んでいる紙の上には、ねずみ取りと朱書がしてある。 「そりゃあそうだ。まさか、これで人殺しをするとは思うまい」  あっさり笑って、東吾は蓋物を返した。 「ところで、お勝は朴庵からもらっていた薬をよく飲んでいたらしいが、そいつはいつ頃からのことだ」  辰三郎が首をかしげ、お八重が、 「この春からだと思います」  と答えた。 「今年になってからか」 「はい、以前から朴庵先生には風邪をひいた時とかに診《み》て頂いていましたが、まとまってお薬を頂くようになりましたのは、春の終り頃からで……」 「毎日、飲んでいたのか」 「いえ、そうでもございません。体の調子がよくない時に、一服ずつ……」 「昨日、薬を飲もうといい出したのは、お勝か」 「はい、茶店で休んでいる中に、自分で懐紙の間から取り出しまして……」 「懐紙の間には他にも何包かあったようだが、その中からお勝が自分で一つを出したのだな」 「そうです」  大事なことを訊かれていると気がついたらしく、お八重は目を大きく開き、緊張して返事をしている。  格別、美人というのではないが、丸顔で口許に娘らしい愛敬があり、利発そうな感じがする。 「もう一度、訊《たず》ねるが、薬を飲もうといい出したのもお勝なら、薬をとり出したのもお勝なのだな」  お八重が大きくうなずき、傍から辰三郎もいった。 「左様でございます。気分がよくないので一服飲んでおこうと……」 「茶は誰がとってやったのだ」 「茶店の婆さんがお盆にのせて来たのを銘々が取りまして、お勝もそうしたと思います」  辰三郎が答え、お八重が同意を示した。 「では、もう一つ、お勝が薬を飲んだあと、その薬を包んでいた紙はどうしたのだ」  東吾が源三郎と現場にかけつけて行った時、お勝の寝かされていた辺りに、薬の包紙のようなものはなかった。 「それは……」  お八重が懸命に思い出そうとした。 「たしか、あの時、お秋さんが受け取ったような気がしましたが……」  長助が、お秋を呼んで来て、東吾が同じことを訊ねた。 「薬の包紙ですか」  あっけにとられたようなお秋の返事であった。 「もし、受け取ったとしたら、多分、袂《たもと》の中ではないかと……」  再び、長助がとび出して行って、女中から、お秋の昨日着ていた着物を受け取って持って来たが、 「いえ、あるとすれば、襦袢《じゆばん》の袂の中です」  といわれて、今度は長襦袢を抱えて来た。  薬の包紙は、たしかに長襦袢の袂にくしゃくしゃに丸めて入っていた。 「お勝は、いつも薬を飲んだあと、包紙を傍の者に渡すのか」  と東吾が訊ね、お秋もお八重もかぶりを振った。大抵は自分で屑籠に入れるか、さもなければ、二つ折りにして懐に入れたりすると二人の女は思い出すようにしていった。 「すると、昨日に限って、お秋に渡したんだな」  お秋が考え込んだ。 「そういえば、包紙を渡す時、すまないねとか……すまなかったとかおっしゃったような気がします」  すまないが、紙を捨ててくれという意味だったのだろうかと、お秋は、はじめて不安そうな表情になった。      三  東吾と源三郎が相模屋を出ると、湊屋吉右衛門が外までついて来た。 「お勝は殺されたのでございましょうか」  途方に暮れた声で訊いた。 「というと……」  東吾がふりむいた。 「自殺するようなわけがあるというのか」  吉右衛門が激しく否定した。 「左様なことはあるまいと存じます。お勝は辰三郎と夫婦になったことで、安心をして居りました。これで店のほうも旨《うま》くやって行けるし、慌てて、お八重に聟を取らなくともよいと……」 「二人を夫婦にと勧めたのは、親類方の意向だったそうだな」 「手前が考えたことでございます。他の親類も賛成してくれまして……」 「お勝は迷っていたそうではないか」 「やはり、五つも年上ということもございましょう。それと、娘のお八重が、死んだ父親を恋しがって居りましたので……」 「母親が辰三郎と夫婦になるのに反対だったのか」 「利口な子でございますから、口に出しては何も……ですが、母親には娘の気持がわかるものではございませんか」 「お秋のほうはどうだ。あれは清右衛門の親類の娘だそうだが……」  吉右衛門が苦笑した。 「親類と申しましても、血の続きはございませんので……」  清右衛門、辰三郎兄弟の妹が後妻に入った家の、先妻の娘だといった。 「やはり、生《な》さぬ仲で、おたがい気苦労ではないかというので、清右衛門が引き取りましたので……」 「嫁入りの話はないのか」 「いろいろと話だけはあったようですが、当人が気のり薄で、まとまらなかったと聞いて居ります」 「辰三郎といい仲だったということはないのか」 「それはございますまい。仮にも伯父と姪の間柄でございますし……」  しかし、血のつながりはなかった。  吉右衛門と別れて歩き出しながら、東吾が源三郎に呟《つぶや》いた。 「こいつは思ったより厄介だ。俺にも皆目、見当がつかない」  源三郎が慎重に応じた。 「お秋という娘をどう思いますか」  寂しげな顔立ちだが、けっこう男心を惹《ひ》くものを持っている。 「三十の辰三郎には、年上のお勝より似合いにみえますがね」 「しかし、源さん、お勝は自分で薬を取り出して飲んでいるんだ。どうやってお秋が毒を盛ることが出来る」 「薬包を取り替えるとか……」 「あの賢い娘が傍でみていたんだ。そんな器用な真似が出来るだろうか」 「東吾さんは、誰に目星をつけて居られるのですか」 「そいつが、さっぱりわからねえ」  立ち寄ったのは、医者の朴庵の住居であった。  朴庵はうんざりした顔であった。  彼が調合した薬で相模屋の女房が死んだというのが瓦版《かわらばん》に出て、商売上ったりだという。 「手前が調合したのは血の道の薬で、毒などではございません。断じて……」  激昂するのを、東吾が制した。 「この薬包の紙をみてもらえないか」  お秋の袂から出たものであった。 「手前どもの薬紙でございます。いつも、薬を包んで差し上げる」  薬は銀色の粒であった。  一粒が南天の実ほどの大きさで、一包に八粒ほどが入っている。 「お勝が、この薬を用い出したのは、この春からだそうだが……」  以前から病身だったのかと訊かれて、朴庵は否定した。 「お内儀さんはお元気で、めったに床につくことはございませんでした。お弱かったのは歿った清右衛門さんでして……」  ただ、今年の春あたりから、お勝が体の不調を朴庵に訴えたという。 「ねむれないとおっしゃいまして……気が昂ぶって、動悸がするなどと……。まあ、女の方はあのくらいのお年になりますと体が変ってまいりますので、どなたにもあることですが、御当人にしてみれば心配なさるのも無理ではございません」  薬は、月に十包ぐらい渡して来たといった。 「今までに、なんの間違いもございません」 「今年の春というと、辰三郎と夫婦になってからだな」  と東吾。 「左様でございますな。御夫婦になられたのが、桜の花の咲く頃で……」  お勝が朴庵のところへ来たのは、三月のなかばだと帳簿をめくって答えた。 「お勝は自分の体について、何か話したことはなかったのか」 「始終でございました。肩が凝るとか、体がだるい、気が滅入る、胸が苦しいと、ですが、どれも本当の病気のせいではございません。いわば、あの年頃の女の気の病とでも申しましょうか」  朴庵の家を出て、東吾は源三郎からお勝の服用していた薬を一包、借りた。 「どうも、よくわからねえ。無駄だと思うが、本所《ほんじよ》の名医に訊いてみるよ」  麻生家へ行ってみると、宗太郎は近所の百姓を診ていた。 「もう終りますから、待っていて下さい」  という。  茶を運んで来た女中に訊くと、七重は娘の花世を伴って八丁堀の神林家へ出かけているらしい。 「女房も時々、外へ出してやりませんと、気鬱症になるのですよ」  患者を帰し、手を洗って、宗太郎が笑った。 「東吾さんも、たまにはおるいさんを連れて縁日だの、御開帳だのに出かけるとよろしい」 「俺は女房孝行だよ」  懐中から薬包を出した。 「神田の町医者で朴庵というのが調合した薬なんだ。当人は血の道の薬だといっている」  調べてくれないかと東吾にいわれて、宗太郎は銀色の丸薬を丁寧に潰した。  外からは銀色の珠だったのが、潰すと白い粉末になる。  臭いを嗅いだり、舐《な》めたり、紙の上に広げたりと、さんざん調べていた宗太郎がやがて苦笑した。 「これを、血の道の薬だといったのですか」 「違うのか」 「血の道といっても、いろいろありますのでね。いちがいに違うとはいえませんが……」  強いていえば、気を鎮める薬だといった。 「なんに効くのだ」 「なんにといわれると困りますがね」  この薬がどうかしましたか、と訊かれて、東吾は相模屋の内儀の話をした。 「それは、この薬のせいではなく、この薬に仕込んだ毒のせいですよ」 「仕込めるかな」 「簡単ですよ」  宗太郎が乳鉢の中で潰した粉末を匙《さじ》ですくった。 「この中に、石見銀山ねずみ取り、といっても、かなり毒性の強いものでしょうが、混ぜ合せて、水を加えて丸めればよいのです。乾けば、自然に珠のまわりは銀色になりますし、見分けはつきませんよ」 「素人でも出来るのか」 「出来ますとも……」  腕を組んだ東吾に宗太郎が笑った。 「犯人はわかりませんか」 「定石《じようせき》からいえば、辰三郎か、お秋かというところなんだが、なんにも証拠がないんでね」  新しい患者が来たのをしおに、東吾は大川端へ帰った。  翌日、長助が「かわせみ」へやって来た。 「妙な雲行きになりまして……」  鎌倉河岸の相模屋だが、 「法事の間に、御親類の方が、どうも、辰三郎旦那を疑っているような按配《あんばい》でして……なんですか、いやな感じになって居ります」  辰三郎も、そういう視線がわかって重苦しげな様子だという。 「疑われる理由はなんだ」 「やっぱり、年上の兄嫁さんよりも若い女がいいってことでござんしょうか」  長助が早口になったのは、ちょうどるいが酒の仕度をして入って来たからで、五つも年上ではないが、ここの夫婦も姉さん女房である。 「だが、それだけで女房を殺すかな」  お勝と夫婦になったことで、辰三郎は奉公人同様の身分から相模屋の主人に昇格出来た。 「あっしもそう思います。店の者や近所の話でも、辰三郎はお内儀さんを大事にしていたし、夫婦仲も決して悪くなかったと申しますし……」 「相模屋さんのお話ですか」  長助に酒を勧めていたるいが訊いた。 「へえ、左様で……」  自分のためのお膳まで出たので、長助は恐縮している。 「お秋との仲は、本当になんにもないのか」  もしも、辰三郎がお勝を殺すとすれば、理由はそれしかないと、東吾は考えている。 「その点は畝の旦那にいわれましたんで、あっしも庄太も随分と聞いて廻ったんですが、二人がいい仲だという者は一人も出て来ませんで……」  義理にもせよ、伯父姪の間柄なので、辰三郎がお秋になにかと優しくしてやることはあっても、それは色恋という感じではなく、といって辰三郎に特定の女がいたという話も聞かないと、長助は思案投げ首の体《てい》で話した。 「まあ、独り者の頃は、誘われて遊びに行っても、一人の女に熱くなったことはないんだそうで。辰三郎については、気の優しい、大人しい男だという者が多うございます」  相模屋の番頭や手代など奉公人達は、主人になっても、それ以前とあまり態度の変らない辰三郎に好感を持っている。 「但し、商売の決断と申しますか、ここぞという時に、ぱっと決めるような力はないそうで、番頭さんなんぞはさきざきその点が心配だとはいっていますが……」  たしかに、辰三郎という男の印象は、東吾の目にもそんなふうであった。  勇気とか男らしさには欠けるが、優しくて思いやりがありそうにみえる。 「そういうところは、前の旦那の清右衛門さんとは正反対だそうで……」  病弱ではあったが、清右衛門は商売に関しての才覚は鋭かったらしい。 「お勝からみると、辰三郎はたよりなかったかも知れないな」 「ですが……」  と長助は、すっかり赤くなった顔を撫でながら続けた。 「お勝さんは随分、辰三郎旦那に気を遣っていたそうで……そりゃまあ、なんていっても年下の御亭主で……いえ、旦那だけじゃなくて、娘のお八重さんにも、姪のお秋さんにも、なんだか、びくびくしているみたいだったと、こいつは女中のお民ってのもいってました」 「そりゃまあ、そうだろうな」  娘にすまないと思うのは、その娘の父親が死んで二年そこそこで、辰三郎と再婚したことを、母親として恥かしく思うせいだろうし、同時に清右衛門の身内であるお秋にも、後めたく、そうした気持が、二人の若い女に対してお勝が遠慮しているようにみえたのだろうと東吾も思う。 「しかし、その、人殺しの下手人がはっきりしねえというのは、なにかとみんなが疑心暗鬼って奴にとりつかれまして……」  長助がいいかけたのに、るいがぽつんと呟いた。 「本当に人殺しなんでしょうか」  東吾の表情をみて、いい直した。 「お勝さんという方の気持ですけれど、なんだか、追いつめられていたようで……」  ほう、と東吾が膝をのり出した。 「るいの意見を聞こうじゃないか」 「そんな御大層なものじゃありませんけど」  いいよどむのを、東吾がうながした。 「お勝が自殺したと思うのか」 「そこまではわかりませんけど、随分とつらい思いを抱えていたのではないかという気がして……」  亭主に死なれた女は、突っかい棒を失ったようなものではないかとるいはいった。 「なにもかも頼り切って暮して来たのが、急にお店のことも御商売のことも自分で判断しなければならない。番頭さんが助けてくれたとしても、御主人がいた時とは違いますでしょう」  急に重荷を負わされて、それでも曲りなりに女主人としてやって来て、今度は親類の勧めで、義弟と夫婦になった。 「結局、お店のためにはそれが一番いいと思ったんでしょうし、まわりの勧めを断り切れなかったのかも知れませんけど、女の気持としたら、なにかと厄介だと思います」  珍しく饒舌になっているるいに、東吾も長助も無言で聞いている。 「辰三郎さんが、心から自分を好いて夫婦になったのかどうかという点だけでも、不安なものでしょうし、実の娘さんには節操のない母親と思われているつらさもあるでしょう。それに、お秋さんという人にもどんなふうに思われているかわからない。店の奉公人や近所の人の思惑も気になる。そんなものじゃありませんか」  東吾が重くうなずいた。 「しかし、それで死ぬ気になるか」 「わかりませんけど、ただ、お勝さんが一人ぼっちに耐え切れなくなっていたのだと……」  自分の周囲に気を許せる者が一人もいない。  夫の辰三郎が自分と夫婦になったことを後悔しているのではないか、娘は自分を憎んでいる、お秋も自分をさげすんでいる。 「そんなふうに思いつめると、女はふっと何もかも捨てて、歿った御主人の傍へ行きたくなってしまうかも……」 「そりゃあ考えすぎだよ」  東吾は笑ったが、長助は目をしょぼしょぼさせていい出した。 「そういやあ、うちの近所の婆さんがよくいってます。御亭主に死なれてから世の中が味気なくて仕方がない。早く死にてえと……」 「その婆さん、自殺したか」 「しませんが、毎日、御亭主の墓まいりをしては、一日も早く迎えに来てくれと頼んでいるそうで……」 「そんなものさ。人間、死のうと思っても、なかなか死ねるもんじゃない」  るいが頭を下げた。 「すみません、可笑《おか》しなことをいっちまって……」  手を叩いてお吉に酒をいいつけ、長助は足許もおぼつかなくなるほど酔っぱらって深川へ帰った。  それから七日。  畝源三郎が町廻りの帰りに「かわせみ」へ寄った時、ちょうど、麻生宗太郎が来ていた。  宗太郎の患家でもある旗本の神保三千次郎が、昨年、屋敷に盗賊が入った折、東吾に世話になった礼として、今年も手作りの見事な菊の懸崖《けんがい》を用人に届けさせたのに宗太郎がついて来たもので、まるで黄色い滝のような懸崖の出来栄えに感心したあとで、源三郎が話した。 「相模屋のお秋が暇を取って出て行くようなのです。どうも、自分と辰三郎がいい仲だったような風評が立って、辰三郎が窮地に陥っているのにたまりかねた様子でして……」  未だに事件が解決できないでいる町方としては、気の毒でもあり、といいかけるのに宗太郎が口を出した。 「相模屋というと、この前、東吾さんが薬を持って来た家ですか」  あの薬のことだが、と思い出したように話した。 「少々、気になりまして、あの後でいろいろと書物を当ってみたのですが、その中に、あまり多用すると気力が減退し、気分が落ち込んで来て悪くすると死に至ると書いたものがありましたよ」  東吾と源三郎が驚いた。 「それじゃあ、お勝が血を吐いて死んだのは、朴庵からもらっていた薬のせいなのか」  宗太郎が二人を制した。 「いや、血を吐いて死ぬことはありません。ただ、生きているのが億劫《おつくう》になるというか、重苦しい気分に耐えられなくなるような。その結果、首をくくったり、川へとびこんだりという……」  源三郎が間の抜けた声でいった。 「すると、お勝は自殺ですか」 「それはわかりませんよ。ただ、あの薬には昂ぶった気分を鎮めたり、心を安らかにする効力はあるのですが、過ぎると今、申し上げたようなことにもなる。大体、薬というのはなんでも過ぎるといけない。医者が要心しなければならないのは、その点なのですが……」  東吾と源三郎が狐に化かされたような顔をした。 「そういや、この前、るいの奴が女心について、変な蘊蓄《うんちく》を垂れていやがったが……」  そして、又、二日。  相模屋のお八重が町役人付き添いで畝源三郎に会いに来た。 「お勝の遺書があったんですよ」  憤懣《ふんまん》やる方ないといった口調で、源三郎が「かわせみ」へ報告に来た。 「お八重が母親の遺品の整理をしていてみつけたそうです」  遺書は手文庫の中に、小風呂敷に包んで入っていたという。 「ごらんになるとわかりますが、要するに死んだ亭主にすまない、辰三郎やお秋にもすまない、娘にも申し訳ないと……それなら、なにも辰三郎と夫婦になることはなかったので……どうも、女の考えることは不可解ですよ」  お勝の遺書は、たしかにとりとめがなかった。 「辰三郎がお秋と夫婦になったほうがよかったと書いてあるが……お勝の思い込みなんだろうな」  東吾はいったが、るいは傍から首を振った。 「辰三郎さんの方は知りませんけど、お秋さんは辰三郎さんが好きだったと思いますよ」  そうでなければ、辰三郎と浮名が立って、彼が迷惑するからと、相模屋を出て行くのは平仄《ひようそく》が合わないと、るいは主張する。 「女の気持って、そういうものですよ。本当に好きな人のためなら、自分はどうなってもいい……」 「お勝は、お秋の気持に気がついていたのか」 「女には、女の心の中がみえるものですからね」  お秋の慕情を知っていながら、辰三郎と夫婦になったことにも、気がとがめていたのだろうとるいはいう。 「しかし、凄いことをするものですね」  源三郎が眉をしかめた。  遺書によると、お勝は自分で石見銀山ねずみ取りの毒の入った丸薬を作り、それを、他の薬とそっくり同じようにして紙に包み、しかも、薬包の中にまぜてしまったらしい。 「いつ、自分がそれを飲むか、自分でもわからない。飲んだ時があの世行きです。そんな怖ろしいことを、東吾さん、考えますか」  東吾が首をすくめた。 「男は、そんなしち面倒臭いことをやらないだろう」 「病気ですよ」  叫んだのは、お吉で、 「この前、宗太郎先生がおっしゃったそうじゃございませんか、その薬を飲んでいると神経が怪訝《おか》しくなって死にたくなるって……」  男達がいっせいに溜め息をついた。 「どうも、この件に関しては女にふり廻されっぱなしだったな」 「全く、女には困ります。お上《かみ》によけいなお手数をかけるのですから……」  このいそがしい時にやり切れないと愚痴をいいながら源三郎が帰り、そのあとで、お吉がいった。 「柳森稲荷のおたぬきさんですが、ちょっとひどいじゃありませんか」  折角、参詣に行ったのに、福を授けるどころか、その茶店でお勝がえらび出した薬包が毒入りのに当ってしまった。 「仕様がないさ。お勝は死にたがっていたんだ」  おたぬきさんに詣でると、富くじや頼母子講に当るというから、お勝の場合も、のぞむものに当ったというべきかも知れないと、東吾は冗談をいったが、お吉もるいも笑わなかった。 「女の気持なんて、殿方にはわかりませんからね」  るいの顔色をみて、お吉はどっこいしょと立ち上った。 「お嬢さん、ごらんなさいまし。まあ、お月様があんなに細くなりましたよ」  大川の上に夕月が出ていた。  東吾が、るいの肩を叩いた。 「俺は断じて、るいより先に死なないからな。安心して、飯にしよう」  ここ数日、日が暮れると火鉢が恋しい陽気になっている。  江戸の冬は、もう近い。 [#改ページ]   江戸《えど》の馬市《うまいち》      一  神林東吾が久しぶりに狸穴《まみあな》の方月館を訪ねたのは、兄の使であった。  方月館の主、松浦方斎《まつうらほうさい》にかねてから求めて欲しいと依頼されていた晋唐《しんとう》小説の写本を入手したのでお届けせよ、ということで、東吾は講武所の稽古を終えると、その足で狸穴へ向った。  すでに初冬、飯倉を過ぎると百姓家の軒下に干柿が赤く吊り下っていたり、道一面に散り敷いた銀杏《いちよう》の葉を子供達が拾い集めている風景が東吾にはひどくなつかしかった。  方月館はもう稽古の終った時刻らしく、ひっそりしている。  百姓家を改築した方月館の母屋の入口を入ると、土間を上ったところの板敷でおとせが栗の皮をむいていたが、東吾の顔をみると喜びを体中にみなぎらせながら立ち上った。 「先生、東吾様が、若先生がおみえになりましたよ」  と奥へ告げる声が明るくはずんでいる。  方斎は縁側で、善助《ぜんすけ》と正吉《しようきち》が干し芋を並べているのを所在なげに眺めていた。 「やあ、来たか」  おとせの後から入って来て手を支《つか》えた東吾へ笑顔を向ける。  日頃の無沙汰を詫び、兄の手紙とかなり分厚い写本を渡すと方斎は軽く押し頂くようにしてから机の上においた。 「通之進《みちのしん》どののお心遣い、いつものことながらかたじけない」  手紙を読み終えて、東吾へいった。 「講武所のほうはどうだな」 「先生の前ですが、正直のところ、少々、失望して居ります」  幕府としては内外ともに急を告げる御時世に鑑《かんが》みて、旗本や御家人の子弟に武道を奨励するべく開設した講武所だったが、そこへ通って来る若者は剣の修業よりも髪形や風俗に熱心で、近くの岡場所へ足しげく出入りをし、酒を飲んでは喧嘩|狼藉《ろうぜき》にあけ暮れる者も少くない。  若く、血気盛んな年頃のことで、多少は無理もないと考えていた東吾も、彼等を教えている身としては、腹立たしくもあった。 「髪の結い方が、講武所風とやら申すそうだな」 「先生も御存じですか」 「青山の熊野横町と申すところを、この頃、羅生門《らしようもん》横町というそうじゃ。先年、講武所の者が酔って喧嘩をし、山崎何某とか申す者の片腕を斬り落した。ところが、今年、また同じような事件が起って青山殿の分家の鍵三郎殿が御家人なにがしの片腕を斬り落す。二年続けて片腕を斬るさわぎがあったせいで、羅生門の名がついたそうだ」  それは東吾も耳にしていた。 「どうも教授方の一人として汗顔の至りでございます」 「大勢の者の中には、出来のよい者も悪い者も居る。このような言い方は好まぬが、ま、御時世かも知れぬよ」  気を変えていった。 「今夜は泊って行けるのだろうな」  明日、麻布十番で馬市が開かれるといった。 「東吾も知って居ろう。堀田備中守様御家来の勝田市右衛門どのが、今年の馬市で一頭求めるそうでな、わしにも来てくれぬかというて来て居る。東吾も来ぬか」  勝田市右衛門というのは、堀田家の馬術指南の家柄であった。まだ五十そこそこだが、家督を悴《せがれ》にゆずって、自分は堀田家下屋敷にいて馬の調教をしている。  麻布の西、長谷寺に近いところに堀田家の下屋敷があるので方月館とは比較的、近い。  松浦方斎とは囲碁仲間であり、よく方月館へやって来るので、東吾も面識があった。 「そうですか、今年も馬市の立つ季節になりましたか」  江戸の馬市は毎年十一月から十二月の間に浅草と麻布十番の馬場と二カ所で開かれた。  浅草のほうは南部馬、十番は仙台馬と決っている。  その夜はおとせの悴の正吉の論語の素読《そどく》をみてやって、栗飯に鯉こくと、おとせの手料理で賑やかな飯を食った。  翌朝、勝田市右衛門が小者を二人連れて方月館へ迎えに来た。  この季節にしては穏やかな日和で、昨夜、もっこりと土をもたげた霜柱も日当りのいいところから解けはじめている。  馬市のひらかれる十番馬場は一ノ橋の北で、東西に細長い土地を堀で囲んである。  西側は飯倉新町、通称、麻布十番でそちらは町屋だが、その他は御家人屋敷に囲まれている。  天気がいいのと、今日が初見世なので、かなりの人出であった。  仙台からはるばる長旅をして来た若駒は、馬場の東側につながれていて、定まりの時刻が来ると呼び出しが次々と馬主の名を読み上げ、それに従って一頭ずつが曳《ひ》き廻される。  東吾がほうという顔をしたのは、大方の馬が若い男によって手綱を引かれているのに、その一頭は珍しく、女だったからである。  まだ十五、六だろう。絣《かすり》の着物に花模様の半幅《はんはば》帯という粗末な身なりだが、頬の赤い、愛くるしい娘である。 「飯館《いいだて》村、草野、久兵衛」  と呼び出しがいったところをみると相馬の駒に違いない。 「若先生……」  人ごみをかき分けながら声をかけたのは飯倉の仙五郎で、 「むこうに居りまして、どうも若先生らしいと気がつきましたんで……」  汗を拭きながら、なつかしそうである。 「大層な人出だな」  方斎と勝田市右衛門がさかんに馬の品定めをしているのを眺めながら東吾がいった。 「今年は格別、多いようで……」  馬場をみて、少しばかり笑った。 「あっしは馬のことはわかりませんが、今の曳き手は、なかなかかわいい娘で……」  誰の気持も仙五郎と同じとみえて、娘の行く方角で男達が大声ではやし立てている。それに驚いたのか娘の曳く馬が盛んに首を振っている。娘が必死に手綱を引いているところへ、酒に酔っているのだろうか一人の男がふらふらととび出していきなり娘に抱きついた。  はずみで娘が手綱をはなし、馬は狂ったように疾走しはじめた。  東の柵のところにいた馬飼い達がかけ出したが遅すぎる。  勝田市右衛門が馬の前に立ちふさがるのをみて、東吾は酔っぱらいのほうへ行った。  驚いたのは、男が出刃庖丁をふり廻していたことで、娘は男の手にしがみついて必死に防いでいるが、かけ寄った人々は危くて手が出せないといった恰好である。  東吾はこういうことに馴れていた。  背後から男の利き腕をがっちり押えておいて、娘を思いきり突きとばす。  男は出刃庖丁を取り落し、東吾に当て身をくらってひっくり返った。仙五郎がとびついて捕縄をかける。 「冗談じゃねえ、朝っぱらから喰らい酔っていやあがる」  熟柿《じゆくし》くさい男の息に、仙五郎が顔をしかめた。  馬のほうは、勝田市右衛門が容易に取り押えていた。  そんな出来事があったものの、馬市は盛況で、勝田市右衛門は気に入った栗毛の若駒を落札し、東吾は方斎を狸穴へ送ってから大川端の「かわせみ」へ帰った。      二  それから二日。  東吾が講武所から戻って来ると「かわせみ」の帳場から出迎えに立って来た嘉助が、 「若先生、お客様でございますよ」  と知らせかけたところへ、二階からおりて来た女中頭のお吉が、 「麻布でぽっと出の田舎娘を泣かして来なさいましたでしょう。お嬢さんが、これですよ」  頭の上に指で鬼の角《つの》を作って笑う。 「あの娘が来ているのか」  麻布といえば十番馬場での一件に違いない。 「全く、若先生と来たひには、行く先々でもてるもんだから……」  ぐいと睨《にら》まれて、東吾は苦笑した。 「冗談いうな、あれは酔っぱらいが暴れて出刃庖丁なんぞ振り廻すから……」 「お帰りなさいまし」  お吉のあとから、るいが顔を出した。 「二、三日、泊めてもらいたいというので、梅の間にお通ししましたよ」 「いったい、なんだっていってるんだ。俺はただ馬市へ行って……」 「酔っぱらいが馬を曳いてた娘さんにとびかかって、あなたがお助けになったんでしょう」  可笑《おか》しそうに、るいがお吉と嘉助をみる。 「気をつけて下さいまし、この家の人達はなにかというとあたしに焼餅を焼かせて喜んでいるんですから……」 「よせやい、くだらねえ」  恋女房に太刀をあずけて二階へ顎《あご》をしゃくった。 「どうして、ここへ来たんだ」 「仙五郎親分が教えたんですって。なんですか、姉さんを探しに江戸へ来たようで、あなたがお助けになった娘さんと、その義兄《あに》さんが御一緒なんですよ」 「また厄介なことを持ち込んで来やがったな」  軽く舌打ちして梅の間へ行ってみると廊下側の障子を開けはなしたままで、入口の近くに男がすわり、娘は窓から大川のほうをのぞいている。  東吾をみると、慌《あわ》てて正座し、丁寧にお辞儀をした。 「こないだは、すまねえことをしましただ。お礼もいわねえ中《うち》に帰られたで、申しわけねえことさしました」  娘に続いて男も詫びをいった。 「俺達、田舎者で勝手がわからねえで……」  東吾が手を振った。 「礼なんかいいんだ。たいしたことをしたわけじゃない。お前達、名前はなんというんだ」 「俺は孫太郎と申しますだ。飯館村の草野というところの馬飼いで……」 「あの時、呼び出しが、久兵衛といったが」 「それは、俺の父《とつ》さまの名前だで……」  娘がいった。 「俺はきくといいます」 「うちの内儀《かみ》さんの話だと、姉さんを探しに来たんだと……」  おきくが体を固くし、孫太郎がいった。 「俺の女房でおよねと申しますだ」  五年ほど前に、馬市に出す馬と一緒に江戸へ行った。 「俺は馬に蹴られて腰を痛めて動けねえ。父さまは他の馬この世話で家を空けられねえ。それで、およねが村の衆と一緒に行っただが、帰りに妹に頼まれた土産物さ買いに行くといって出たきり戻らねえ。村の衆は別っこに帰るのかと思ったそうで……」  おきくが傍からいった。 「俺は、姉さんに土産なんぞ頼まねえだ」  新しく茶菓子を運んで来たお吉が心得顔に部屋のすみにすわった。 「便りなんぞはないのか」  と東吾が訊《き》く。 「一度、俺に来ただ。姉さんは無筆だで、人に書いてもらったものでねえかと思ったが」  江戸でいい仕事がみつかったので暫《しばら》く奉公して金を貯めて故郷《くに》へ帰るつもりだから心配しないでくれ、といった内容だったという。 「御亭主宛でなく、妹に来たんだな」 「へえ」 「手紙は一度きりか」 「へえ」 「いつ、来たんだ」 「姉さんが江戸へ行った翌年《よくとし》の春でがんす」  孫太郎が口をはさんだ。 「父さまも心配してるで、今年、馬市に出す馬と一緒に江戸さ出て来たでがんす」 「およねの奉公先に心当りがあるのか」 「ねえでがんす」  ひどく強い言い方だったので、つい、お吉がいった。 「いるところもわからなくて探そうったって無理ですよ。なんたってお江戸は八百八町もあるんだし……」  孫太郎がうつむいた。 「したで、まあ馬市でも終ったら、改めて相談にのってもらうべえと思いますだ」  今日、ここへ来たのは、馬市であんな事件があって、 「娘っ子に馬曳かせるのはやめろといわれたで、おきくをあずかってもらいてえと思ったでがんす」  馬市はまた二日目、三日目と日をおいて続く。その間、仙台から馬と一緒に来た男達は馬場の近くの仮小屋で寝泊りするが、 「男ばかりだで、おきくには気の毒だ」  馬市が終ったら迎えに来るから、それまでよろしく頼むと律義に頭を下げた。 「そりゃまあ、ここは旅籠《はたご》だから……」  いいかけてお吉を眺めた。 「部屋はあるのか」 「ここでございましたら、お嬢さんがどうぞとおっしゃってますです」  それで用件は終り、孫太郎はすでに売れた馬の代金を帳場にあずけて、そそくさと麻布へ帰って行った。  おきくが、どうしても聞いてもらいたいことがあるといって来たのは孫太郎が去ってからで、漸《ようや》く、くつろいだばかりの夫婦の居間に、嘉助がおきくを案内して来た。 「義兄《あに》さんは、姉さんの居場所を知っているに違えねえでがんす」  必死の表情でいった。  昨年、江戸から帰って来た隣村の男が、江戸でおよねに会ったという話を孫太郎にしたようだ。 「俺にも父さまにも、くわしいことは喋《しやべ》らんです。俺の考えでは、義兄さんは姉さんが江戸で何をしているか知ったんではねえかと思いますだ」  そのことは、決して孫太郎にとって好ましいものではなく、 「義兄さんは、腹さ立てて江戸へ来たんではねえのか。俺をここさあずけて身軽になったのも、一人で姉さんを訪ねて行ぐつもりに違えねえです」  姉さんを助けてくれと、畳に額をすりつけた。 「お前のいいたいことはよくわかった。出来るだけのことはしてやるから……」  おきくをなだめて二階へ戻し、とにかく孫太郎に見張りをつけようというので、「かわせみ」の若い衆が飯倉の仙五郎のところへ使に行った。 「およねさんって人、いったい、江戸で何をしているんですかね」  夕餉《ゆうげ》の膳を運んで来たお吉が首をかしげた。 「田舎から出て来た若い女が、てっとり早くお金を稼ごうと思ったら、まず岡場所みたいな所じゃありませんかね」  その可能性はあった。  孫太郎が、女房の父親や妹にかくしているところをみると、まともな奉公とは思えない。 「岡場所なら田舎から出て来た人が、ばったり会ったってこともありますしね」  お吉の意見に、るいが東吾に訊ねた。 「およねさんの家は馬を飼っているのでしょう」  名にし負う相馬《そうま》の名馬を飼育している里である。 「そんなにお金に困っているんでしょうか」  仮にも亭主のある身が娼妓になるというのはどうかというのに、お吉が口をとがらせた。 「だって、その時分、あの御亭主は馬に蹴られて寝込んでいたんでしょう、薬代だって馬鹿に出来ないと思いますよ」 「だったら、御亭主のために身売りをしたようなものだもの。御亭主が腹を立てる義理はないじゃないの」 「ええ、ですから、殿方というのは身勝手だというんです」  女二人の問答に何もいわなかったが、東吾は全く別のことを考えていた。しかし、それは女たちの前で口に出せるものではなかった。  夜更けて「かわせみ」の若い衆が帰って来た。飯倉の仙五郎は早速、麻布十番の馬場へ張り込みに出かけたという。 「下っ引でも代りにやりゃあいいのに、あいつも律義だからなあ」  いささか気の毒になりながら、東吾は星のきらめいている夜空を眺めたのだったが、翌朝、漸く朝陽が「かわせみ」の暖簾《のれん》に射しはじめた頃、仙五郎が顔中を汗にしてとび込んで来た。  孫太郎が昨夜、帰っていなかったという。 「お使を頂戴しまして、早速、若えのを一人連れて十番馬場の近くの仮小屋へ参《めえ》りました。とばくちのところで車座になって酒を飲んでいる連中に、孫太郎は帰っているかと訊きましたところ、もう寝ているといいやがったんで……あとで考えてみると、かなり呂律《ろれつ》が廻らねえ有様で、あの野郎、酔っぱらっていい加減な返事をしやがったんで。どうも北のほうの連中は酒が好きでかないません」  決して自分も嫌いなほうではない仙五郎が顔をしかめている。 「ひと晩中、張り番をして、朝になって孫太郎を呼んでくれと申しましたら、昨日、妹と出かけたきり、まだ帰ってねえといいやがるんで、泡をくってとんで来ました」  面目なげにうなだれるのを、東吾が肩を叩いた。 「そいつは仙五郎のせいじゃねえ。寒いところを厄介かけてすまなかった」  ともかくも、と、るいが気をきかせて熱燗で一杯飲ませ、お吉が朝餉の膳を運んだ。 「するってえと、昨日、ここの帰りにまっすぐ、およねのいるところへ向ったんでござんしょうか」  嘉助がいう通り、おそらく、早急におきくが「かわせみ」の人々に相談することを予想して、その裏をかいたと思われる。 「なんにしろ、昨夜の中に十番馬場へ帰《けえ》ってねえってことが気になります」  酒と飯が腹に入っていくらか余裕の出来た仙五郎がいった。  夫婦が久しぶりに対面して、なつかしいの、嬉しいのと一夜を過したというのなら、なんということもないが、昨日のおきくの話を考えると、どうも、そんな生易《なまやさ》しい結果にはなりそうもない気がする。 「やっぱり、源さんの耳に入れておこうか」  と東吾がいい出した時に、当の源三郎が慌《あわただ》しく暖簾を分けて入って来た。 「早速ですが、この提灯はかわせみのものに間違いはありませんね」  さし出したのは、ごく当り前の提灯だが、小さく「御宿かわせみ」の文字が下のほうに書いてある。  まっ先に反応したのは嘉助で、 「こいつは昨日、孫太郎さんに持たせたものでございますよ」  途中の要心にと渡してやった。 「その孫太郎という者は、客ですか」 「源さん、孫太郎に、なにかあったのか」 「孫太郎かどうかは首実検をして頂かないとわかりませんが、今朝、赤坂の溜池《ためいけ》のふちに浮んで居りました」      三  おきくを伴った東吾が畝源三郎と仙五郎と共に赤坂の溜池へたどりついた時は、もう陽が高く上っていて、集って来る野次馬をこの界隈の岡っ引が叱りつけながら張り番をしていた。  溜池は赤坂御門のところから東南に細長く広がっている池で北東側は山王日吉神社の境内に隣接し、南西側は桐畑で赤坂田町が一丁目から五丁目まで続いている。  孫太郎の死骸が浮いていたのは桐畑側のほぼ真ん中ぐらいのところで、春から夏にかけては涼み旁《かたがた》、景色を眺めるにいいだろうが、桐の葉も散り尽したこの季節では、池水の上を渡る風もひんやりして、あまり人は寄りつかない。  発見したのは、池の近くの土岐丹波守の屋敷に奉公している老僕で、毎朝、溜池のほとりから山王様へむかって柏手《かしわで》を打ち、礼拝するのを日課としていた。 「今朝もいつものようにおまいりを致しまして、ひょいと池のふちをみましたら人が浮んで居りますので……」  酔っぱらいが池に落ちたのかと慌てて葵坂《あおいざか》の辻番所へ届けに行った。  検屍の結果は溺死であった。 「この池は案外、深うございますのと、蓮池になって居りまして岸辺近くはうっかり踏み込みますと底なし沼のようで始末が悪いと申します。まあ、滅多に落ちる者はございませんが、闇夜に池のふちを歩いていて足をすべらせるとか、酒に酔っていたりしますと、このようなことになりかねません」  と田町の町役人《ちようやくにん》もいう。  孫太郎の身許を知る唯一の手がかりになった「かわせみ」の名入りの提灯は、孫太郎の死体の近くの岸辺に落ちていた。 「蝋燭《ろうそく》が燃え尽きていましたから、もしかすると、それに気づかず池のふちを歩いていて突然、灯が消えて足をふみはずしたとも考えられるのですが、仙台から江戸へ出て来た馬飼いがなんでこんな所を歩いていたのか合点が行きません」  唯一、想像出来るのは道に迷ってということだろうか、と源三郎はいった。  大川端の「かわせみ」から麻布十番へ帰るのに溜池まで来るというのは廻り道もよいところだが、江戸の地理に不案内であればそういうこともないとはいえない。 「かわせみを出たのが暮六ツ近くだったからな」  東吾があたりを見廻した。 「孫太郎がまっすぐここへ来たとしても、まっ暗だったろう」  傍についていた仙五郎に低声《こごえ》で訊いた。 「この付近に岡場所はないのか」  仙五郎はあっけにとられたが、 「ごく小さなものでございますが、田町五丁目に十軒ばかりあると聞いて居りますが……」  離れた所にいたお手先を呼んだ。 「赤坂新町で桶屋をしている助八と申す者で、お上《かみ》のお手先を承《うけたまわ》って居りますんで……」  仙五郎とは顔見知りの間柄だと紹介した。 「どちらかと申しますと、ごく質素で、あまり風体の悪い客はあげないようでして、値は二朱が相場で……」  岡場所の話なので、助八はいささか間の悪そうな話しぶりである。 「源さん、あとでちょいとつき合ってくれ」  東吾が声をかけ、源三郎は苦笑しながらうなずいた。  孫太郎の死体はとりあえず麻布十番へ運ばれることになり、仙五郎がおきくに付き添って行った。  おきくは衝撃が強すぎたのか泣くのも忘れたように、茫然自失のまま用意された駕籠に乗った。  それを見送ってから、東吾は源三郎をうながし、助八を案内役に田町五丁目へ向った。  溜池沿いの町で、孫太郎の死体の浮んだ桐畑のところからほんの僅かの距離であった。  岡場所は田町五丁目と中田町五丁目の通りに挟まれた一角で、田町側に五軒、中田町側に五軒、表と裏、各々五軒の間には路地がある。  どの店も入口にその店の名前を書いた長暖簾をかけてあり、門口《かどぐち》には丸提灯が下っている。  たしかに助八のいう通り、岡場所にしては質素で品が良い。 「こういうところへ、田舎から出て来た馬飼いが客に来るだろうか」  東吾に訊かれて、助八が頭を掻いた。 「さあ、そいつはどうでござんしょうか」  吉原や深川あたりとなると気後れして遊びにくいが、案外、このくらいなら安心して客になれるかも知れないと助八はいった。 「なんといいましても、麦飯というのが、ここの通り名でございますから……」  現在、岡場所になっているところに昔、麦飯屋が並んでいたからだといわれているが、岡場所にしては随分と鄙《ひな》びた呼び名である。 「東吾さんは、孫太郎の女房が、この土地で働いていると考えているわけですな」  大川端から赤坂へ来る道中、孫太郎についておおよその話を聞いているので、源三郎ののみ込みも早かった。  もし、五年前に江戸へ出て来たおよねが、ここで娼妓になっていれば、相馬のほうから出て来た者がその店の客となって、およねをみかけるということもあり得るし、第一、大川端を出た孫太郎が麻布へ帰らず、溜池に浮んでいた理由も筋道が通る。更には、 「足をすべらせて池へ落ちたのではなく、誰かに殺されたという場合も考えられますな」 「流石《さすが》だな、源さん」  あとはよろしく頼むといい、東吾は「かわせみ」へ帰った。  中三日ほどおいて、源三郎が浮かぬ顔で東吾を訪ねて来た。 「どうも、いけません」  十軒の女郎屋を徹底的に調べたが、およねに該当する妓は一人も見当らなかった。 「実を申しますと、それほどの数でもありませんので、おきくに首実検もさせてみたのですが、やはり、無駄でした」  加えて、孫太郎が死体になった前夜、彼らしい姿をその界隈でみた者はなかったかという問いに対して、十軒が揃って否定している。 「吉原と違いまして、そう客がごった返すという土地柄でもありません。みるからに田舎から出て来たとわかる孫太郎が店へ訪ねてくれば、まず憶えているでしょう」 「しかし、源さん、もし、なにかの理由で孫太郎が殺されたのなら、その店の者は来たとしても来なかったというだろう」 「東吾さんは、あの路地をごらんになったでしょう」  狭い道の両側に娼家が軒を並べている。 「孫太郎が、もし、かわせみからまっすぐにあそこへ行ったとすると、時刻からいって、妓達は客を呼び込むのに必死でしょうし、店の前には若い衆や遣《や》り手も出ている筈です。それらが、全部、口を揃えて知らないというように取り決めでもしてあれば別ですが……」  調べた限りでは、岡場所ぐるみで犯罪をかくそうとする気配はなかったと断言した。 「それじゃ、孫太郎におよねの居所を教えたという隣村の男というのに問い合せる他はないだろう」  誰かを相馬へやって、といいかける東吾を源三郎が制した。 「そのことも思案しまして、おきくに訊《たず》ねたのですが、孫太郎はただ隣村の男にといっただけで名前を明かさなかったそうです」  その上、おきくの申し立てだと、隣村には江戸から帰って来たような男は居らず、おそらく別の所で耳にして来たのに違いないという。 「お手上げだな、源さん」  つい、東吾も苦笑した。 「こいつは俺の見込み違いだったかも知れないよ」  おきくのほうは、仙五郎が面倒をみて孫太郎の遺骸を骨にし、坊さんにお経を読んでもらったから、近日中に馬市の仲間と故郷へ帰ることになり、宿も仙五郎が世話をして十番の近くに泊めてもらっているから心配しないようにとの伝言であった。 「かわせみ」が孫太郎からあずかった馬の代金は仙五郎を通しておきくの手許に戻してあるので、おきくの件とも縁が切れた感じであった。 「助八はねばり強い男ですので、まだ麦飯関係を洗い続けて居りますが、下手をすると当人の不注意で溜池へ落ちたということになる可能性もなきにしもあらずです」  すっきりしない顔で源三郎が帰り、「かわせみ」の連中もがっくりした。 「田舎の人は夜目《よめ》がきくっていうじゃありませんか、提灯の灯が消えたからって池へ落ちますかね」  といい出したのはお吉で、 「第一、それまでは提灯で足許を照らして歩いてたわけでしょう。自分が池の傍を歩いてるってことは承知の上だし、それなりに要心します」  嘉助もいった。 「不馴れな夜道で池のふちを歩きますかね。いくらも桐畑のほうに道があるんだし、赤坂の町家の方角へ行くとすれば、仮に迷って葵坂へ出ちまったとしても馬場の横を廻って榎坂《えのきざか》から桐畑へ向います。なにも池のふちへ近寄らずともそのまま赤坂田町の通りへ出るのですから……」  あげくの果に、るいまでが、 「あまり田町五丁目の色里にこだわらないほうがよろしいのではございませんか。田舎から出て来て江戸で働こうとする者が、いきなり岡場所へ身を沈めるものかどうか。大方は女中奉公とか、もう少し、穏やかな仕事を求めるものではございますまいか」  と意見をいい出して、東吾は閉口した。 「源さんのほうも、調べをやめたというのではないんだ。ま、餅は餅屋にまかせようぜ」  どうもこの家の連中の探索好きには困ったものだと東吾がいえば、 「なにかというとすぐ厄介をお持ち込みになるのはどなたでしたかしらん」  今度のことも、馬市で人助けなぞなさるからと、るいが口をとがらせ、まあまあと嘉助が間に入る。その夜の「かわせみ」は更けても賑やかであった。      四  二日ばかり雨が続いて、江戸は冬の気配が一段と濃くなった。  東吾が講武所の帰途、赤坂へ廻った日は晴天だが風が強かった。  市ヶ谷を通ってお城のふちを赤坂御門へ出たところで、ばったり町廻りの帰りだという源三郎に出会った。 「どうも溜池の一件がひっかかってね」  なにも女房の意見に同調する心算《つもり》はないが、 「孫太郎の死体が溜池に浮んだからといって、すぐ近くの岡場所に目をつけたのは早計だったかと思い直したんだ」  という東吾に、源三郎が腕を組んだ。 「それは、おるいさんのおっしゃる通りかも知れませんね」  自分も気になっていて、今日は助八にその後の様子を訊こうと思って来たのだという。  肩を並べて赤坂田町一丁目から、赤坂表伝馬町の通りを折れて中田町へ入った。  この前、孫太郎の死体が発見された時とは逆の方角から麦飯と俗称のある岡場所へ向って歩く恰好になる。  この通りは商家が並んでいた。  三色干うんどん、切りそばなどという看板が出ている。酒屋があり、古着屋がある。  自身番へ寄ってみたが、助八は来ていない。  そのまま中田町を行くと成満寺という寺があった。ちょうど若い女が参詣を終えたらしく寺の門前を出て来て東吾達の先を歩いて四丁目のほうへ向う。  笹屋という看板が行く手にみえた。小児の薬を扱う店らしく赤ん坊の絵を描いた布旗が風にはためいていた。 「源太郎《げんたろう》は大きくなったろう」  赤ん坊から連想して東吾がいった。 「悪戯《いたずら》でお千絵《ちえ》がもてあましていますよ」 「早いものだ。つい、こないだ、おぎゃあと生まれたと思ったのに……」  前を行く女が、ついと笹屋へ入った。  我が子の薬でも買うのだろうと女の姿を目で追っていて、東吾はおやと思った。  道のむこうに若い娘が棒立ちになっている。  おきくであった。 「まだ江戸にいたのか」  とっくに相馬へ帰ったと思っていた。  東吾が正面に立つとおきくは目がさめたような表情になった。 「なんだって、ここへ来たんだ」 「あの……」  くちごもって、下をむいた。 「江戸を発つ前に、義兄さんの歿っていたところに線香さ、上げねばと……」 「溜池へ行って来たのか」 「へえ」  雨が続いて出立《しゆつたつ》が遅れたとつけ加えた。 「あんたには気の毒だが、孫太郎がどうして死んだのか、まだ、よくわからない。さきざき、何かわかったら文をやるよ」  東吾の言葉におきくは頭を下げ、そそくさと一軒の古着屋へ入って行った。 「やはり女だな。江戸の土産に着物でも買って行こうというわけか」  歩き出しながら東吾がいった。  馬の代金が入って、少々はゆとりのある懐具合ということだろうと思う。  中通りの左に湯屋があった。  なかなか大きな湯屋で繁昌しているらしい。  外まで賑やかな話し声や桶の音が聞えて来る。  そこを過ぎると五丁目、麦飯のある一角は目の前である。  なんとなく東吾は考え込んでいた。  おきくである。  赤坂の中田町通りでばったり会ってびっくりしたのだろうとは思う。  だが、あの時のおきくは自分達をみていたのかと東吾は今しがたの状況を瞼《まぶた》に浮べた。  違うような気がする。  東吾が声をかけた時、おきくは二度びっくりといった表情だった。  その後、挨拶《あいさつ》もそこそこに古着屋へかけ込んだ動作も不自然といえなくもない。 「源さん」  目くばせをして、ついと横丁へ入った。源三郎が続く。  路地に身をひそめて、東吾は今来た通りをそっとのぞいた。  人通りは少い。  笹屋という薬屋から先刻、買い物に入ったらしい若い女が出て来た。  まっすぐ、こっちへ歩いて来る。距離は遠い。 「東吾さん」  と源三郎がささやいた。  古着屋からおきくが出て来て、若い女のあとを尾《つ》けている。  男二人が息を詰めるようにして見守っている中を、若い女は東吾達のひそんでいる路地より一つ手前の角の湯屋へすいと入って行った。  その湯屋の前でおきくが立ちすくんでいる。  と思うと決心したように湯屋の暖簾をくぐって行った。  東吾と源三郎が顔を見合せた。 「どういうことなんです、東吾さん」  まさか、赤坂で風呂に入って帰ろうというわけでもあるまいといいかける源三郎に、東吾が低く答えた。 「ひょっとすると、瓢箪《ひようたん》から駒が出るかも知れねえ」  源三郎をうながして湯屋のほうへ後戻りした。  男湯の暖簾を入って番台の上にいた男に訊いた。 「今、女湯に若い娘が来ただろう」  男は東吾の背後にいる源三郎をみて、神妙な顔になった。  黄八丈に黒の竜紋の巻き羽織は、誰の目にも定廻りの旦那とわかる。 「うちのお内儀《かみ》さんを訪ねて来た娘のことでございますか」 「お内儀さんというのは、今しがた笹屋の包を持って帰って来た女だな」 「へえ、坊っちゃんが少々、風邪気味で……」 「訪ねて来た娘は、どこにいる」 「お内儀さんが奥へ連れて行きました」 「すまないが、ちょっと呼んでくれ」  番台が承知して奥へ行ったが、すぐに戻って来た。 「その娘なら、店を間違えたらしいので、お内儀さんがそこまで教え旁《かたがた》、行って来ると裏口から出て行ったそうです」  裏口は田町の通りへ出る路地に向って開いている。  東吾が走り出し、源三郎が続いた。  あたりは暗くなりかけている。  田町の通りへ出て左右をみたが、それらしい女の姿はない。 「桐畑だ」  五丁目を突き当ると道は桐畑と呼ばれている溜池沿いの広場になる。  葉の落ちた桐の木の下に人影がみえた。  足音をひそめて、東吾と源三郎が近づく。 「姉さが殺しただか」  甲高《かんだか》い娘の声が聞えた。 「なして、殺しただ」 「静かに、大きな声を出さないで……」  激しく応じた。 「孫太郎のことなんぞ知らないよ。お前のかん違いだ」 「嘘だ。義兄《あに》さは、あの晩、姉さのところへ行っただ」 「来ていないよ」 「俺は知ってるだよ。赤坂の麦飯ちゅうところの近くの湯屋に姉さがいること、義兄さは隣村の甚五に聞いただ。甚五が俺に教えてくれただ。だから俺は……」 「お黙り」  女がおきくにとびかかり、同時に東吾と源三郎が走り寄って女を押えた。  おきくは咽喉《のど》をぜいぜいいわせて立ちすくんでいたが、やがて声を上げて泣きはじめた。 「その、湯屋のお内儀さんというのが、およねだったんですか」  数日後の「かわせみ」の居間。一番に聞きたがったのは、御存じお吉。 「江戸へ出て来たおよねは赤坂の麦飯という岡場所に、自分の生まれた村の女が働いているのをあてにして訪ねて行ったそうなんだ」  ただ、およねは最初から麦飯を岡場所とは知らず、文字通り麦飯を食べさせる店と思い込んでいた。 「人に訊ねて行ってみると、娼家なので驚いて、うろうろしているところへ通りかかったのが五丁目の湯屋の主人の千太郎だ。みるからに田舎出の女が困っているらしいので声をかけて事情を訊ねたんだな」  その千太郎というのが、けっこうな男前なんだと、東吾は笑った。 「源さんの話だと、千太郎の父親は早く歿って、男まさりの母親が商売のきりもりをして千太郎を育て上げた。ところが、千太郎が年頃になって縁談が起ると、このお袋がけちをつけて一つもまとまらない。だから、千太郎は三十を過ぎても独りものでいたのだ」  その母親が、その夏、食当《しよくあた》りでぽっくり死んで、親類が百カ日も過ぎたら千太郎に嫁をといっている矢先に、千太郎はおよねに出会った。 「最初は親切からとりあえず自分の家へ連れて来たんだが、田舎育ちでもおよねはなかなかの器量よしで、孫太郎と夫婦になって一年そこそこだったから、まあ、色気盛りというのか、とにかく、早速に二人はいい仲になっちまった。親類は驚いたが、すでに夫婦同然だし、千太郎がどうしてもおよねを女房にしたいというので、とうとう半年後に盃事《さかずきごと》をして二人を一緒にしてやった」  翌年には太郎吉という子供も誕生して、およねは幸せな若女房の日々を過していたところへ、突然、孫太郎がやって来た。 「青天の霹靂《へきれき》という奴だろうな。およねは勿論、自分が亭主持ちだとは、千太郎に告げていないんだ」 「それで、孫太郎さんを殺したんですか」 「こいつも源さんの話だが、孫太郎が湯屋へ来た時、およねが番台にすわっていたんだ。実をいうと、隣村の甚五という奴は、前の年に麦飯に遊びに来て、帰りに朝湯につかってというつもりで、あの湯屋へ行った。麦飯の客は大方、そうするんだそうだが、そこで番台にいたおよねをみたというわけなんだ」  それはともあれ、孫太郎におよねは先に桐畑で待っていてくれと道を教えて出し、自分は若い衆に番台を代ってもらって、孫太郎のあとを追って桐畑へ行った。 「口論になって、孫太郎がお前の亭主は俺だ、千太郎にばらすというので、かっとして池へ突き落したそうだ」 「おきくさんは姉さんが湯屋の女房になっているのを知っていたんですか」  と訊いたのは嘉助で、 「だったら、何故、そのことを若先生や畝の旦那に申し上げなかったので……」  不満そうにいう。 「おきくは甚五から麦飯の近くの湯屋とは聞いていたのだが、知っていることを孫太郎にはかくしていた。つまり、おきくのいうには、孫太郎が江戸へ向うと決めたのは、女房を連れ戻すか、或いは場合によっては殺す気かも知れないと考えていたんだ。だから、自分はそのことを孫太郎より先に姉に知らせたい。しかし、田舎から出て来たばかりでは、麦飯といったって、どこにあるのか見当もつかない。それで孫太郎と別になって、麦飯という土地を探そうと思っていたそうだ」  だが、おきくより一足先に孫太郎が赤坂の湯屋を訪ねて、そのあげく溜池に死体となって浮んだ。 「おきくは、孫太郎殺しが姉の仕業だと気がついて、俺達から姉をかばう気で、なにも告げなかったんだ」  江戸を去る前、せめて一目会って話をしたいと訪ねて行ったところを、偶然、東吾と源三郎が目撃した。 「俺は中通りでおきくが俺をみてびっくりしたのかと思ったんだが、本当は俺達の前を歩いていたおよねをみて驚いたんだ」  赤坂に姉がいると知ってはいても、偶然、道でばったり会えば、棒立ちにもなる。 「およねのほうは子供の病気のことばかり考えていて、目の前の妹に気がつかなかったんだ」 「気の毒ですねえ、坊っちゃんが」  お吉が吐息をついた。  すでに、およねは亭主殺しで打ち首と決っている。 「なんだって、およねさん、江戸へ来てしまったんですか。孫太郎さんという人が余っ程、嫌いだったのか」  客が着いて、嘉助とお吉が店へ行ってから、るいが訊いた。 「みたところ、孫太郎さんも、そんなにいやな感じの人じゃありませんでしたよね」 「およねは、我慢が出来なくなったのさ」 「どうしてです」 「あいつ、馬に蹴られて怪我をしたといったろう」 「ええ」 「蹴られどころが悪かったのさ」  るいがわからないという表情をし、東吾が庭を眺めた。 「つまり、女房を大事にしてやることが出来なくなった」 「なんですって……」 「夜が駄目ってことさ」  るいが赤くなった。 「それで女房に逃げられたんだ」 「いやな人」  るいが東吾を袂《たもと》で軽く打った。 「いやな人っていったって、どうしてと訊いたのは、るいじゃないか」 「もう、よろしゅうございます」  炬燵《こたつ》をめくって、炭を足しはじめたるいに笑いながら東吾がいった。 「これからは、方斎先生に誘われても馬市のお供だけは断るよ、女房に逃げられちゃかなわねえ」  返事をしないで、るいは炬燵布団を元に戻した。 「かわせみ」の庭は紅葉が散っていた。  おそらくもう雪が来ているであろう相馬の里に、おきくはどんな思いで帰って行ったことか。 「お嬢さん、ぼつぼつ、よろしゅうございますか」  お吉が徳利を運んで来て、るいは長火鉢の鉄瓶の蓋を取った。  東吾は、炬燵に膝を入れて盃を弄《もてあそ》んでいる。  お吉が縁側の雨戸をたぐりはじめた。  その雨戸に風が音をたてている。 [#改ページ]   冬《ふゆ》の鴉《からす》      一  その若侍が「かわせみ」の暖簾《のれん》を分けて入って来たとき、るいは帳場にいて番頭の嘉助と宿帳を眺めていた。  十二月に入って「かわせみ」は千客万来であった。連日、空部屋がない。  一見《いちげん》の客を断るのはまだしも、常連には挨拶に困る。事情を話して知り合いの旅籠《はたご》を紹介するのだが、大抵がひどくがっかりする。 「毎年、ここへ泊るのを楽しみに出て来るのに……」  などといわれると、るいも嘉助も途方に暮れてしまう。  意地の悪いもので、いつもなら暮の客は大方、三、四日で用事をすませて発《た》って行くのが普通なのに、今年に限って六日も七日も滞在している。 「世の中が不景気で、お金の集りが悪いそうですよ。何度、足を運んでも一日のばしにされるって、川越の嶋屋さん、困り切っていました」  とお吉がいうように、この季節の客は半年、或いは一年の売上げを集金にやって来るのが多かった。  その支払いがとかく滞《とどこお》りがちの昨今らしい。 「なにしろ、お大名までがお金に困って、公方《くぼう》様に借金しているそうですから……」  どこで聞いて来たのか、お吉はそんな話をして、長滞在の客に同情しているが、客が動かなければ空部屋は出来ず、常連客が到着するたびに、るいは胸が痛くなって来る。  で、今も宿帳を眺めて部屋のやりくりを思案していたところに、 「お頼み申す」  と若々しい声が聞えた。  嘉助が出てみると、縹色《はなだいろ》の紋服に袴《はかま》を着け、細身の大小をたばさんだ、まるで芝居にでも出て来そうな若侍が軽く会釈をした。 「お出《い》でなさいまし」  丁寧に頭を下げて、嘉助はおそらくこれは宿を求める客ではあるまいと判断した。  通常、武士がこういった旅宿に泊るのは旅の途中だけで、江戸には例がない。  地方から江戸へ出て来る大名家の侍は藩邸に滞在するし、旗本や御家人は江戸に自分の屋敷がある。  果して、その若侍は、 「ちと、訊《たず》ねたいことがある」  と切り出した。 「当家には以前、侍奉公をした者達が居ると聞いて参ったのだが……」  なんと返事をしたものかと嘉助が、ためらっていると、 「お吉と申す者は、当家に居ろうか」  若侍の視線が帳場のるいをみているので、嘉助は慌《あわ》てて手を振った。 「こちらはそうではございません。只今、お吉を呼んで参ります」  嘉助が台所のほうへ行くのをみて、るいは客用の座布団を帳場の脇の部屋へ運んだ。  仮にも侍を上りがまちに立たせっぱなしには出来ないと考えたからである。 「このような端近《はしぢか》でございますが、どうぞ、お上り下さいまし」  若侍は颯爽《さつそう》と草履を脱いで上った。  戻って来た嘉助が手あぶりの火桶を運び、るいは茶の仕度に立って行く。  入れ違いに、お吉が前掛をはずしながらやって来た。 「いま、いそがしいっていってるのに、いったい、何です」  嘉助の肩越しに若侍を見て、少しばかり神妙に膝を突いた。 「これが、お吉でございますが……」  嘉助がいい、若侍の表情に僅かながら落胆の色が浮んだ。 「そなたは昔、阿部家の奥向きに奉公して居らなんだか……」  お吉がきょとんとした。 「阿部なんて知りませんよ。あたしが奉公したのは庄司様で……」 「庄司どのとは……」 「すぐそこの八丁堀の組屋敷です」  るいが茶を運んで来たので、嘉助は若侍に訊ねた。 「失礼でございますが、貴方様は……」 「子細あって、主家の名は申しかねるが、手前は石原勘三郎と申す。この度、出府《しゆつぷ》致し、ちと、人を尋ねて居るのだが……」 「それは、どのようなお人で……」 「手前の乳母です」  るいとお吉が顔を見合せた。  石原勘三郎と名乗った若侍は、行儀よく両手を膝においてうつむき加減に話している。 「手前の母は若くして歿り、手前は乳母に育てられました。当時、父は江戸藩邸に居りましたが、その後、帰国することになり、手前も父と共に備後《びんご》に参りました。以来、乳母とは会う折もなく……」 「そのお乳母さんは、江戸にお出でなので」 「藩邸の者の話によると、江戸生まれであったとか、それ故、おそらくは江戸に……」  それはあてにならないと嘉助は思った。  江戸は人の出入りの多い土地である。江戸で生まれた女が必ずしも江戸に住んでいるとは限らない。 「他に、なんぞ手がかりは……」 「名をお吉と申すのみにて……」 「あたしじゃありませんよ」  お吉がいった。 「あたしは娘の時から庄司様へ奉公して、一度、嫁入りしたんですが亭主に死なれて出戻って……子供はありませんからお乳母さんになんぞ上るわけがないです。それからずっと、こちらのお嬢さんのお傍を離れたことはありませんし……」  若侍がるいをみ、るいがうなずいた。 「お探しのお方と、このお吉は別人でございます」 「左様でござるか」  肩の力が抜けて行くのが、みていてよくわかった。 「失礼|仕《つかまつ》った」  そのまま立ち上って草履をはいた。  見送る三人に丁寧な挨拶をして出て行った。 「なんなんです、あの人……」  お吉が嘉助に訊《き》き、 「よくわからねえが、とにかくお吉って名前のお乳母さんを探していなさるんだ」  藩邸というからには、大名の御家来衆だろうと知識のあるところをみせた。 「あたしが大名の御家来衆のお乳母さんですか、冗談じゃない」  先代萩《せんだいはぎ》の政岡《まさおか》でも思い出したらしく、お吉は満更でもない顔で台所へ戻って行く。  日が暮れて、神林東吾が帰ってきた。 「そこで源さんに会ってね」  番屋で立ち話をして来たといった。 「久しぶりに一杯飲みたいところだったが、どうも御用繁多のようだから……」  暮は、とかく事件が多かった。 「品川の廻船問屋に賊が入っただの、日本橋の薬種問屋が襲われただの、相変らず殺風景な話ばかりさ」  居間で着替えがすんでから、るいは今日、訪ねて来た若侍の話をした。 「そりゃあ、とんだお吉違いだったな」  炬燵に膝を入れ、るいの差し出す熱い番茶を飲みながら、東吾が笑った。  ちょうど、その時、お吉が膳部を運んで来たからである。 「あたしは、どうってことはありませんけど、若いお侍はお気の毒でした」  後姿が寂しそうだったとお吉がいい、るいも同意を示した。 「お母様が早く逝ったとおっしゃっていましたから、お乳母さんがお母様のように思えたのでしょうね」 「いくつぐらいなんだ」  と東吾。 「せいぜい、十六、七ですかしら」  元服して間もないといった感じであった。 「御家督でもお継ぎになって、殿様のお供をして出府なさったのかも……」 「阿部家といったんだな」 「ええ、備後から出て来られたとか」 「備後の阿部家か」  長火鉢にお吉がかけた土鍋が温かそうな湯気を立てて、話はそれきりになった。  翌朝、講武所の稽古日でもないのに、東吾は早起きして飯をすませ、本所《ほんじよ》の麻生邸へ出かけた。  主《あるじ》の麻生源右衛門は出仕していたが、代りに宗太郎が東吾の問いに答えた。 「備後の阿部家なら、阿部伊勢守どのだろう。深津郡福山の城主、十一万石の大名だ」  東吾が、「かわせみ」の連中から聞いたのを話すと、 「まさか、殿様の御落胤《ごらくいん》って奴じゃあるまいね」  と笑う。 「そいつが生まれた頃、父親は江戸藩邸にいたというから、おそらく江戸詰の藩士の悴《せがれ》だろうな」 「お吉さんがその人のお乳母さんでなくてがっかりですね。もし、そうだったら、大変な出世でしょう」 「お吉に打掛《うちかけ》着せて、御守殿髷《ごしゆでんまげ》に結わせてみろよ。とんだ茶番だぜ」  男二人が無責任に笑い合っているところへ、宗太郎の患者が来て、東吾は麻生邸を辞した。  小名木川《おなぎがわ》に流れ込む六間堀のふちを廻って竪川《たてかわ》の二ツ目之橋を渡る。御竹蔵の長い塀には冬の陽が当って、鴉《からす》の声がのどかであった。  阿部伊勢守の下屋敷はその先の石原町にあった。  大川のふちの道に門があり、そこに立つと川むこうに浅草の御米蔵が遠く見えた。  宗太郎の話によると、阿部伊勢守の上屋敷は小川町とのことであった。  殿様の参勤交代に従って出府した侍の大方は上屋敷に滞在する。下屋敷というのはいわば別宅で通常は殆ど使われることがなかった。 「かわせみ」へ訪ねて来た若侍もおそらく上屋敷のほうに違いない。  大川を右手にみて、東吾は深川のほうへ歩き出した。      二  一日中、冷え冷えとした曇天で、夜になったら雪でも落ちて来るのではないかというような暮れ方に、畝源三郎が「かわせみ」の敷居をまたいだ。  寒さと疲労のせいか、肌の色は蒼ざめていたが、出迎えた東吾にみせた笑顔はいつもの彼であった。 「とにかく炬燵に入れ。今、熱いのが来る」  長火鉢に炭を足し、るいが仕付け糸を解いたばかりの自分の綿入れ羽織を着せかけてやるなど、東吾にしては珍しくまめまめしいもてなしぶりで、お吉が慌てて運んで来た熱燗の酒を勧めた。 「いや、今日は全く寒いですな。酒が腹の底にしみ渡りますよ」  嬉しそうに盃を干して、源三郎はるいに茶を所望した。 「酔わない中《うち》に、東吾さんに話を聞いてもらいたいのです」  どうも奇怪な事件が続いている、という源三郎に東吾がすぐ反応した。 「この前、聞かされた品川の廻船問屋の件か」 「それも含めてです」  炬燵の上に、酒の肴をのせたお盆をおいたるいと、長火鉢のところで酒の燗をはじめたお吉をみてから、視線を東吾へ移した。 「この前はざっと立ち話でしたから、改めて最初からお話しします」  師走に入った五日のこと、品川の廻船問屋、播磨《はりま》屋の店に酒井家の奥女中と名乗る女がお供を伴《つ》れてやって来た。 「姫路からの船は、いつ頃、到着であろうかと訊《き》いたそうです」  播磨屋は、その屋号の通り、播州の産物を江戸へ運ぶのが主な仕事であった。  殊に、姫路藩の酒井家では播州木綿の専売制を行っていて、国産の播州木綿は一切、藩の手によって大坂市場を仲介にせず、直接、江戸へ送って、三井、白木屋、大丸といった呉服問屋に売りさばく方針であった。  播磨屋の船の積荷の大方は、この播州木綿であり、他に姫路、赤穂の塩が多かった。 「ちょうど、年内に播州から江戸へ向けてやって来る船の予定があったので、播磨屋ではその船のことかと話をすると、奥女中がいうには、その積荷の中に、新規にお買い上げになった茶道具があって、殿様がお手許に届くのを心待ちにしておいでなさる。それで、奥方が女中に命じて内々に播磨屋へ問い合せさせたのだそうです」  播磨屋では恐縮して、女中を茶菓でもてなし、船の予定を延々と説明して、やがて女中は帰ったのだが、 「あとになって気がつくと、主人の居間の机の上の手文庫に入れてあった三百両余りがなくなっていたのです」  一息入れた源三郎に早速、お吉が訊いた。 「まさか、そのお女中が泥棒ってわけじゃございますまいね」 「播磨屋でも、最初はよもやと思ったようです」  だが、外から盗人の入った様子はないし、奉公人はみんな身許の知れた者ばかりであった。 「その女中が来ている間に変なことがあったそうです」  男が店へとび込んで来て、船が燃えている、船火事だと知らせた。 「播磨屋では仰天して奉公人はみんなとび出して行ったわけです」  流石《さすが》に主人は客の手前もあって、岸に横づけになっている持ち船の見えるところまで出て行ったものの、家の窓から様子をみていた。 「ところが、船にはなんの異常もなく、かけつけた人々は狐に化かされたような気分で戻って来まして……結局、悪いいたずらだと腹を立てたそうですが……」  勿論、その頃には船火事だといって来た男は姿を消している。なんにせよ、僅かの間だが、客間には奥女中と供の侍だけだったことがある。 「それから、もう一つ、奥女中が帰る前に、手水《ちようず》を借りたといいます」  寒い季節ではあるし、これから酒井家の上屋敷まで戻るのならば、ごく当り前のことなので、播磨屋では奥女中を厠《かわや》へ案内した。 「まさか、男がその辺にうろうろしているわけには行きませんから、案内だけして戻って来たのですが、その厠へ行く廊下に主人の居間があったのでして……」  三百両余りが入っていた手文庫のおいてあった居間である。 「でも、いくらなんだって、お大名の奥女中が手癖《てくせ》が悪いなんて……」  お燗のほうはほったらかしにして、お吉が口をとがらせる。 「播磨屋も判断に苦しんだようですが、念のため、翌日、番頭が酒井様へうかがってそれとなく訊いてみたが、酒井家のほうでは、別に今度、江戸へ着く船に、殿様のお茶道具を積んだという話もないし、奥方が女中を播磨屋へやった事実もないようで、播磨屋は大さわぎになりました」 「それじゃ、奥女中は偽者なんですか」  るいが男二人に酌をしながらいった。 「随分、度胸のよい盗賊ですこと」  源三郎は、いくらか酔いの出た額を軽く叩いた。 「似たようなことが、諸方に出て来たのです」  奥女中がやって来て、さまざまの註文をし、帰った後で、店の金が紛失している。 「それが、みな、酒井家お出入りの商人でして……」  自分の店がかねがね御用を承《うけたまわ》っている大名家から奥女中が使に来るのは珍しくないし、どの店でも丁重にもてなし、時分どきであれば膳部なども出す。  ただでさえ、暮が近づいて多忙な時に、大事な客が来たのだから、大方の店はてんやわんやになって、つい、うっかりした隙をねらって大金を盗んで行く。 「悪いことに、暮ですから、大店《おおだな》ほど店に金をおいて居るのです」  更に奉行所にとって始末が悪かったのは、それらの店が、どうも酒井家奥女中を名乗る偽者に金を盗られたようだとわかっても、迂濶《うかつ》に届けるとお出入り先の酒井家の名前が出る。  なんといっても、酒井家は代々、老中職をつとめるほどの名家ではあるし、商人にしてみればお出入り先を失う上に、酒井家からおとがめを受けるのではないかと怖れて、盗難をひたかくしにしていた。 「店の者の口からだんだんに世間へ洩れて、手前が調べに行ってみて、漸《ようや》く重い口が開くという有様でしたから……」  町方は後手《ごて》に廻ったことになる。  酒をほどほどにして源三郎が飯を食いはじめた時、嘉助が廊下へ来た。 「畝の旦那、お屋敷からお使で……」  いつも町廻りについて行く小者が来たという。  帳場へ出て行った源三郎が、すぐ戻って来た。 「築地の有田元英先生の所が荒らされたようです」  東吾が盃をおいた。 「有田元英どのは、奥医者だな」 「酒井家へお出入りしています」 「源さん、俺も行くよ」  大小を腰に、るいが慌てて着せかける合羽《かつぱ》に袖を通しながら帳場へ出る。  外は雪が降りだしていた。 「お気をつけて……」  嘉助が広げて渡した傘を手に、東吾と源三郎は築地へ急いだ。  有田元英と畝源三郎のつき合いは、以前、元英の屋敷に勤皇浪士を名乗る侍が、ゆすりに来たのを、たまたま近くの番屋にいた源三郎が知らせを受けてかけつけ、取り押えたことから昵懇《じつこん》になったのだという。 「その勤皇浪士というのは、まっ赤な偽者でしたが……」  前にそういうことがあったので、元英は内弟子を源三郎の許《もと》へ走らせたもののようである。  築地本願寺の横にある有田元英の屋敷の前には一足先に帰った内弟子が出迎えていた。  東吾と源三郎を早速、奥へ案内する。  主人の元英は人心地《ひとごこち》もないような顔で、手あぶりに両手をかざしていた。  源三郎をみて、安堵《あんど》の色を浮べる。 「よく来て下された。あまりに奇怪なこと故、下手《へた》にお届けも出来ず……」  違い棚の上の手文庫を示した。 「五百両少々、入って居りましたが……」  そっくり盗まれた。 「事情をお話し下さい。御迷惑になることは他言致しません」  源三郎にいわれて、元英は上ずった声で話し出した。  日が暮れて間もなく、奥女中が供をつれて来た。  酒井家奥に仕える老女、梅村の使と名乗った。梅村の容態が急に変ったので至急、来診して欲しいという。 「実を申すと、梅村様は五日ばかり前から風邪をこじらせて、昨日も御見舞にうかがって居ります」  で疑いもせず、すぐに内弟子を一人伴い、自分のところの駕籠《かご》で出かけた。 「お女中は途中で駕籠かきの仲間《ちゆうげん》が踏み抜きをして足を痛めたので、徒歩で来たと申して居りました。やがて、迎えの駕籠が来る筈だから、それまで待たせてくれといいまして、夜のことではございますし、疑いも致しませんでした」  それよりも、梅村の容態が心配で、駕籠を急がせて酒井邸へ行ったところ、 「梅村様はおやすみにはなって居りましたが、格別、お具合の悪くなったことはなく、まして、そのような女中を使に出したおぼえはないとおっしゃいました」  あっけにとられて帰宅すると、女中の姿はなく、手文庫の金が紛失していた。 「お留守宅には、どなたが居られたのですか」  と源三郎。 「内弟子一人と、老僕と下婢だが、いずれも勝手のほうに下って居ったとか」  元英は昨年、妻を失って、独りであった。 「三人とも、奥女中が、いつ出て行ったのかも知らなかったそうで……」  酒井家の奥女中ともなると、奉公人達は近づける相手ではない。  玄関には、供の小者がいたことではあり、迎えの駕籠が来れば、声がかかるだろうと、みな、神妙に勝手部屋のほうにひかえていた。 「ところで、その偽者の奥女中ですが、何か、不審なこと、お気づきになったことはありませんか」  源三郎が細々《こまごま》と訊いたあとで、東吾が口をはさんだ。 「別に、これと申して……」 「化粧などは……」 「御殿奉公のお方は、みな厚化粧で……」  ちらちらと降り出していた雪よけの心算《つもり》か御高祖頭巾《おこそずきん》をかむっていた。 「声は……」 「やや、低かったと……」 「若い男が、女の姿をしたとは思われませんか」  元英が唖然とした。 「いや、まさか……しかし、そういわれてみると……」  女装の男と考えられなくもないといった。 「よもや、芝居ではあるまいし……」  源三郎と外へ出てから、東吾はやや、せっかちに、「かわせみ」へお吉という名前の乳母を訪ねて来た若侍の話をした。 「東吾さんは、その若侍が偽者の奥女中だとおっしゃるのですか」 「なんだか変な話だと思わないか」  大名家の家来の悴が、自分の乳母を探して廻っている。 「たしかに、その通りです」 「暮の宿屋には、けっこう金のある客が泊っているんだ」 「気をつけないといけませんね」  長助をやりましょう、と源三郎がいった。 「そちらは、阿部家ですね」  品川の廻船問屋や日本橋の店、そして有田元英のところへ来たのは、酒井家の女中と名乗っている。 「大名家というのは、町方は手が出せないが……それなりにつてはあるのだろう」  自分のところの藩士が江戸市中で揉め事でも起した時に、町方の厄介になる。なるべくなら藩名を出さず、穏便にという意味もあって、大名が参勤交代で出府する際、将軍家に献上するお土産の残りと称して、町奉行所へのつけ届けがある。  武家地は支配違いだが、そうした関係にあるから、各々の大名家に出入りしている奉行所の役人がいた。 「賊は、酒井家の内情にくわしい奴だ。殊に御老女の名前を知っていて、そいつが病気で有田元英どのにみてもらっているのも承知していた。ということは、案外、奥向きに出入りしている者かも知れない」  将軍の大奥ほどではないが、大名も各々、江戸の屋敷に奥方を中心とする奥を持っている。そこは主として女の世界であった。 「大名家の奥へ出入りの出来る奴ですか」  ちょっと考えて、源三郎は頭を下げた。 「早速、手配をしてみます」  くれぐれも、「かわせみ」に御要心といわれて、東吾は亀島川の岸で源三郎と別れ、大川端へ帰って来た。      三  翌朝、長助が「かわせみ」に来た。  如何にも腕っぷしの強そうな若いのを二人連れている。 「どうも、とんでもねえ奴が、うろうろするようで……」  若いのを外へ張り番に出し、自分は嘉助の前掛を借りて帳場へ入り込んだ。 「すまんな。店もいそがしいだろうに……」  東吾は礼をいって講武所へ出かけたが、「かわせみ」の連中は、お乳母さん探しの若侍が、ひょっとすると盗っ人といわれてもぴんと来ないらしく、 「まさか、あんな子供みたいな人が……」  と笑い出したお吉を先頭に、嘉助までが、 「そういうことでしたら、まあ要心は致しますが……」  あまり、気乗りのしない表情である。  講武所の帰りに、東吾が浅草へ廻ったのは田原町に、やはり酒井家御用の京丸屋という塗物問屋があるので、今日はそこを張り込んでみるという畝源三郎の伝言を長助から聞いていたからである。  昨夜の雪は積るというほどには降らず、ただ気温はひどく下っているので、道は凍《い》てていた。  田原町の京丸屋の前には、お手先とわかるのが二人ばかり張り込んでいたが、源三郎の姿はみえなかった。  広小路に近い甘酒屋で小半刻《こはんとき》(三十分)ばかり様子をみていたが何事もない。  昨日、築地で大仕事をしたばかりで、すぐ翌日、再び危い橋を渡るかどうかと考えて、東吾は腰を上げた。  吾妻橋を渡って本所側の大川の岸の道を深川へ向ったのは、そっちに阿部伊勢守の下屋敷があるからで、どうも、お吉という乳母を探している阿部家の若侍のことが気になっている。  石原町に近づいて、東吾は鴉の声に気がついた。  この附近は鴉の多いところだが、啼き方が異常であった。ぎゃあぎゃあ、かあかあとけたたましい。  川のふちに若侍がいた。  片手に抜き身を持ち、片手で小石を拾っては屋根の上の鴉に投げている。  白髪頭の侍と小者だろうか、二人がかりでその若侍を押えようとするのだが、刀をふり廻すので、危くて近づけないという恰好である。  東吾が近づくと、その若侍は血走った目を向けた。 「どうなされた」  声をかけたとたんに、白刃をふりかぶって斬りかかって来た。素早く身をかわして相手の利き腕を掴《つか》む。若侍はうめき声を上げ、刀を取り落した。  東吾が突きはなすと、若侍は崩れるように地に倒れた。すかさず、小者が走り寄る。 「御無礼を、平に、平に御容赦下され。これは病人でござる」  白髪頭の侍が東吾に向って手を突いた。 「手前は早川甚兵衛」 「阿部伊勢守様の御家中ですか」  よもやと思ったのに、老人は深く頭を垂れた。 「まことに面目なき次第にて……」 「御病人と申されたが」 「左様……」  その時、阿部家の下屋敷の門のところから立派な侍が供の者を従えて走って来た。 「甚兵衛」  と声をかけられて、老人がその侍のほうへ近づき、なにかを話している。  これは本物の阿部伊勢守の家臣達だと東吾は判断した。  あとからやって来た侍が、東吾の前へ来て会釈をした。 「不届者が、御迷惑をおかけした由、心よりお詫び仕る。手前は青木郡大夫と申す」 「神林東吾、講武所教授方を致して居ります」 「失礼ながら、お住いはどちらにて……」  少し迷って、東吾は兄の屋敷をいった。 「では、改めて御挨拶にまかり出ましょうほどに、本日は何卒《なにとぞ》、そのまま、お引き取り下さい」  別にとがめる気はなかった。  若侍は茫然自失といった表情で、ぼんやり宙を眺めている。その様子で、なんとなく病人といったのに、納得が出来た。  これは、心を病む者と気がついた。  大川端へ帰って来ると、嘉助が待っていた。 「今しがた、畝の旦那が酒井様のお名をかたる盗っ人をお召捕りになったとか。お吉に首実検をさせたいとおっしゃったそうで、長助親分がお吉さんと浅草へ参りました」  とすると、東吾が立ち去ったあとで、京丸屋へ例の奥女中が現われたのかと思う。 「惜しいことをしたな。もう少し、浅草にねばっていればよかった」  だが、お吉の首実検は無駄だったろうと、東吾は思った。  この前、ここへやって来た若侍のことだが、本所の川っぷちで鴉に向って石を投げていた若侍の容貌や背恰好を嘉助に話すと、それに間違いはないだろうという。 「たしか、石原勘三郎とおっしゃいましたが、なんだって、鴉に石なんぞ……」  東吾は苦笑した。 「理由はわからないが、もし、そいつなら、源さんの追っかけていた盗っ人とは別っこだ。俺の見込み違いだよ」  嘉助が首をかしげた。 「若先生の見込み違いというのは、珍しゅうございますね」 「侍がお乳母さんを探して、こんな所へ来る。まして、名前がお吉とだけしかわからないというのは、どうも不審だったが、あいつの頭がおかしいのなら、どうということはない」 「おかしい方だったんで……」 「病気だと、まわりがいっていたよ」 「へえ、左様で……」  るいが気がついて迎えに来て、東吾は居間へ戻った。  間もなく、お吉は長助に送られて帰って来た。 「全然、違います。いくら女に化けていたって、この前の若侍の方とは別の人でした」 「やっぱり、男が女に化けていたのか」  それだけは東吾の勘が当った。 「咽喉仏《のどぼとけ》を御高祖頭巾《おこそずきん》でかくしていたんだそうですけど、なんだか、貧相な男でしたよ」  もう一人の、お供に化けていた仲間と匕首《あいくち》を抜いて暴れ廻ったらしいが、ちょうどかけつけて来た源三郎に叩きのめされて縛《ばく》についた。  夜になって源三郎が来た。 「東吾さんのおかげで面目をほどこしました」  賊は本名を春之助といい、どさ廻りの芝居で女形をつとめていたことがあるという。 「相棒は足柄《あしがら》の金三といいまして、だいぶ以前に江戸を荒し廻った盗賊の一味です」  背中に足柄山の金太郎の刺青《いれずみ》があるので、そういう渾名《あだな》がある。 「金三のほうは大名家の中屋敷なんぞへもぐり込んで、小者からいろいろ話を小耳にはさんでくる。それで思いついたそうですが、春之助を小間物屋に仕立てて、大名家の奥へ出入りさせたのです」  奥仕えの女中は、滅多なことでは、自分の気ままに外へ出られない。  そのために、女達に必要な日用品や絵草紙、読本《よみほん》のようなものを持ち込む便利重宝な商人で、表向きには小間物屋だが、女中のいいつけでなんでも持って来る。実家への文使いから、どこそこの菓子を買って来いというのまで、細かい用足しをする。 「春之助は小柄で、物腰が優しいので、女中衆から贔屓《ひいき》にされて、毎日のように酒井家へ出かけていたものです」  そこで得た情報を使って、金三が筋書きをこしらえ、酒井家に関係のあるところへ出かけては、盗みを働いていた。 「酒井家はびっくり仰天というところですが、表沙汰にはしません」  春之助と金三は、単なる泥棒として近日中に処刑してしまうようだと源三郎はいった。 「どうやら、ここへ来た若侍は、春之助ではなかったようで……」  東吾が長助を真似て、ぼんのくぼに手をやった。 「俺だって、たまにゃあ、しくじるさ」 「猿も木から落ちる、上手《じようず》の手から水が洩るという奴ですな」  なんにしても、賊を捕えることが出来たのは、東吾のおかげだと、この人のいい友人は丁寧に礼を述べて帰って行った。      四  これから数日後。  明日は「かわせみ」の餅つきという夜に、八丁堀の兄の屋敷から至急、来るようにと使が来た。  何事かと着替えをしてかけつけて行くと、客間に、この前、本所の大川べりで出会った青木郡大夫と早川甚兵衛、それに、麻生宗太郎がいる。  入って来た東吾をみて、兄の通之進が目許を笑わせた。 「こちらを存じ上げて居ろうな」  東吾は黙って頭を下げた。 「先日は、まことに御無礼を仕った」  あの若侍、石原勘三郎は甥《おい》に当ると青木郡大夫がいった。 「すると、お吉と申すお乳母さんを探して居られたのは……」 「左様なことを御存じであったか」  青木郡大夫が視線を伏せた。 「恥を申し上げるが、彼《あれ》は幼い時、母を失い、乳母をつけて育てたもので……」  父親はその当時、江戸詰で下屋敷に住んでいた。それは、主君、阿部伊勢守の姉で未亡人になり婚家から戻って来たのが、下屋敷のほうを隠居所にしていたからで、いわば、その側用人といった役目を承っていた。 「なにもかも、打ちあけてお話し申すが、勘三郎は幼少の時、下屋敷の庭で鴉に頭を突つかれて以来、大の鴉嫌いになり、その啼き声を聞いただけで泣き出す有様でござった」  五歳の時、大川へ落ちたのも、鴉のせいで、 「乳母のお吉と外へ出て居って、鴉の声に怯《おび》え、乳母に抱きついたところ、お吉が足をふみはずして、二人共、大川へ落ちた」  幸いみている者があって、すぐに舟を出し、二人を助け上げたのだが、勘三郎は息をふき返したものの、お吉のほうは水を呑んでいて、とうとう助からなかった。 「その後、父親が殿様に従って国許へ帰り、勘三郎も父親と共に備後へ参った」  ところが、今年、家督を継いで、江戸へ出て来て間もなく、上屋敷の庭に植木屋が入って雪よけの囲いをしているのを監督している時、木に立てかけてあった材木が倒れて来て、勘三郎を直撃した。 「しかも、そのはずみで勘三郎は池へ落ちたのでござる」  池はそう深くもなく、命に別状はなかったが、そのさわぎのせいで、木に止っていた鴉が啼き立てた。 「以来、勘三郎の様子がおかしくなり、幼少の時のように鴉に怯え、また、突然、屋敷を抜け出して、市中をさまよい歩くなど、尋常でない振舞が見えたので、このようなことが殿様のお耳に入ってはと、手前が彼を下屋敷のほうへ移し、留守居の早川甚兵衛の下で働くように致したのでござるが……」  具合の悪いことに、本所は鴉が多い。 「過日も、鴉の声を聞き、狂人のように屋敷をとび出したので、甚兵衛達が追いかけたところ、刀を抜き、通り合せた神林どのに狼藉《ろうぜき》に及んだ次第……」  ちょうど、殿様の御用かたがた、勘三郎の様子をみに下屋敷へ来た青木郡大夫がその場に行き合せた。 「御病人のことであれば、手前はなんとも思いません」  無論、他言はしないと東吾はいった。  神林通之進が改めて客に頭を下げた。 「弟も、かように申して居ります故、どうか、御放念下さい」  青木郡大夫は、漸《ようや》く安心したような表情になり、何度も頭を下げて神林家を辞した。 「ところで、宗太郎は、なんでここに来ているのです」  東吾は訊き、 「なに、この近くについでがあったので屠蘇散《とそさん》を届けにお寄りしただけだ」  これから大川端へ寄るつもりだったと宗太郎がいう。  兄の屋敷を一緒に出て、「かわせみ」へ宗太郎をひっぱって来た。 「どうも、兄上のところは行儀がよすぎて、こういうことが出来ないからな」  晩飯もまだだという宗太郎のために、るいが長火鉢に土鍋をかけ、お吉が鯛の切り身や蛤《はまぐり》、豆腐に春菊、長ねぎなどを大盛りにしたのを運んで来る。 「勘三郎という男だが、本当に病気なのか」  と訊いた東吾に、宗太郎がうなずいた。 「気の毒だが、れっきとした病人だな」  幼時の怖ろしい体験が、たまたま似たような状況によって当人の記憶の中に復活した。 「しかし、なんだって、お吉という乳母を探して歩くんだ」  その女は、勘三郎と一緒に大川へ落ちて死んでいる。 「なんといったらいいか、その部分だけ、記憶が切れているんだ」 「なに……」 「人間は思い出したくないこと、忘れたいことを、そういう場合、本当に記憶の中から消してしまうらしい」  つまり、心の病気だと宗太郎はいった。 「俺も、大川のふちで、あいつをみた時、狂気とは気がついたんだが……」  宗太郎のいうような複雑な心の病を考えたことはなかった。 「あの人は、自分が鴉を怖れて、そのために大事なお乳母さんを殺してしまったことで、長いこと苦しんでいたと思う」  ゆっくりと口に酒を運びながら、宗太郎が説明した。 「人間は弱いものだ。侍だって変りはない。まして、あの人にとって、お乳母さんは本当の母親と同じだったろう」  赤ん坊の時に歿った母親の顔も憶えていないに違いないと宗太郎はいう。 「母親代りの大事な、大事なお乳母さんを、自分のせいで死なせてしまった。これは、まともな神経の人間なら、相当につらく、苦しい思い出だ。生涯、心の傷は治るまいよ」  悩み苦しみながら侍として生きて来た男が、池に落ちた衝撃で、なにかが欠落した。 「つまり、俗にいう、気がおかしくなるという奴だが、その時、人はしばしば、一番苦しかった出来事を忘れてしまうものらしい」  だから、勘三郎は乳母のお吉がまだ生きていると思った。 「逢いたい。お乳母さんにすがりつきたい。だから、市中をさまよい歩き、お乳母さんを探すんだ」  ぐしゅっとお吉が鼻をすすり、手拭を目に当てた。  るいも下を向いている。 「おい、おい、どうした」  東吾が叫んだ。 「通夜じゃあるまいし、折角の酒が台なしだ」  お吉が慌てて部屋を出て行き、るいが少し鼻声で宗太郎に訊いた。 「その方の御病気、治りませんの」  侍がそんなふうでは、とても御奉公は出来ない。 「なにかがきっかけで治ることはあるそうですよ。しかし、医者や薬で簡単に治せるというものではありません」  土鍋の中のものをあらかた平らげて、宗太郎は本所へ帰った。  翌日、昨夜、宗太郎が歩いたと同じ道を、今度は東吾が、つきたての餅をかついで麻生家へ向った。  小名木川の上に、冬の陽が当っている。  そのあたりに、黒い鳥が群がって啼いていた。  かあ、かあというあの平凡な啼き声が阿部家の下屋敷にいるであろう勘三郎の耳に届かなければよいと思いながら、東吾は餅の包をかつぎ直し、額の汗を拭いた。 [#改ページ]   目籠《めかご》ことはじめ      一  二月八日、神林東吾が狸穴《まみあな》の方月館へ行くと、軒先に長い竹竿がたてかけてあった。その先端に大きな目籠《めかご》が逆さにつり下っている。 「なんだ、これは……」  庭で鶏に餌をやっていた善助に訊《き》いてみると、 「若先生、今日はこと八日でございますよ」  と笑われた。 「俺は、こと八日なんぞ知らんが……」  首をひねっているところへ、おとせが来た。  善助もおとせも、この方月館の松浦方斎にとっては、なくてはならぬ奉公人である。 「私も、こちらへ参りまして、はじめて知ったのでございますよ」  毎年二月八日をこと八日と称し、この日が終ると、田に出て働いてもよいということなのだと、おとせは東吾に説明した。 「つまり、お百姓さんの仕事はじめ、ことはじめと申すようで……」 「それと、この目籠を竹の先におっ立てるのと、なにか関係があるのか」 「魔よけと聞いて居りますが……」  善助が、おとせに助け舟を出した。 「手前が子供の頃、村の年寄にきいた話ですと、二月八日には、|だいまなこ《ヽヽヽヽヽ》とやら申す一つ目の鬼がやって来るそうで、目籠は竹の編み目が多うございますので、目が多い。一つ目の鬼はびっくりして逃げるとか申します」 「そいつは面白いな」  このあたりは江戸といっても百姓地が多いので、そういったのどかないい伝えや風習が残っているのかと、東吾は久しぶりに肩の力がほぐれたような気分になって、松浦方斎の居間へ挨拶《あいさつ》に行った。  二日ほど前、方斎から文が来て、忙しいところをすまないが、頼み事があるので狸穴まで来てもらえないかという内容に、早速、出かけて来た東吾である。  方斎は、かなり大きな竹籠を眺めていた。  花入れに使うのだろう、中に細長い竹の筒が入っている。 「来てくれたのか、勝手を申して気の毒なことをした」  師の言葉に、東吾は両手をついた。 「いえ、狸穴へ参るのに、よい口実になりました。こちらへ参ると、心がのびのび致します」  正月の挨拶に兄と一緒に来て以来であった。 「今年は、例年より寒気がきびしいようですが、お風邪など召しませんでしたか」 「おとせが気をつけてくれるので大事なく過して居る。そちらはどうじゃな」 「おかげさまで息災《そくさい》にして居ります」  冬になると、必ず風邪をひいて熱を出す兄の通之進が、麻生宗太郎の勧める薬湯を常用するようになって、まるで病気知らずになった。 「実は宗太郎に申しまして、先生に少々、持参致しました。よろしいようなら、また、持って来ますが……」  少し、苦い、と東吾は笑った。 「宗太郎が申すには、良薬は口に苦しだそうです」 「それは、心にかけてくれて有難い」  薬の包を押し頂くようにして、ちょうど茶を運んで来たおとせに渡した。 「早速、用いてみよう」  東吾が煎じ方を教えて、おとせがいそいそと下って行くと、方斎は改めて膝の前においた竹籠を東吾のほうへ押しやった。 「なかなか、よい細工であろう」 「手前の不風流は、先生が御存じの通りですが……」  しかし、みたところ、なんともよい形であった。ゆったりした籠の丸みに、風格が感じられる。 「これを作った職人は清太郎と申して、北日ヶ窪町に住んで居る。日の暮れぬ中《うち》に参ろうと思うが……」  せっかちに方斎が立ち上り、わけのわからぬままに東吾は供をした。  長年、師と仰いで来たから、方斎のこうした行動にはなにかの理由があることを東吾は知っている。 「お寒うございます。お気をつけて……」  おとせに見送られて方月館を出た。いつも供について来るおとせの息子の正吉は、このところ、方斎の指示で、飯倉に出来た算盤《そろばん》を主として教える寺子屋へ通っていた。 「当人は商人になる気はないと申して居るが、やはり若いうちに学ばねばならぬことはやらせておきたいと思うてな」  という方斎の言葉にも、やがて来る時代の移り変りを予期しているようなところがある。  朝から薄い雲が空をおおっていたのが、ところどころに切れ目が出来て鈍い陽がこぼれ落ちている。  その家は北日ヶ窪のはずれにあった。  どこかで梅の香がすると思ったら、庭に紅梅の樹があった。その根元に太い青竹が何本も積み重ねられている。  南に向いた家の広い縁側で、若い男が竹を編んでいた。細く裂いた竹がまるで柔らかな藁《わら》のように男の手の中で自由に曲げられ、組み上げられて行く。  庭へ入って来た方斎と東吾をみて、若い男は軽く会釈をしたが、その手の動きは止らなかった。  縁側のすみに方斎が腰をかけ、東吾は立ったまま、男の細工を眺めていた。  東吾が感心したのは、男が小さな細工用の鉈《なた》をふり上げて竹を割《さ》く呼吸であった。  殆《ほとん》ど力を入れていないようなのだが、ものの見事に細くてしなやかな竹片が僅かの間に一束、二束と出来上る。  小半刻《こはんとき》、男の仕事を見物して方斎は腰を上げた。 「どうも、たびたび、邪魔をしてすまぬな」  といったところをみると、これまでにも方斎はここへ仕事をみに訪れているらしい。  外へ出て六本木のほうへ戻りながら、東吾が感想を述べた。 「ひとかどの細工職人のようですな」 「わしも、そう思う」  実は知り合いを介して、石州流《せきしゆうりゆう》の茶人に彼の作った花入れをみせたところ、大層、気に入って是非、買い求めたいといわれ、それがきっかけで、然るべき筋からの註文が増えているといった。 「そこで、ちと、頼みがあるのだが……」  と方斎は言葉を切り、何故かその先は口を閉じた。  子細が判ったのは、夜になってからであった。  これも、このあたりでは二月八日に必ず食べるのだというお事煮《ことに》と称する、小豆を入れた味噌汁の中で芋や牛蒡《ごぼう》、人参などを煮込んだもので晩飯を済ませたところに、麻布の名主の嶋田伝蔵がやって来た。  彼は方斎の囲碁仲間であり、孫の小太郎というのが方月館へ稽古に来ていて、東吾の指導を受けたこともあるので、無論、東吾とも面識がある。  嶋田伝蔵は一人ではなかった。若い、といっても、小柄なので実際の年よりも若くみえるのだろうが、どことなくいきいきした感じのする女が背後に従っている。  前もって、方斎からいわれていたらしいおとせがすぐに二人を居間に案内し、東吾が呼ばれた。 「こちらは、今日、仕事をみせてもらった竹細工師の清太郎さんのお内儀《かみ》さんでな、おみやさんといわれる」  ひき合されて、東吾は会釈をした。粗末な木綿物に縞の帯、手に持っているのは小さくたたんだ前掛のようであった。 「おみやさんは、うちの機場《はたば》に働きに来て居りましてね。その縁でわたしも清太郎さんと親しくなりました」  清太郎の竹細工を方斎に紹介したのも嶋田伝蔵らしい。  彼の家では、昔から近所の女達を集めて麻の布を織る機場をやっていた。  おみやという女は、そこの織り子として働いているようで、道理で昼間、清太郎の仕事場を訪ねた時、姿がなかったわけかと東吾は納得した。 「まず、若先生に、清太郎さんの素性から聞いて頂きましょうか」  自分から話してもよいかと、伝蔵がおみやにことわってから、茶碗を取り上げて唇をしめした。 「日本橋の通旅籠《とおりはたご》町に井筒屋と申す竹細工物の老舗《しにせ》がございますそうで……清太郎さんは、そこの悴《せがれ》さんだと申します」  十八の時に家をとびだして、少々の流転の果に、おみやと知り合った。 「おみやさんは、清太郎さんが井筒屋の若旦那だと知ると、熱心に竹細工で身を立てることを勧め、清太郎さんもその気になって仕事をはじめたそうです」  井筒屋は職人を住み込みにして細工をさせていたので、清太郎も子供の時からみよう見真似で子供の手遊びのようなものぐらいは作ったことがあったが、まさか、自分が職人になるとは思っていなかったので、最初のうちは台所で使う笊《ざる》一つ作るのにも四苦八苦したが、おみやにはげまされて、少しずつ、腕が上り、昨年あたりからは、れっきとした茶人にまで賞められるようなものが出来るようになった。 「おみやさんは、なんとかして清太郎さんの作ったものを、井筒屋でみてもらいたい、その上で、清太郎さんが家へ帰れるように口をきいてもらえないかと申すのですが、これは手前のような田舎の名主が出かけて行ってもどんなものか、やはり、世間で信用のあるお方でないと……」  つまり、南町奉行所、与力という肩書のある神林通之進の弟なら、井筒屋のほうもそれなりに思案してくれるのではないかと伝蔵はいう。 「どうだ、東吾、昔はともあれ、あれだけの細工の出来る職人になった清太郎のことだ。力になってやってくれまいか」  よくよく清太郎の腕を買っているのか、方斎は熱心に口を添える。 「そういうことでございましたら、手前の出来る限りはやってみますが……」  何故、清太郎は家をとびだしたのか、と東吾は訊き、伝蔵にうながされるようにして、おみやが重い口を開いた。 「清太郎さんから聞いたところでは、御両親が自分よりも弟さんのほうを大事にするのが気に入らなかったとか……」  東吾がちょっと奇異に感じたのは、おみやが自分の亭主やその家族を丁寧な言葉で呼んでいることだった。普通なら、うちの人とか、清太郎と、第三者の前ではいいそうなものだ。  だが、おみやの言い方は、それほど不自然には聞えなかった。普段から、そういい馴れている口調である。 「清太郎の両親というのは、まことの親ではないのか」  ひょっとして、子が出来ないので養子をもらったあとから実子が生まれたというようなものかと思ったのだが、 「はい、本当の親御様です」  と、おみやは答えた。 「まことの親なのに、弟と区別をしたのか」  おみやがうつむいた。 「おそらく、清太郎さんの思いすごしでございましょう。清太郎さんも今では、自分のひがみだったと申して居ります」 「清太郎は、いくつだ」 「二十八でございます」 「すると、家出をして十年だな。その間、音信不通か」 「はい」 「では、井筒屋では行方のわからぬ長男をあきらめて、弟に家を継がせたかも知れぬな」 「いえ……」  おみやが少しばかり膝を進めた。 「井筒屋さんでは、橋之助さんが歿って、御両親はひどく力を落しておいででございます。この頃では、お二人とも、かわるがわる病気をなさっている御様子で……」 「お前、井筒屋を調べたのか」  東吾の言葉に、おみやはまっ赤になった。 「あの、清太郎さんのことが心配で、この前、石州流の吉沢様へ御註文の籠をお届けに参りました時、日本橋まで参りまして、近所できいて……」 「橋之助というのは清太郎の弟だな」 「はい、井筒屋さんは清水様、一橋《ひとつばし》様の御用を承って居ります。それで、長男が清の字を次男が橋の字を頂いて、名づけたとか……」 「橋之助は死んだのか」 「三年ほど前に、風邪がもとだったとかで……急に歿られたそうでございます」 「井筒屋は他に子はないのか」 「はい」  訊くだけのことは訊いたと思い、東吾は老師に頭を下げた。 「大川端へ戻りましたら、早速、井筒屋を訪ねてみます。その上で、また……」 「厄介をかけるが、何分、たのむ」  嶋田伝蔵とおみやが帰ってから、東吾は方斎に訊ねた。 「あのおみやと申す女房ですが、清太郎と夫婦になるまで、なにをしていたのですか。まるで、然るべき家に奉公していたような、しっかりした口のきき方をしていましたが……」  方斎がうなずいた。 「いわれてみれば、その通りだが……」  おみやの素性については聞いたことがないといった。 「伝蔵どのの話によると、今の所へ落ち着いたのは五年ほど前で、まだ清太郎は竹細工などして居らず、おみやが織り子をして暮しを立てていたそうだが……」  織り子としてのおみやは気だてもよく働き者で、伝蔵はかなり目をかけているということであった。 「どうも、麻布の名主どのも、老先生も、おみやという女がお気に入りのようだな」  居間を下って来て、東吾はおとせにいった。 「年をとられると、若い女に弱いのかも知れないな」  おとせが真顔で首をふった。 「そんなのとは違います。あのおみやさんという方は、女の私がみても、なにか、いじらしくて……」  どこか思いつめているようなのが心を惹《ひ》くといったおとせの言葉を、その時の東吾は笑い捨てたのだったが……。      二  狸穴から帰って、早速、東吾は「かわせみ」の連中に清太郎の話をし、持たされた清太郎の竹細工の花入れをみせた。 「私にはわかりませんが、とても姿のよい花入れだと思います」  とるいがいい、嘉助も、 「これだけの仕事をなさるようになっていなすったら、おそらく、井筒屋さんでも、今までのことは御勘弁なすって、家へお入れなさるのではございませんか」  と感心している。 「しかし、井筒屋の主人というのは、商人だろう。悴が職人になったのを果して喜ぶかな」  東吾がなんとなくひっかかった言い方をしたのは、どうにも、おみやという女にこだわりがあったからである。  自分が知り合って夫婦同然になった男が、日本橋の大店《おおだな》の跡継ぎと知って、男をはげまして一人前にする。その上で、井筒屋へ乗り込んで、男が両親と和解すれば、自分も井筒屋の若旦那の女房になれる、といった打算がおみやを熱心にさせているような気がしてならない。  それはそれで、内助の功というべきものには違いないが、なんとなく算盤《そろばん》ずくでやっているような、不快感が残る。 「ま、人には誰でも打算というものがあるのだろうが……」  東吾の打ちあけ話に、るいが考え込んだ。 「でも、おみやさんとおっしゃる方、それなりに御苦労なさったのでしょうから……」  いつ、清太郎とめぐり合ったのかはわからないが、かなりの年月を女が働いて男を養って来たことになる。 「出来ることなら、一生、日蔭の身にしたくないと思うのは人情でございましょう」 「それもそうだな」  翌日、東吾は講武所の稽古をすませてから兄の屋敷へ行った。兄嫁の香苗《かなえ》に狸穴での話をすると、井筒屋なら知っているという返事であった。 「麻生の母が、茶の湯をたしなんで居りまして、その時分から屋敷に出入りをさせて居りましたの。私がこちらへ参ってからも、旦那様の御指図で時折、註文を致しますから……」 「兄上は、竹細工などに関心がおありだったのですか」  のんきらしい東吾の言葉に香苗が微笑した。 「おつき合いのあるお方が、そうした御趣味をお持ちだとかで、御祝の時とか、暮の御挨拶などにね」  成程と、東吾は納得した。 「なんにしても、義姉上《あねうえ》が井筒屋を御存じとはなによりです。明日にでも手前に同行して頂くわけには参りませんか」  義弟の頼みを、香苗は快くひき受けた。  翌日、東吾が八丁堀へ迎えに行き、香苗と共に通旅籠町の井筒屋へ向った。 「そのお荷物、私が膝へのせて参りましょう」  と駕籠に乗った香苗が何度も声をかけたが、東吾は、 「なに、重くもありませんので……」  と、方斎から持たされた竹籠の包を下げたまま、駕籠について歩いた。  井筒屋では、香苗の姿をみて、まず番頭が出迎え、続いて主人も奥から慌《あわただ》しく出て来た。  丁重に、客間に案内する。  店の前に、竹細工所、井筒屋という立派な看板が出て居り、店の中には、清水様、一橋様御用、御誂物《おあつらえもの》御好次第、其外、出来合物品品、と太い竹片に彫ったのが下っている。  風雅な店がまえであった。  裏のほうには細工所があるらしく、東吾が一昨日、麻布の北日ヶ窪の清太郎の家で聞いたのと同じような竹を割く音、組む音が僅かながら聞えている。  客間は茶事が出来るようになっていて、主人の重兵衛というのが、すぐに炉にかかっている釜の湯加減をみて、点前《てまえ》をはじめた。  どうも厄介なことになったと思いながら、東吾は香苗が渡してくれた懐紙に菓子を取り、横目で義姉のやるのを真似ながら神妙に食べ、出された茶を飲んだ。  やがて、香苗が、 「今日は、弟が、こちら様に是非、みて頂きたいものがあると申しますので」  ときっかけを作ってくれたので、東吾は早速、風呂敷包をほどいて、竹籠を出した。 「拝見致します」  重兵衛が自分の前へ竹籠をひき寄せて、丹念に吟味をした。 「失礼ではございますが、これを、どちらで御入手になりましたので……」  東吾が重兵衛にいった。 「それを申し上げる前に、この竹細工、果して、一人前の仕事か否か、御主人のお考えを承りたい」  重兵衛がうなずいた。 「かなりの細工師であろうかと存じます。なによりも、心のこもっている……なんと申しますか、作り手の気迫が感じられますような……」 「麻布の北日ヶ窪に、清太郎と申す男が居ります。子細あって、先日、その仕事ぶりをみて来たのだが」  重兵衛の顔色が変った。 「清太郎を御存じでございましたか」 「いや、会ったのは、一度きりだ」  改めて、方斎達の話を伝えると、重兵衛の両眼に涙があふれて来た。 「逢いとうございます。悴に……」  手を叩いて奉公人を呼び、すぐに奥から妻女が出て来た。  清太郎の母親のおえいだとひき合せた。 「どれほど、あの子の行方を探したか、わかりません」  十八で清太郎が家をとびだして以来だといった。 「お恥かしいことでございますが、清太郎は子供の時から気性が激しく、商人の悴にしましては、とかく粗暴でございました」  落着きがないと寺子屋でもいわれ、習字の稽古や算盤にも身が入らず、近所の腕白と一緒に棒をふり廻したり、とっ組み合いをしたりの毎日で、親としても頭が痛かったという。 「次男の橋之助は病弱ということもございまして、心が優しく、なんでも素直に親のいいつけを守る子で、寺子屋でも、よい字を書くとか、算盤の上達が早いと賞めて頂きました」  親として我が子を分けへだてするつもりはなかったが、どうしても、長男には叱言《こごと》をいい続け、次男のほうは世間へ自慢をするということになった。  勿論、意識してそうしたわけではなかったから、清太郎に家出をされた時は重兵衛もおえいもあっけにとられ、それから考えてみて自分達の落度に思い当った。 「清太郎にすまないことをした、かわいそうなことをしてしまったと、手前も女房も、どれほど後悔したか知れません」  人を頼み、思い当る限りの行き先へ使をやったりして、清太郎を探したが、とうとう、手がかりも掴《つか》めなかった。 「あれから十年、その間には橋之助も病で歿りまして……」  老いた夫婦は、この先、なにを頼りに生きて行くことかと、なかば諦め、また、諦め切れない日々を送っていた。 「どうぞ、清太郎のところへお連れ下さいまし。親として、あの子に詫びとうございます」  とりすがられて、東吾は承知した。  香苗は八丁堀の屋敷へ帰り、東吾は井筒屋の夫婦が身仕度するのを待って一緒に通旅籠町を出た。  ひたすら道中を急いで、飯倉の近くまで来た時、 「若先生」  と声をかけたのは、飯倉の岡っ引の仙五郎である。  ちょうど、駕籠屋も疲れ切っていたところだし、東吾と共に歩いて来た重兵衛も呼吸《いき》がはずんでいたので、茶店へ入って一休みさせ、その間に東吾はざっと仙五郎に話をした。 「そういうことでございましたら、あっしが一足先に方月館へお知らせ申しましょう。老先生もさぞかしお喜びなさるでしょうから」  と仙五郎がいって威勢よくとび出して行った。  で、東吾と井筒屋夫婦が方月館へたどりつくと、おとせが、 「仙五郎親分が、北日ヶ窪へ知らせに行きました。清太郎さんをこちらへお連れになるそうですから……」  とりあえず、方月館で待つようにと段取りが出来ていた。  井筒屋夫婦は、まず、松浦方斎に挨拶をし、涙を流しながら礼を述べた。  方斎も自分が知り合ってからの清太郎の話をし、井筒屋夫婦は嬉し涙をこぼした。  そうこうしているところへ、仙五郎が清太郎を伴って来た。 「おみやさんは、名主さんの機場へ出かけているってえことなので、とにかく、清太郎さんだけ連れて来ました。あっしはこれからおみやさんを迎えに行って来ます」  という。  だが、その役は善助がひき受けた。  方斎の居間で、十年ぶりに両親と対面した清太郎は声を詰らせながら、 「お父つぁん、おっ母さん、長いこと、不孝を致しました」  と詫び、それだけで重兵衛もおえいも声を上げて泣いた。  あとは方斎が双方の間に入って、各々の気持を話し合ったり、清太郎は今日までの来《こ》し方《かた》を打ちあけた。  それによると、家出をした清太郎は上方《かみがた》へ行くつもりで品川まで来た時、やくざにからまれて、家から持って出た金をとられた上、さんざんになぐられて虫の息になった。  たまたま通りかかったのが、品川の女郎屋などに小間物を売りに行く商売をしていた女で、清太郎を気の毒に思ったのか自分の家へ連れて行き看病をしてくれた。  運の悪いことに、なぐられて怪我をしたところから毒が入ったのか、その部分が腫《は》れ上り、高熱まで出て、ほぼ一カ月は床についたきりの状態になった。 「おみやの親切がなかったら、手前の命はございませんでした。おみやは手前の命の恩人でございます」  その時のことを思い出したらしく、清太郎は涙を浮べた。  そのうちに、若い者同士のことで、いつの間にか他人でなくなり、暫《しばら》くは二人して行商をして暮していたが、おみやがいい出して品川を離れ、諸所を転々としながら麻布へやって来た。 「近所に竹の林がありまして、大風なんぞで折れた竹を切っていた時、思いついて、そいつをもらって来て、昔、店に居りました頃、細工師がやっていたのを、みよう見真似で悪戯《いたずら》をしたのを思い出して、籠を作ったり致しました」  最初は水仕事に使う笊や竹籠を作っていたが、だんだんに面白くなって来て、花入れのようなものを心がけた。 「それが、名主さんや松浦先生のお目にとまって……こうして、親と対面出来ることになりました」  人の情のありがたさを、しみじみ感じたと清太郎は何度となく、頭を下げた。  そこへ、名主の嶋田伝蔵が善助の知らせをきいたといい、おみやを連れて来た。 「どうも、おみやさんは、清太郎の両親に会うのをきまり悪がって、ここへも来たがらなかったんだが、わたしが無理に連れて来ました」  と伝蔵がいうように、おみやは身を固くし、うつむいてばかりいて、井筒屋夫婦の前へ出ても、ただ、両手を突き、ひれ伏していて気のきいた挨拶も出来ない。  東吾がみたところ、井筒屋夫婦はそんなおみやに少々、落胆したようであった。  実際、化粧をしていないにもかかわらず、おみやは三十という年よりは若くみえたが、脂っ気のない髪やみすぼらしい姿に同情はしても、井筒屋の嫁としてはふさわしくないという印象を、清太郎の両親が持ったのは、無理もなかろうと思われた。  その夜は、方月館で心ばかりの祝宴をし、清太郎は両親と共に方月館へ泊めてもらい、おみやだけは家の後片付があるからと伝蔵に送られて北日ヶ窪へ帰った。  井筒屋夫婦はなにはさて、清太郎を店へ連れて帰りたいというし、清太郎にも異存はない。 「なにが嬉しいと申しまして、両親とのわだかまりが消えたこと、おみやと晴れて夫婦になれますことが、天にも上る気持で……」  と清太郎は東吾にいったが、翌日の朝になって、おみやがやって来ての話では、家の中も思うように片づかないし、近所の人にも別れの挨拶をして行きたいので、自分は二、三日、北日ヶ窪に残りたい。  その上で、井筒屋へ訪ねて行くので、清太郎は両親と共に先に通旅籠町へ帰ってもらいたいという。  清太郎は、それなら自分もおみやと一緒に後始末をしてから発《た》ちたいといい出したが、母親のおえいが泣かんばかりに自分達と行ってもらいたいと懇願し、みかねて、伝蔵がおみやのことはひき受けて、必ず通旅籠町へ送り届けるからと約束して、結局、親子三人が方月館を出立《しゆつたつ》した。      三  江戸に雪が降って、 「やはり、春の雪でございますねえ、雪だるまを作る暇もなく溶けてしまいました」  とお吉がいい、嘉助が「かわせみ」の前のぬかるみに板を渡して通行出来るように工夫している時に客が二人、着いた。 「手前は麻布で名主をして居ります嶋田伝蔵と申します。神林様がお出《い》ででございましたら……」  という。  嘉助の取次ぎで、すぐにるいが帳場へ出て来た。 「雪どけ道で、さぞ難儀をなさいましたでしょう。どうぞ、お上り下さいまし」  湯を汲んで、すすぎを取らせ、居間のほうでは窮屈だろうと、あいている梅の間へ案内した。 「主人は、間もなく戻ります故……」  炬燵《こたつ》に火を入れ、茶菓子を運ばせると、伝蔵が、改めて同行した女を、 「井筒屋の清太郎さんのお内儀さんで、おみやさんと申します」  とひき合せた。  井筒屋のことは、東吾から聞いていて、嶋田伝蔵が着いた折に、その伴《つ》れの女を、おそらく、そうだろうと思っていたるいだったから、それに対しても、 「お初にお目にかかります。神林の家内でございます」  と挨拶したのだが、おみやは青い顔で深く頭を下げたきりなにもいわない。 「どうしたんでしょうね。あの女の人、晴れて井筒屋さんのお内儀さんになるというのに、ちっとも嬉しそうじゃありませんね」  と、これも事情を知っているお吉が不思議そうにいって、るいも考え込んだ。  不安なのだろうと思う。  どういう生まれ育ちかは知らないが、品川の遊廓あたりで女郎相手の小間物の行商をしていたような女が、清太郎と知り合い、夫婦同様の暮しをして来たものの、いざ、清太郎が井筒屋の跡取り息子として家へ戻るとなると今までのようなわけには行かない。  老舗の若女房として夫の両親に仕え、近所とのつき合い、奉公人の扱いなど、全く今までに経験したことのない世界で生きて行くのだから、おみやという女がおじけづくのも当然であった。  それにしても、麻布からまっすぐ井筒屋へ行かず、わざわざ大川端へ立ち寄ったのは、なにか東吾に相談でもあるのに違いないとるいは思った。  又、そういう時に限って、東吾の帰りが遅い。 「どうしたものでございましょうか」  居間の外へ嘉助が来て、そっといった。 「おみやさんとおっしゃる方が、どうしても聞いて頂きたいことがあるそうで……」 「私に……」 「そのようにおっしゃっておいででございます」 「名主様は、なんといわれますの」 「どうも、困り果てておいでのようで……」  なにかはわからなかったが、るいは嘉助に、おみやを居間へ案内するようにいった。  すぐに、まず嶋田伝蔵が、続いておみやが入って来た。 「どうも、おみやさんが井筒屋さんへ行くのを渋って居りまして……」  勧められた座布団にすわって、人のよさそうな名主が切り出した。 「この際、清太郎さんと別れて、他国へ行って暮すと申しまして……」  るいは改めて長火鉢のむこうの女を眺めた。  障子越しに、もう春を思わせるような明るい陽が部屋の中にこぼれている。  おみやの表情は暗く、疲れ切っていた。  何日もろくにねむっていないのだろう、肌の色は艶がなく、目がくぼんでいた。 「あの……」  おみやが小さく口を開いた。 「勝手を申すようでございますが、私、清太郎さんより三つも年上でございますし、この通り、器量よしでもございません。井筒屋のお内儀さんには不似合いな女でございます」  年上の女房だといわれて、るいは途方に暮れた。自分も東吾より姉さんである。  伝蔵がいった。 「そのことなら、もう何度もいっているだろう。世の中に姉さん女房はいくらでもいる。皆さん、うまく添いとげていなさるのだ。器量のなんのというけれども、おみやさんだって、もう少し、身なりをととのえ、化粧をすれば、どこへ出ても可笑《おか》しくはない」  いいえ、とおみやが激しく首を振った。 「私は、とても、井筒屋さんのお内儀さんにはなれません」 「なんのために、今まで苦労をしてきたのだ。女の細腕で清太郎さんを養い、あの人が一人前の細工職人になるまで、あんたは身を粉《こ》にして働き続けたんだ。あんたと会わなかったら、自分はとっくに死んでいたと清太郎さんもいっている。今こそ、夫婦そろって幸せに……」 「私は、これまでの清太郎さんには必要な女だったかも知れません。でも、清太郎さんが井筒屋さんにお帰りになる時には、そっと姿をかくすつもりで居りました」 「どうしてでございますか」  るいがやっと訊いた。 「何故、そんなことをお考えになりますの」  おみやが顔を上げた。  あきらめ切った、寂しげな微笑が彼女を思いがけず美しくみせた。 「私の役目は、もう終ったのでございます」 「役目……」 「どうぞ、なにもお訊き下さいますな。私はもう充分、幸せなのでございます。これ以上の幸せはのぞんで居りません」 「わたしの立場はどうなる」  と伝蔵がいった。 「わたしは清太郎さんに、あんたを必ず、井筒屋へつれて行くと約束した。わたしの顔は丸つぶれだ」  おみやが手を突いた。 「名主様には、お詫びのしようもございません。どうぞ、清太郎さんにおっしゃって下さいまし。私は悪い男にひっかかってかけおちをしたとでも……」 「そんな馬鹿なことがいえるものか」  ほとほと手を焼いたという恰好で伝蔵が立ち上った。 「わたしは井筒屋さんへ行って、あんたのことを話してみる。その上で、清太郎さんが好きにしろとでもいうなら、また、考えようがあるが……」  るいに頭を下げた。 「手前が帰って来るまで、この人をおあずかり下さい」  駕籠を呼んでもらって、伝蔵が出かけて行き、おみやは梅の間へ戻ったのだったが、間もなく、 「あんた、どこへ行きなさる」  嘉助の鋭い声が「かわせみ」へ響き渡って、るいは帳場へかけつけた。  はだしで土間へ下りたおみやを、嘉助がはがいじめにして、ずるずると板の間へひき戻している。おみやが激しく抵抗するので、流石《さすが》の嘉助ももて余し気味だったが、 「ちょいと、みんな、早く来て……」  お吉の叫びで、若い衆が裏からとんで来て、なんとかおみやを取りおさえたのだが、気がついてみると、おみやの顔色は死人のようになっていて、吐く息もとぎれとぎれになっている。 「番頭さん、この人、病気じゃありませんか」  とお吉がどなって、若い衆は医者へ走り、みんなで梅の間に布団を敷いて、おみやを寝かせた。  あたふたと医者が来る。茫然として、るいは帳場にいた。嘉助も途方に暮れている。  間もなく医者がお吉と一緒に出て来た。 「粥《かゆ》を煮て頂けますまいか」  どうも二、三日、ろくにものを食べていなかったようだといった。 「まさか、食を断って死ぬつもりではなかったと思いますが、どうも、無茶なことをしたようですな」  医者が苦笑し、家へ戻って薬を用意するから、あとで誰かに取りに来させてくれといって帰った。 「全く、人さわがせにも程がありますよ」  お吉が大むくれにむくれて台所へ行き、るいは嘉助と顔を見合せた。  なんにしても、伝蔵の帰るのを待つ他はない。  日が暮れた。  梅の間のおみやはお吉が運んだお粥をなんとか食べて、そのまま、ねむったという。 「いい加減、人様に迷惑をかけるのはやめてくれっていってやったんですよ。あの人、すみませんって小さくなって……なんだか、どなって悪かったような気がしました」  お吉がしょんぼりした顔で告げに来て、るいは部屋へ戻った。  とっくに帰る筈の東吾が、まだ戻って来ない。 「かわせみ」への泊り客が着き、帳場はひとしきり賑やかであった。  けたたましい声がしたのは、るいが長火鉢に炭を足している時で、出てみると足袋《たび》はだしの伝蔵が帳場の前に、へたり込んでいた。 「清太郎さんが悪い奴らになぐられているんです。早く助けて下さい」  この先で、ごろつきがたむろしている所を駕籠で通りかかって、棒鼻《ぼうばな》がそれらの誰かとぶつかったことから、喧嘩になった。 「清太郎さんが駕籠からひきずり出されて……」  自分は助けを求めに、「かわせみ」まで走って来たというのがやっとである。  あいにく、帳場に嘉助がいなかった。客を案内して二階へでも行っているらしい。 「嘉助……お吉……誰か」  と、るいが呼び立てている最中に、梅の間からおみやが出て来た。清太郎がごろつきに囲まれているときいたとたんにとび出して行く。 「おみやさん……」  るいが叫んだが、その姿はもう外を走っている。  嘉助が二階から下りて来た。 「そいつは、とんだことで……」  とび出そうとしたところへ、東吾が帰って来た。  まさに地獄で仏である。  るいの訴えで、東吾は豊海橋《とよみばし》の方角へかけ出した。  橋の先の、ちょっとした空地のところで大声がしている。  月が、その光景を照らし出した。  ごろつきが棒きれでなぐりつけ、足蹴《あしげ》にしているのは女であった。  いや、倒れている清太郎の上におみやがしっかりと抱きついて、自分の体で清太郎をかばっていた。  そして、そのむこうに駕籠から下りたばかりといった有様の重兵衛とおえいの姿がみえた。 「この野郎ども、八丁堀のお膝下でなにをしやあがる」  東吾はまず近いところのごろつきの棒きれをひったくり、そいつを叩き伏せた。もう一人の横っ面を思いきりひっぱたく。  わあっと蜘蛛《くも》の子を散らしたように、ごろつきが逃げ、東吾が追いかけて、ぶんなぐった。  ふりむくと、おみやはまだ清太郎の上にしっかりかぶさったままであった。髪は乱れ、着物は泥まみれのすさまじい姿である。  よろよろと、おえいが、その場に近づいて行った。 「おみやなのですね、あの……藤吉の娘の……おみやなのですね」  わあっとおえいが泥まみれの女にすがりついた。 「わからなかった……あんたがおみやだったなんて……」  重兵衛が女房に訊いた。 「あの……おみやか……」 「ええ、おみやです……あの子だったんですよ」  おえいがおみやを抱きしめた。 「よく、無事で……」  おみやが子供のような声で泣き出した。  一刻《いつとき》ほど後、「かわせみ」では不思議な対面の風景があった。 「どうして、今まで気がつかなかったのか」  おえいが拭いても拭いてもあふれて来る涙を手拭でおさえながら語った。 「おみやが清太郎をかばって、体を投げ出して、ごろつきに打たれている姿をみて、漸《ようや》く思い出したんです」  今から二十五年前、清太郎は三つ、おみやは六つであった。 「なにが原因だったか忘れましたが、清太郎が今日のように、近所の腕白になぐられていて、子守が知らせに来ました」  おえいがかけつけて行った時、そこにみたのは自分の体で清太郎をかばい、打たれても蹴られても、清太郎の上から動かなかったおみやの姿であった。 「この子の父親は、うちの竹細工職人で藤吉と申しました。体を悪くして、まだ若いのに歿りましたのですが、その時、家族は女房のおうめと申しますのと、夫婦の間に生まれていたおみやでございました」  まだ若い母親は実家へ戻って、再縁の相手を探すにせよ、働くにせよ、三歳だったおみやは足手まといになる。 「それで、手前どもであずかりまして……」  我が子同様に育てた。 「清太郎が生まれまして、おみやはつきっきりで、幼いながらも乳母の手伝いの真似事などをして居りましたが、子供心にも主人の家の子を守らねばと思ったのでございましょうか……あの時は、もうおみやがいじらしくて、抱きしめて泣いたのを昨日のことのようにおぼえて居ります」  おみやが八つになった年に、母親のおうめが再縁した先の許しを得て、おみやをひき取りにきた。 「当人は母親と一緒に参るのが、よほど、つらかったようで、随分と泣きました。私どもも身を切られるように悲しゅうございましたが……」  実の親の所へ帰るのであれば、どうしようもない。  おみやからの音信はそれっきり絶えた。 「母親は、あまりおみやが私どもになついて居りましたので、おみやが逃げて私どもの所へ戻って行くのではないかと心配したようでございます」  そして、二十三年、おみやは親の許をとび出した清太郎を、立派な男にして井筒屋の両親の許に帰そうとした。 「品川で助けた若い男が、井筒屋の清太郎とわかって、おみやは死にもの狂いで、あの子に尽してくれたのでございます。そのおみやの心も知らず……私どもは麻布でおみやをみた時……それが、私どもの育てた可愛いおみやだとは気がつきませず……その上、清太郎と暮していた年上の女を、気持のどこかで、さげすんでいたのかも知れません。どんなに、おみやは悲しかったか……あの子には詫びても詫びても、詫びる言葉がございません」  泣き続ける母親を制して、清太郎がおみやにいった。 「わたしは子供の頃のおみやのことを、ほんの僅かしかおぼえていない。だから、品川でめぐり合ったおみやが、昔、家にいた女の子だとは、今日まで気がつかなかった」  けれど、と声を強くした。 「わたしが井筒屋へ帰りたいと思ったのは、晴れて、おみやを井筒屋の女房にしたいと願ったからだ。お前が井筒屋へ来るのをいやがっていると名主様に知らされて、わたしは家を出ようと思った。お前と別れるくらいなら、井筒屋の主人にはならない。お父つぁんやおっ母さんにはすまないが……おみやなしには、わたしの人生はない。だから、駕籠でかけつけて来た」  とび出した息子の後を追って、重兵衛とおえいも大川端へ向った。  そして、あの空地で、二十三年前に別れたおみやにめぐり合った。 「頼みます。どうか、清太郎と一緒に井筒屋へ戻っておくれ。この通りです」  老いた夫婦に両手を突かれて、おみやは激しく泣いていたが、その姿には、もう「かわせみ」へ来た時のようなきびしく、思いつめたものが消えていた。  やがて、「かわせみ」から四挺の駕籠が威勢よく通旅籠町へ向って立って行った。 「女ってのは、思いつめるとおっかねえな」  東吾が呟《つぶや》き、るいがかすかに微笑した。 「女は好きな人のためなら、自分を捨てることが出来ますもの」 「冗談じゃねえ。それじゃ男の立つ瀬がないだろう」  居間の炬燵にさしむかいで、東吾は酒の燗をみているるいをしみじみ眺めた。 「なんのかのといったって、結局、男がしっかりしてなけりゃ、女を泣かすことになるんだな」  新しい徳利を運んで来たらしいお吉が廊下で、小さなくしゃみをした。  如月《きさらぎ》の夜、外は音もなく雨が降り出している。 「まあ、井筒屋も今日から若夫婦のことはじめだろう」  東吾が明るく笑い、るいは徳利を取り上げた。 [#改ページ]   秘曲《ひきよく》      一  立春になって、江戸は急に陽気がよくなった。  春日和に誘われたように、本所《ほんじよ》から麻生七重が「かわせみ」へやって来て、 「父がお稽古をして頂いて居ります観世大夫様とおつき合いの深い鷺流宗家《さぎりゆうそうけ》で、演能の催しがございますの、父も下手な素謡《すうたい》を致しますので、おるい様、お出かけ下さいませんか」  という。  そういった晴がましい席に、と、るいはためらったが、 「浮世の義理で義姉上《あねうえ》も出かけるそうだ。るいにも是非とおことづけがあったから、まあ賑やかしに行ってやってくれ」  と東吾も勧めるし、 「ちょうどようございますよ。この前、出来て参りました御紋付をお召しになる、いい折じゃございませんか」  お吉までが、はしゃいでいる。  神林通之進は奉行所の勤務があるし、東吾は講武所の教授方の集りがあって、 「どうも、女の中に男が一人になりそうですな」  と宗太郎が笑っていたが、当日はあらかじめ知らせがあったように、通之進の妻の香苗が大川端の「かわせみ」へ寄って、そこから駕籠《かご》を二挺並べて本所へ向った。  能楽師、鷺流宗家の屋敷は本所の割下水《わりげすい》沿いにあって、附近は旗本や御家人衆の住居に囲まれている。  万事は香苗が心得ているので、るいはその後から出迎えの人々に丁寧に挨拶《あいさつ》をして奥へ通った。  流石《さすが》に能の宗家だけあって立派な能舞台である。 「姉上様、おるい様、ようこそ」  と七重が近づいて来て、あらかじめ定められていたらしい桟敷に案内した。そこには七重の夫の宗太郎も来ていて、まわりの客達と談笑していた。 「お珍しいのね。花世ちゃんはお留守ですか」  と香苗が訊き、七重が、 「最初は伴《つ》れて参るつもりでしたの。でも、琴江様の坊っちゃまをおあずかりすることになりましたので、年頃も同じですし、二人で遊んでいるほうがよろしかろうと、父までが申しますので、おいて来ました」  と説明した。  麻生家へ子供をあずけて来たという夫婦は、すぐ隣の桟敷にいて、 「手前は立花左近将監が家臣、大村彦右衛門と申す。これなるは家内の琴江でござる」  と自己紹介をした。  るいがみたところ、大村彦右衛門というのは四十なかば、中肉中背で如何にも能吏といった感じがする。妻の琴江は七重と同じくらいの年頃らしく、まだ娘々した雰囲気がある。  随分と年の離れた夫婦、というのが、その時のるいの印象であった。  やがて、能がはじまった。  最初は素謡で、麻生源右衛門は「住吉詣」のツレをつとめた。  老いを感じさせない、朗々たる声量である。  素謡の何番かが終ると、漸《ようや》く、能で、宗家の鷺広信が「花月」を舞った。  喝食《かつしき》の面《おもて》をつけているので、容貌はわからないが、男にしては上背のあるほうではなく、声にも艶がない。  この演目は七歳の折に彦山で天狗にさらわれた花月という者がめぐりめぐって、出家して僧となっている父親に再会するという物語で、華やかな中にも深い悲しみを表現しなければならない。  その点、シテの花月はワキの旅僧に助けられての舞台といった感じがあった。  能の催しはそれで終り、 「さぞ、お腹がおすきになりましたでしょう」  昼食の仕度が出来ているからと七重がいって、ぞろぞろと麻生家へ行った。  大村彦右衛門は一足先に帰ったが、妻女のほうは子供をひき取り旁《かたがた》、麻生家へ寄って一緒にもてなしを受けた。  先に昼飯をすませていた花世が、あずけられていた大村家の子供と一緒に、客に挨拶に出て来て、舌足らずながら、祖父の稽古を聞いていておぼえてしまったという「住吉詣」の一節を披露して、麻生家は相変らず陽気であった。  るいはなんとなく、大村麻太郎という、三歳になったばかりという男の子を眺めていたが、鼻筋の通った凜々《りり》しい面立ちと、よく澄んだ目が愛らしい。  食事がすむと、琴江は礼を述べて、息子と共に帰って行った。 「あのお方は、清水様の琴江さんでしょう。しばらくお目にかからない中に、すっかり面変《おもがわ》りなさいましたね」  香苗が妹にいった。 「以前は、もっと痩《や》せていらしたでしょう」 「お子をお産みになってから肥られたそうですよ。旦那様がとてもおやさしいのですって」 「たしか、二度目でしたでしょう」 「でも、最初の時は、ほんの僅かで実家へお戻りになって……理由は存じませんけれど……」  同じ茶の湯の稽古友達だったと、七重は、るいにいい足した。 「大村様へ嫁がれる時、あちらには前の奥様のお子が二人もいるし、旦那様とお年は離れているので、私なぞ、とても心配でしたの。でも、案ずるより産むがやすしとは本当でございますね」  るいも相槌《あいづち》を打った。 「愛らしい坊っちゃまでございますね」 「花世よりも少し前に誕生なさったのですけれど、月足らずで、おまけに御難産でしたの。うちの旦那様がかけつけて首尾よく取り上げたのでしたけれど、丈夫で、御立派な赤ちゃんで、私どももほっとしたものでした」  それから足かけ三年、月日の経つのは早いものだと、七重は感無量といった面持で話している。  やがて、麻生源右衛門も帰宅して、身内の賞讃に満足気であった。  だが、話が「花月」に及ぶと、 「どうも、あれではな」  と憂鬱そうであった。  鷺流では、昨年、先代の宗家が急死して、その喪のあけたこの正月に悴の広信が宗家を継いだのだが、 「先代の晴信どのは謡もよし、舞も見事であったが、若宗家は稽古不熱心ということもあって、どうも評判が悪い」  腕も未熟で、この先、宗家の重責に耐えられるかと一門では心配しているらしい。  日が暮れる前に、るいは麻生家を辞して大川端へ帰った。  それから数日後、今度は「かわせみ」へ麻生家から使が来て、是非共、頼みたいことがあるというので、東吾が出かけて行った。 「父が勝手を申してすみませぬ。年をとっていよいよ、せっかちになってしまって……」  出迎えた七重が、しきりに弁解しながら案内した客間には先客がいた。  もう六十は過ぎているだろう、貫禄のある男で、東吾に挨拶する物腰が柔らかい。  鷺流に属するワキ方で、大友吉右衛門という者だと、麻生源右衛門がひき合せた。 「わざわざ来てもらったのは、鷺流に、ちと厄介が持ち上ってのう」  まず源右衛門が口火を切り、そのあとは、大友吉右衛門が話した。 「流儀の恥を申すようで、まことに心苦しいのでございますが、実は、鷺流には一子相伝の秘曲がありまして……」  能の「鷺」だといった。  一子相伝というのは、宗家を継ぐ者にしか教えられないもので、宗家の血を引く者が、親から子へと、代々伝えて来た。 「本年、宗家を継がれました広信どのは、御先代より、鷺の曲を受け継いで居られませんでした」  当初、流儀の者は、誰もがとっくに伝授を受けていると思い込んでいた。 「ところが、今になって広信どのが習って居らぬと白状なさいまして……」  それというのも、毎年四月に柳営で催される上覧能に、今年は鷺流が新宗家になったので、秘曲「鷺」を将軍家にお目にかけよとの御下命があり、途方に暮れた広信が、慌《あわ》てて大友吉右衛門に相談した。 「手前は御先代の折に、鷺のワキをつとめて居りますが、無論、シテの舞は存じませんし、謡の特異な節などはおぼえられも致しませんでした。また、ワキ方の家の者としてはおぼえてはならぬものでもございます」  意外な話に、東吾も驚いた。  能にはまるで趣味のない東吾だが、それでも、こういった伝統芸術の社会で、宗家を継ぐ者に一子相伝の秘曲があることぐらいは耳にしている。  どんな高弟でも教えを受けることの出来ない秘曲を、父が子に伝えることもなく死んでしまったのでは、その流儀にとって、えらいことであった。 「すると、鷺と申す秘曲は断絶してしまったのですか」  東吾の問いに、大友吉右衛門がゆるく首を振った。 「幸いなことに、お一人、伝授を受けたお方がございました」 「ほう、それは、いったい、誰が……」  大友吉右衛門の表情に苦渋の色が浮んだが、思い直したように続けた。 「むかしむかしのことではございますが、御先代の晴信様の従妹に当るお方で綾路様とおっしゃる大層、利発なお嬢様がいらっしゃいました」  両親が早く歿《なくな》って、晴信の父、吉信がひき取り、娘同様に育てていたのだが、 「女にしておくのは惜しいといわれるほど、謡も舞も上手でございました」  勿論、能楽は表むき、女が稽古出来るものではなかったが、宗家の娘分ではあり、当人も好きなので、ごく内々に吉信が教えたところ、舌を巻くほどの上達ぶりだったという。 「これは、手前だけが承知していることでございますが、吉信様は、一子相伝の鷺を晴信様に伝授なさる時、綾路様を同席させたそうでございます」  それほど、綾路という娘の能楽師としての素質を愛していたのだろうと大友吉右衛門はいった。 「それでは、その綾路という人が、秘曲の伝授を受けているわけですね」  東吾がいい、吉右衛門がうなずいた。 「左様です」 「では、その人に伝授を受ければよい」  女であろうと、先々代宗家が見込んだほどの舞い手であれば、正しく秘曲を記憶しているに違いない。 「その通りなのですが……」 「なにか、差しさわりがあるといわれるか」  どうも、まどろこしいと東吾は汗を拭いている相手を眺めた。 「東吾」  と、麻生源右衛門が、たまりかねたように口をはさんだ。 「大友どのは、すでに京の綾路どのに子細を知らせ、助力を求められて居るのじゃ」 「京……」 「綾路様は京の御所に女官として仕えて居られますので……」  宮中の女官ときいて、東吾はあっけにとられた。 「すると、出府出来ませんか」  それなら、広信のほうから京へ行けばよかろうと思ったとたんに、吉右衛門がいった。 「綾路様より返し文が届きまして、自分の代りに、御子息の高信様を江戸へさしむけるが、江戸での宿は本所の宗家の屋敷ではなく、どこか信頼出来るところを用意してもらいたい。又、その宿のこと、高信様がいつ頃、江戸へ入られるかについては、宗家はもとより、流儀の人々にも決して洩らさないで欲しいといわれるのです」  その理由は、と吉右衛門は肩で息をした。 「綾路様の御子息の高信様というのは、先代、晴信様のかくし子で……血筋から申すと、若宗家、広信様の弟に当るのです」  本所の宗家の屋敷には、広信の母、つまり、先代の晴信の本妻がいる。 「綾路様にしてみれば、高信様をいきなり、本所の屋敷へは、おやりになりたくないとお思いだったに違いありません」  東吾が苦笑した。 「成程、それで、かわせみをと、おっしゃるのですな」  麻生源右衛門が軽く頭を下げた。 「厄介でもあろうが、何分、頼む。ことは鷺流の大事なのだ」  大川端へ帰って来て、東吾は早速、るいにいって、番頭の嘉助と女中頭のお吉を居間へ呼んだ。  たった今、聞いて来たばかりの話をすると、まずは、お吉が面白そうにいった。 「お能の家ってのも、けっこうややこしく出来ているんですね」  嘉助のほうはもう少し、現実的で、 「その、高信様とおっしゃるお方は、何日頃に江戸へお入りになるので……」 「大友どのの話では、今月十日までに小田原の相模屋という旅籠《はたご》に返事を送っておくようにと指定されているそうだからな」  遅くとも、十日頃には小田原へ着く旅程と考えられる。 「そう致しますと、すでに京をお発《た》ちになって、今頃は尾張か、早ければ駿河に入ったかというところでございましょうな」  十日が小田原として、遅くとも江戸へは十二日に到着するだろうと「かわせみ」では考えた。 「それにしても、江戸へ入る日も、宿も、本所のお屋敷にも、お流儀の方々にも内密にというのは、少々、ものものしい気が致しますが……」  嘉助の言葉に、東吾も同意した。 「なにかを怖れているような気がするだろう」 「おいくつなんですか、その、高信様というかくし子は……」 「当年とって十五だそうだ」 「そのお若さで、お母様から秘曲を伝授されたのですか」  るいが感心し、そっといった。 「そのお方が秀れた素質をお持ちだと、今の宗家は剣呑《けんのん》にお思いかも知れませんね」  この前の演能で、あまり出来のよくない「花月」を舞った広信であった。 「かくし子さんのほうが宗家にふさわしかったりすると、えらいことになるのかも……」  先代宗家の弟子達は、今の宗家の実力を苦々しく思っている。そんな所に、弱冠十五歳で秘曲を伝授されている先代の忘れ形見がやって来るのであった。  下手をすると、弟子達は、高信の贔屓《ひいき》をするようになるかも知れない。  なんにせよ、「かわせみ」では、京からやって来る若い能楽師の到着を心待ちにしていた。      二  十一日の夕刻、「かわせみ」に二人連れの客が着いた。  若い娘と、その供らしい、これも年若な武士である。 「お宿をお願い申します。手前どもは京より参りました、鷺流ゆかりの者にて……」  若侍が嘉助にさし出した書状は、大友吉右衛門からのもので、江戸へ入ったら、大川端の「かわせみ」という旅籠を訪ねるようにと書いてある。 「それでは、貴方様が鷺高信様で……」  といいかけた嘉助を、若侍が制した。 「いや、高信様はこちらです」  まだ、どこかにあどけなさの残っている娘が、形のよいお辞儀をした。 「このたびは御厄介をおかけ致します。私、鷺高信と申します」  あたふたと嘉助が取り次ぎ、るいもお吉も慌てて帳場へ出て来た。  とりあえず、仕度の出来ている萩の間へ案内した。  ここは新しく改築した離れで八畳と四畳半の二間続きになって居り、母屋とは渡り廊下でつながっていた。  るいが改めて挨拶をし、嘉助が大友吉右衛門の屋敷へ知らせに行った。  直ちに大友吉右衛門がかけつけて来て、萩の間へ向う。  半刻ほどで、吉右衛門がるいの居間へ来た。 「どうも、とんだ間違いをして居りました」  大友吉右衛門は、先代の鷺晴信から、京へ去った綾路がむこうで晴信の子を産み、その子に晴信が高信と命名したということしか知らされていなかった。 「お名前からして、てっきり男のお子とばかり……」  るいが訊《たず》ねた。 「でも、秘曲の御伝授は受けられていらっしゃいますのでしょう」 「そのようです」 「もう一人のお方は……」 「雪之助と申し、奈良の興福寺に所属致す能楽師の悴とか。日頃、高信様に仕えているのでお供をして参ったそうです」  京から江戸まで、若い女の一人旅には供があったほうがいい。が、その供が紅顔の美青年となると、なんとなく気を廻したくなる。 「お供の方のお部屋は別にお取りしたほうがよろしいでしょうか」  おそるおそる、お吉がいい、 「いや、お次の間へ休むというて居ります。高信どのは、あまり目がよくなくて、殊に夜は視力が落ち、なにかと不自由故と申すことにて……」  大友吉右衛門も、いささか、ぎこちない返事をした。 「なんにしましても、手前はこれより本所へ参って、宗家と話をして参ります。何分、よろしくお頼み申します」  吉右衛門が去り、入れかわりに東吾が帰って来た。背後に方月館の正吉がついていた。  兄の屋敷に、松浦方斎が来ているといった。 「江戸に御用がおありで、正吉を供に出てみえられたそうだ」  今夜は神林家へ泊るので、兄の通之進が奉行所から下って来るまで相手をしていたという。 「正吉の奴、一刻も早く俺に会いたかったそうで、講武所までやって来たのだ」  五、六歳の時から知っている少年だけに、東吾が正吉を我が子のように可愛がっているのは、るいも知っている。 「ようこそ。さあ、遠慮なさらず、上って下さいな」  声をかけられて、正吉は嬉しそうに草履を脱ぎ、東吾について居間へ行く。  見送ったお吉がうっかり呟《つぶや》いた。 「まあ、まるで若先生のかくし子みたい……」 「馬鹿野郎、なんてことをいいやがる」  嘉助にどなられて、お吉はくすくす笑いながら台所へとんで行った。  東吾と正吉が居間に落ちつくのを待って、るいは早速、鷺高信と、そのお供の雪之助の話をした。 「案外、早く着いたな」  と東吾はいっただけだったが、正吉は、 「女の人がお能をやるのですか」  と驚いている。 「お前、能なんぞ知っているのか」  東吾に訊かれて、胸を張った。  目黒村に立派な舞楽殿があって、春と秋に勧進能が催されるという。 「方斎先生が、そちらの住職さんと親しいので、いつも、お供をして行きます。母も一緒です」 「そりゃあいいな」  明るく笑った時、お吉がお膳を運んで来た。 「今、萩の間にも御膳をお持ちしたんですけれど、娘さんはまるで男の子みたいだし、お供の方は礼儀正しいし、あんまり、こっちが気を揉《も》むことはないみたいですよ」  安心したようにいったのに、東吾が、 「なんで、お吉が気を揉むんだ」  と訊いた。 「だって、若先生、男女七歳にして席を同じゅうせずとかって申しますでしょうが……」  正吉がいるので、お吉はしきりに目くばせをする。 「するってえと、お供さんは一緒の部屋か」 「お次の間ですけどね」 「成程」  盃を取って、るいにお酌をしてもらいながら苦笑した。 「そいつはまあ、おっ母さんの許した仲なんだろうな」 「ですけど、若先生」  正吉の顔色をみて、お吉が話題を変えた。 「仮にもお能の宗家ともあろう人が、物事の順を間違えてるんじゃありませんかね」  秘曲を親から伝授しそこねて、自分の妹に当る人間に教えてもらわねばならなくなったのはまだしも、 「そういう場合、教えてもらうほうが教えて下さるほうへ出かけて行くもんじゃありませんか。それを、そっちから出て来いなんて、随分、いばってると思いますよ」 「その通りだな」  正吉に飯を食えと勧めて、東吾は自分も箸を取った。 「やはり、外にお出来になったお子ということで、軽んじていらっしゃるのでしょうか」  といったのは、るいで、 「でも、宗家も驚いているんじゃありませんか。伝授してくれる人が女だなんて……」  お吉は鷺流宗家にいい気持を持っていない。  翌朝、松浦方斎が「かわせみ」へ来て、たまたま、富岡八幡の境内で盆栽くらべの催しがあるときいたので見に行くという。  講武所の稽古のない日だったから、東吾も正吉ともども、久しぶりに恩師の供をした。  昼餉《ひるげ》は「かわせみ」で用意してお待ちしますからと、るいにいわれていたので、寄り道はせず、正午前に大川端へ戻って来ると、大友吉右衛門が来ていた。 「実は重ね重ねのことながら、お智恵を拝借致したく……」  どこかに、能舞台のような場所を借りられないかといった。 「実は、宗家が申されますには、女を能舞台に上げることは出来ないので、秘曲の伝授に本所のお屋敷の舞台ではないところを用意せよとおっしゃいまして……」 「しかし、能舞台というものが、本来、女人禁制なら、どちらの流儀へ行っても、無理でしょう」  東吾が答え、吉右衛門はいよいよ沈痛な表情になった。 「おっしゃる通りなのですが、宗家は、何分にも秘曲の伝授故、個人の屋敷の舞台では、ひそかに盗み見る者があるやも知れず、なるべく人目につかぬ所で……」 「そんなもの、あるわけありませんよ」  たまりかねたように叫んだのはお吉で、 「能舞台はいけない、どこかのお屋敷も駄目、人のみない場所なんていったひには、お城の天守閣のてっぺんにでも登らない限り、ありゃあしませんよ」  口をとがらせて抗議した。  正吉が、松浦方斎をふり仰いだ。 「先生、あそこはいけませんか。俺達が勧進能をみる……」  方斎がうなずいた。 「正吉が申すのは、目黒村の金毘羅《こんぴら》大権現の舞楽殿のことじゃが……」  場所は目黒不動尊から西へ行った百姓地の中で、周囲は田と畑に雑木林、人家は遠い。 「勧進能の時でもないと、まず人は寄りつきません」  もし、そこでよければ住職に話をしてもいいといった。  大友吉右衛門は喜んだが、とにかく、一度、その場所をみて来たいといい、昼餉をすませて狸穴《まみあな》へ帰る松浦方斎と正吉について行った。 「やれやれ、大友どのもお人がよいな」  と東吾は呟いたが、考えてみれば、能の世界に生きる者はすべてがシテ方の能楽師に従属せねばならないので、ワキをつとめる家の者も囃子方《はやしかた》も狂言も、シテ方の絶対的な権力の下で各々の流儀を支えている。  鷺流ワキ方の大友吉右衛門が、シテ方の鷺広信のいいなりに奔走するのも、能の社会では、むしろ当然かも知れなかった。  その日の午後、東吾が「かわせみ」の庭から大川へ向って釣糸を垂れていると、足音が近づいて来た。  ふりむいてみると若い娘が遠慮そうに立ち止っている。 「釣れますか」  そっと訊かれて、東吾は笑った。 「今日は駄目です。たまには気まぐれの魚がいて針にかかってくれるのですがね」  思い切りよく、糸を川水から上げた。 「やってみますか」  釣に興味を持ったのかと東吾は思ったのだったが、娘はいいえ、といい、東吾の隣へ来た。 「先程、こちらの女中頭の方にうかがったのですが、あなた様は剣の達人とか」  東吾は笑い出した。そういったお吉の顔が目にみえるようだったからである。 「達人とは凄いな」 「でも、講武所の師範をなさっていらっしゃるのでしょう」 「他に能がありませんのでね」 「私の力になって頂けませんか」 「どういうことです」  釣糸を竿に巻いた。  なにから話そうというように、娘は迷っていたが、 「私、鷺高信と申します」  と名乗った。  多分、そうだろうと思っていたので、東吾はうなずいて、娘の顔をみた。  女にしてはやや浅黒いが、きりっとひきしまった容貌は、お吉がいったように、まだ色気には乏しいが、なかなかの美少女である。 「大友どのが伝授の場所を探していると思いますが……」 「目黒村へ出かけられましたよ」 「目黒村……」  呼吸《いき》を呑み、すぐに続けた。 「寂しいところですか」 「田畑の中ですよ。江戸のはずれですからね」 「人家には遠い」 「大声をあげても聞えませんな」  東吾は謡の声が大きくても、というつもりでいったのだったが、高信は青ざめている。 「どうかしたのですか」 「母の申した通りになりましたので……」  この人の母といえば、綾路のことだと東吾は考えた。 「母上が、なんといわれたのです」 「江戸へ参るのは危険だと……」 「危険……」 「命をねらわれるかも……」 「どうして、あなたの命を、誰が、ねらうのです」 「私、そんなことはあるまいと申しました。私が広信どのに秘曲を伝えねば、鷺流の大事になる、それでは、歿った父が気の毒だと存じました」 「お待ちなさい」  東吾は腰の手拭を抜いて、傍の石の上へ敷いた。 「こんな所ですが、まあ、おかけなさい」  高信は素直に腰を下した。  川風も、この二、三日、すっかり春である。 「失礼だが、あなたの母上は、あなたをみごもって、京へ去られたのではありませんか」 「その通りです。母は、母の叔母をたよって京へ参り、私を産み、育ててくれました」 「父上の、晴信どのにお会いになったことは……」 「ございません」  東吾が、この男らしい快活さでいった。 「どうも、よくわからないな」 「どこが、でしょう」  娘の表情が春風の中で自然であった。 「申してもよろしいですか」 「どうぞ、なんなりと……」 「あなたの母上は、どうして京へ去ったのですか」 「母が申しますには、正香どのが怖ろしかったからだと……」 「正香……」 「晴信の本妻でございます」  悪びれずにいってのけた。 「母は晴信の妻にはなれませんでした」 「しかし……それは母上の罪ではないでしょう」  妻がありながら、従妹をみごもらせた男にこそ、罪がある。 「晴信どのは、京に去ったあなた方に、なにか心遣いをしましたか」 「いえ、聞いて居りません」 「あなたは父親を憎んではいないわけだ」 「男としては見下げて居ります。でも、父は父ですし、それはどうしようもありません」  それに、と小さくつけ加えた。 「母は、おじい様の御恩をよく申します」  晴信の父であり、綾路が娘のように厄介になった吉信のことだといった。 「私、考えましたの。おじい様が一子相伝の秘曲を晴信だけではなく、私の母にも伝えたのは、万一を思ってではなかったかと……」  一人に伝えた曲は、その一人が誰かに伝えないで死ねば消えてしまう、と高信はいった。 「鷺は、ごらん下さるとわかりますけれど、とても美しい、情のある能なのです。あの能を後世に伝えられないとしたら、とても悲しいと思います」  東吾は娘の声に聞き惚れていた。なんとさわやかで、耳に心地よい声かと思う。 「鷺」の秘曲というのは、どんな能か知らないが、この娘の口からこぼれ出る謡は、どんなだろうと心が惹《ひ》かれた。 「みればわかるといわれても、秘曲では、なかなかみることは出来ないのでしょうな」  上覧能で披露されるものなら、観客は将軍家、御台所《みだいどころ》、その他の諸大名達である。 「ですから、目黒村とやらへ来て下さいまし」 「なんですと……」 「母が申しましたの。先方が人けのない場所で伝授をのぞんだら、決して出かけてはいけないと」 「理由は……」 「わかりません。でも、雪之助は命がけで私を守るつもりのようです」  東吾が優しい微笑を浮べた。 「よろしい、目黒村へいらっしゃると決ったら、お供をしましょう。あなたの舞われる鷺は是非、拝見したいですからね」      三  大友吉右衛門が目黒村から帰って来、鷺流宗家と打合せをした結果、秘曲伝授は十五日の夜、目黒村の金毘羅大権現の境内にある舞楽殿でと決った。  十四日の午後、東吾は鷺高信と雪之助を伴って、狸穴の方月館へ向った。  その夜は方月館に泊り、翌日、方斎が同行して目黒村の金毘羅大権現の社務所へ行く。  別当職をつとめるのは真海和尚といい、日頃は社務所の裏側にある安徳院という塔頭《たつちゆう》に起居している。  金毘羅大権現の境内は広かった。北側に南面して社殿があり、それと境内の空間をはさんで舞楽殿がある。  つまり、この舞楽殿で催される舞や能楽などは、本殿の神へ奉納するという形になっている。  建物はかなり古いが、立派な建築で手入れも掃除も行き届いていた。  社務所には神官と留守番の老爺《ろうや》がいるが、今夜は真海和尚のはからいで渋谷の金王八幡へ参籠《さんろう》に出かけることになっている。 「なにからなにまで……ありがとう存じます」  高信は和尚に礼をいい、許しを得て舞楽殿へ上った。雪之助がすぐあとに続く。  舞台の様子を確かめて、二人は下りて来た。 「よい舞い殿でございます」  ここで春秋に勧進能が催され、集って来るすべての人に拝観が許されるというのを、高信は目を輝かせて聞いていた。  侍も町人も百姓も、男も女も、老人も子供も、美しい謡曲に耳をすませ、舞に目を奪われる。 「ほんに、それこそが、まことの能と申すものでございましょう」  安徳院へ戻って昼食をすませると、高信は雪之助と奥の部屋にひきこもった。  やがて嫋々《じようじよう》たる笛の音が聞えて来た。雪之助が吹いているらしい。  春の陽が、やがて傾く。  真海が手ずから茶粥《ちやがゆ》を炊いたが、高信と雪之助は、 「大事の前でございますので……」  粥はもとより湯茶も口にしないという。 「では、当方は遠慮なく……」  方斎と東吾が、和尚と共に熱い粥をすすった。  陽が落ちて、大友吉右衛門がやって来た。 「只今、打ち揃うて到着致しました」  社務所のほうに、宗家の広信と囃子方一同が入ったという。  定めの時刻は五ツ半(午後九時)であった。 「宗家より、うかがって参れと申しつけられたのでござるが……」  今夜の伝授が終り次第、高信と雪之助は大川端の「かわせみ」へ戻るのかと訊いた。 「いや、狸穴の方月館へ戻ります」  東吾が答えた。そのために正吉が時間をみはからって駕籠を用意して迎えに来る。 「では、松浦先生も神林どのも御一緒に……」  左様と答えようとして、東吾は或る気配を感じた。誰かが、この部屋の外、庭のつくばいのあたりにいる。 「老師は和尚とお話があるので、安徳院へお泊りです。手前もここへ残ることになろうかと……」  人のよさそうな吉右衛門が、不安顔をした。 「すると、方月館へ戻るのは、高信どのと雪之助だけでございましょうか」 「知り合いの駕籠屋が迎えに来ることでもあり、御心配には及びません」  吉右衛門はなにかいいたげだったが、そのまま社務所のほうへひき返して行った。 「東吾」  と方斎が声をかけた。 「庭に猫が居ったの」  老師も気づいていたと思い、東吾は微笑した。 「山から狸が下りて来たのかも知れません」 「このあたりは狸も狐も多うございましてな。殊に春は仔が生まれるので、里にまで餌を求めに参るようで……」  真海和尚が屈託なく笑った時、障子が開いて、高信が姿をみせた。  白の綸子《りんず》の紋付に浅黄の重ねをつけ、白の袴《はかま》をはいている。 「ぼつぼつ、時刻と存じますので……」  黒く長い髪を自然に後へ垂らして、首筋のところを白い紐でまとめてあった。  月光の中で、それは、一羽の鷺を思わせた。  安徳院から舞楽殿まで、高信は雪之助と境内を横切って行った。  東吾は月あかりを避け、建物の影を縫って本殿の廻廊の下へたどりついた。  囃子方は、すでに舞楽殿に勢ぞろいしていた。そして、脇座に当る位置に大友吉右衛門と、若い男が立っている。  それが、鷺流宗家の広信のようである。  雪之助が高信の手をひいて舞楽殿へ上って行った。  そういえば、あの娘は、夜、視力が落ちるのだったと、東吾は気がついた。  舞楽殿は満月の光を浴びて昼のような明るさではあったが、高信の足許はどこかおぼつかない。  あれで舞えるのだろうかと、東吾が不安になった時、高信の声がひびいた。 「では、鷺の秘曲、御伝授申します」  仕舞扇を手に橋がかりに高信が立つと、雪之助は後見の座についた。  笛の音が高く、それに続いて小鼓と大鼓《おおかわ》が夜のしじまに鳴った。  高信が橋がかりを静かに進み、本舞台にかかる。  東吾は舌を巻いて眺めていた。  それは目の不自由な者の動きではなかった。  川の流れの中を水鳥が進むに似た優雅な足の運びである。  低いが冴えた謡が高信の唇から洩れて来た。  哀調のこもったその曲に、忽ち東吾の心が吸い込まれた。あとはもう、夢心地である。  舞楽殿は月光の湖であり、そこに舞う高信は優艷な鳥の化身であった。  足拍子は時に高く、ひるがえる袖はしばしば光の波を切った。  曲が終った時、東吾はまだ恍惚の中にいた。  雪之助が再び高信の手をひいて、境内を戻って来る。我に返って、東吾は安徳院へと木陰を走った。  高信は安徳院で衣裳を着替え、真海和尚と松浦方斎に挨拶をして駕籠に乗った。駕籠脇には雪之助と迎えに来た正吉がつく。  すでに亥《い》の刻(午後十時)を過ぎていた。 「急いでやってくれ」  見送りに出た東吾の声を合図に駕籠は田畑の中の道をひたひたと遠ざかる。  その道は目黒川を渡って権之助坂へ出る。  人家は全くなく、無論、通行人もない。  地から湧いたように、人影が駕籠を取り巻いたのは目黒川の手前であった。 「何奴《なにやつ》だ」  正吉が勇ましく叫んだ。雪之助が素早く駕籠から高信を助け下した時、その前に東吾が立った。 「随分、早く出やがったな」  取り巻いている人数を目で数えながら、正吉にいった。 「お前は高信どのの傍をはなれるな」  無言で白刃がひらめいたが、それは東吾が掴《つか》んで来た青竹で叩き落された。 「馬鹿野郎、手前ら、誰に頼まれた」  東吾が一歩踏み出しながら、どなった。 「ここらは方月館の縄張りだってのを知らねえな」  わあっと喚《わめ》いて斬りかかって来たのを、苦もなく東吾は叩き伏せた。逃げようとする奴の足をすくう。 「東吾、一人も逃がすでないぞ」  月光の中に松浦方斎が木刀を手に姿をみせて、曲者《くせもの》は浮き足立った。  権之助坂のほうから提灯がとぶように近づいて来て、 「若先生……仙五郎でござんす」  目黒村の捕物は一瞬の中に、かたがついた。  捕えられたのは、いずれも両国界隈のあぶれ者達で、金で頼まれれば人殺しもやりかねない連中だったが、こうなると意気地がなく、奉行所の取調べになにもかも白状した。  依頼人は鷺広信とその母の正香で、高信を殺そうとした理由については、 「一子相伝の秘曲を、受け継ぐべきではない者が知っているのは、流儀のためになりませんので……」  と答え、吟味方の与力をあきれさせた。  広信は入牢中に病死し、鷺流はお上《かみ》があずかるという形になった。  大友吉右衛門や囃子方の人々は、広信の計画を全く知らなかったことがわかって、おとがめはまぬがれたが、流儀の中心を失って、その衝撃は大きかった。 「よもやと思ったが、全く、あきれた奴だったな」  自分に秘曲を伝授するために江戸まで出て来た腹違いの妹を殺そうとは、悪鬼羅刹《あつきらせつ》だと「かわせみ」の連中は憤慨したが、高信は寂しげであった。 「母は鷺を、私にも雪之助にも教えました。私も、雪之助も、腕のある者にはいくらでも教えようと思って居ります。あのように美しく、悲しい能の名曲を、この世から失っては御先祖に申しわけないと思いますので……」  秘曲は大事にしなければならないが、人に秘すものではないと高信はいった。 「第一、とても難しい曲ですから、腕のない人が舞っても舞えません」 「あんたは若いのに、たいした才能を持っているのだな」  満月の夜に羽ばたく鷺の舞が瞼《まぶた》の中に浮んで、東吾は感心した。 「鷺流はおあずかりになっても、鷺の舞は残る。考えようによっては、それも悪くないな」  高信が東吾をみつめた。 「でも、悲しゅうございます」  血のつながった兄に殺されかけた妹であった。 「広信は、あんたの腕が、羨《うらや》ましかったんだろうな」 「女は能舞台にも立てませんのにね」  江戸の桜がちらほらと咲きはじめた朝、高信は雪之助と共に、京へ帰った。      四  その日、東吾が本所の麻生家へ行ったのは、るいが、雛祭《ひなまつり》のための白酒を豊島屋から買い、一樽を麻生家へ届けてくれと頼んだからである。  一樽といっても、雛祭用の小さな塗りの樽で、東吾は気軽に下げて行ったのだが、麻生家ではもう雛飾りが出来ていて、その部屋に客があった。 「こちらは大村様の奥様と、御子息の麻太郎様ですの」  と七重が紹介し、ふっくらしたその人妻は、はっとしたように東吾をみつめ、慌てて頭を下げた。  東吾のほうは、どっちみち、数多い七重の友達の一人だと思うから、あまり気にもせず挨拶をして、宗太郎の診療所になっている離れのほうへ行き、世間話をしていると、男の子が入って来た。あとからその母と、七重がついて来て、 「大村様がお帰りになるので御挨拶に……」  という。  宗太郎が頭を下げ、東吾も帰って行く母子を見送った。 「今の奥方は、立花左近将監どのの用人、大村どのの後添《のちぞ》いでしてね。嫁入りした年に今の麻太郎どのを産んだのですよ。花世より少々、早く誕生したのですが、流石、男の子ですね。成長が早い」 「男の子は、女の子より手がかかるだろう」 「腕白ですがね、末たのもしいような子ですよ」 「麻生家も、男の子が欲しくなったらしいな」  今度、生まれるのは男の子ではないかなどといいながら居間へ行くと、花世が大きな貝桶の中から貝合せの貝を取り出している。 「これは見事だな」  三百六十個の蛤《はまぐり》の貝がらの内側に絵や歌を描いて、左貝と右貝を合せる遊びに使うもので、源氏物語や古今集などにちなんだ絵物語がよく使われるのだが、 「謡曲なのですよ」  と、戻って来た七重が告げた。 「珍しいでしょう。左貝がお能の絵、右貝にお謡の歌詞の一部が書いてありますの」  これは「松風」、こちらは「王昭君」などと並べる。 「今、お帰りになった大村様に頂きましたの」  近く、夫の大村彦右衛門が国許《くにもと》へ帰ることに決ったので、妻子も共に柳河《やながわ》へ行くのだと七重は少し寂しそうにいった。 「琴江様は江戸生まれの江戸育ちでしょう。江戸より三百里もはなれた柳河へ行かれるのでは、さぞ心細いことだと思います」  その別れに、娘時代からの仲よしだった七重に、この貝合せの道具を贈ったものであった。 「随分と立派なものだな」  東吾も、その一つを手に取った。右貝だったとみえて、謡曲の一節が書いてある。   取られて行きし山々を   思いやるこそ悲しけれ 「それは、花月です」  七重が東吾の手の中の貝をのぞいた。 「琴江様が、その左貝だけ、失ってしまったとおっしゃっていましたけれど……」  絵を描いたほうの左貝がないらしい。 「花月というのは、どんな曲なんだ」  珍しく東吾が訊いたのは、高信の「鷺」をみて以来、少々、謡曲に興味を持ったからだったが、 「花月というのは、天狗に取られて行方知れずになった子と、父親が再会する話です」  つい、この前、鷺流の催しで演じられたといった。 「鷺流もあんなことになってしまって、御一門の方は、途方に暮れていらっしゃいます」  七重の声が耳の中をすり抜けて行き、東吾は、花月の右貝を、ぼんやり眺めていた。  なにかが心にひっかかっているのだが、その何かがわからない。  七重が雛壇のぼんぼりに灯を入れて、内裏雛《だいりびな》の顔がくっきりと浮び上った。  東吾は、まだ、花月の右貝をみつめている。  三歳の麻太郎、その母の琴江は、七重が宗太郎と祝言を上げたあとに大村彦右衛門の妻になり、その年の中に赤ん坊を産んだ。  東吾が帰ってから、七重が思い出したように、宗太郎にいった。 「そういえば、父がいっていましたが、麻太郎ちゃんは、まるで東吾様の子供の時みたいに元気がよすぎると……」  雛壇の横においてある貝桶の中の、花月の貝が右貝だけである理由を、この時、麻生家の人々は、まるで知らなかった。  そして十日後、東吾は兄の代理で知人の法事に向島まで出かけた。その帰り道、向島の堤は満開の桜だったが、夕暮のせいか人出はそれほどでもない。白い花片が雪のように舞っている道を本所のほうへ歩き出して、東吾は突然、立ちすくんだ。  或る光景が脳裡をよぎっている。  あれは、三年前、宗太郎と七重の祝言の夜であった。雪の中を帰りかけて、大川へ身投げをしようとしている娘を助けた。娘は幼い日、男から悪戯《いたずら》されたのが心の傷になっていて、男女の契りを結べないでいる。娘にすがられ、求められてかりそめの刻を持った。  あとで知ったことだったが、その娘は七重の友達で、間もなく然るべき相手の許へ嫁入りすることになっていた。  娘の名は琴江……。  この間から胸につかえていたものが、俄《にわ》かに吹きとんだ感じであった。  もしや、あの麻太郎という子は……。血の気のなくなった顔で、東吾は麻生家へたどりついた。  東吾の問いに、七重はいつもの屈託のない声でこう答えた。 「琴江様なら三日前に江戸をお発ちになりましたのよ。ええ、麻太郎ちゃんも御一緒に。旦那様は国家老《くにがろう》に御出世遊ばしたそうですから、いつ、江戸へお戻りになるやら……」  大川の岸辺からみる西の空は春霞であった。  筑後柳河は、あまりに遠い。 [#改ページ]   菜《な》の花月夜《はなづきよ》      一  針のように細い春の雨が「かわせみ」の暖簾《のれん》越しにみえる柳の根元を濡らしていた。  帳場にすわり込んで、るいはすっかり緑の濃くなった柳の下枝を、みるともなしに眺めていた。  空気がなま温かく、睡気を誘うような午下《ひるさが》りである。  今夜も、東吾は遅くなる筈《はず》であった。  講武所への出がけに、 「宗太郎に話があるので、本所《ほんじよ》へ寄る。多分、義父上《ちちうえ》の話し相手をさせられるだろうから、飯は先にすませてくれ」  といった。  このところ、東吾はよく本所へ出かけて行く。 「宗太郎のところは、ぼつぼつ二人目が生まれるんだ。七坊の奴、大きな腹を抱えてふうふういっているよ」  つい、四、五日前も少し酔った顔で帰って来て、嬉しそうな声で話していた東吾を、るいは思い出していた。  東吾は子供好きであった。子供と合性がいいのだと自分でも認めている。  狸穴《まみあな》の方月館にいる正吉は、東吾のことを実の父のように慕っているし、畝源三郎の悴《せがれ》の源太郎も、父親が多忙なこともあって、とかく、東吾に甘える。それどころか、本所の麻生家の花世までが、 「東吾さんというのは、どうして女子供を手なずけるのがうまいんですかね。花世を取り上げたのも、お襁褓《むつ》を洗ってやったのも、父親のわたしだというのに、この頃はなにかというと東吾の小父《おじ》ちゃまに、べったりなんですからね」  と麻生宗太郎が冗談をいうほど、東吾になついているらしい。  この家に子供がないからだと、るいは寂しかった。  あれだけ子供好きの人が、自分の子が欲しくないわけがなかった。もし、自分の子が誕生したら、どんなに喜ぶだろう。  第一、神林家は、兄の通之進の所にも子供が出来ない。このままだと、さきゆき、養子でも迎えないことには、家が絶えてしまう。  侍の家の場合、これは重大事であった。  将軍はもとより、大名家で多くの妻妾を畜える大義名分はこれ故といっていい。  ぼんやり考えていて、るいは、はっとした。  武家の場合、本妻に子が出来ない時は、妻が自ら、適当な女を探して、妾《めかけ》として夫に勧めるという話を思い出したからである。  神林家では通之進は病身だが、東吾のほうは病気知らずの男盛りであった。自分のような年上の女ではなく、もっと若い娘だったら、或いは東吾の子を。 「お嬢さん、どこかで赤ん坊が泣いていませんか」  お吉にいわれて、るいは我にかえった。  耳をすませると、たしかにあまり力強いとはいえないような赤児の声と一緒に、 「お前さん、どうしなすった」  嘉助が片手で暖簾をかかげながら、赤ん坊を背負っている若い女を土間へ押し入れるようにした。今まで雨の中を歩いていたのだろうか、若い女の髪も、背中の赤ん坊も濡れそぼっている。 「おやおや大変」  お吉が手拭でまず赤ん坊を拭いてやり、 「番頭さんも男らしくないねえ。傘を貸してあげりゃあいいのに……」  雪駄を脱いだばかりの嘉助に口をとがらせた。 「そうじゃねえんだよ。俺が髪床から帰って来ると、こちらさんがそこんところに立っていなさるから……」  若い女が慌《あわ》てたようにお辞儀をした。 「すみません。あたし、荒川から知り合いを訪ねて来たんですけれど、その人が引っ越したときいて……」 「お前さん、荒川から来なすったのか」  嘉助が女の身なりを眺めた。着ているのは木綿物だが、それなりにきちんとしていて、そう貧しい家の女房とは思えなかった。 「それじゃ、これから、どうなさる」  まだ日の暮れには間があった。 「荒川へ帰ろうと思います」 「だったら、駕籠でも頼んであげようか」 「すみません」  遠慮がちにいった。 「その前に、この子にお乳をやりたいのですが、どこかお借りできませんか」 「いいですとも……」  るいがお吉をふりむいた。 「どこか、空いてる部屋へ案内してあげるといい」  もとより、親切でお節介ぞろいの「かわせみ」のことで、若い女の足を洗うすすぎの仕度をしてやるやら、赤ん坊を抱き取るやら、いそいそと、お吉が客用の部屋へ連れて行った。  そのあたりから「かわせみ」は急に客がたて込んだ。  滞在客が、雨のせいもあって早く帰って来たり、ぬかるみを歩いて到着した客の世話だの、それ風呂だ、夕餉《ゆうげ》には酒が欲しいの、と帳場も板場もいそがしくなって、ふと、るいが気がついた時には、もう夜になっていた。  台所で客のお膳の指図をしているお吉に、 「さっきの子連れの女の人だけれど、もう、帰ったんだろうね」  と訊くと、 「番頭さんが駕籠を呼んだんじゃありませんか」  という。  で、帳場ヘ出てみると、二階から嘉助が宿帳を持って下りてくるところであった。 「荒川から来たあの人は……」  とるいがいいかけると、 「ああ、今、帰りましたか」  反対に訊かれた。  そこへお吉も出て来て、誰も送り出していないところをみると、まだ、部屋にいるのだろうということになった。 「案外、くたびれて、寝ちまってるんじゃありませんかね」  この節の若い女はのんきだからと、お吉がさっき案内した梅の間へ行ったが、すぐ戻って来て、 「赤ちゃんは寝ていますけど、お母さんの姿がみえないんですよ」  手洗いにでも行っているのかと、廊下を走って行った。  嘉助が念のため、下足箱をみに行くと、女の履いて来た下駄がなかった。 「近所に、なにか買いに行ったんじゃあ……」  とるいは考えたのだが、梅の間へとんで行った嘉助が、 「ごらん下さいまし。赤ん坊の枕許《まくらもと》に、こんなものがおいてありました」  半紙に平仮名で、   このこのなまえはおこうといいます   どうかたすけてください  と書いてある。 「なんですか、これは……」  戻って来たお吉が嘉助の手から取り上げて、 「ひょっとして、捨て子……」  と青くなった。  半紙は雨に濡れて、しめっている。それはこの文を「かわせみ」へ来てから書いたのではなく、あらかじめ用意して、母親が帯の間にでも入れていたものと思えた。 「冗談じゃありませんよ、宿屋に捨て子だなんて……」  お吉が慌てて、外へとび出して行き、嘉助と大川端を永代橋《えいたいばし》のほうまでみに行ったが、若い母親がみつかる筈もなかった。  ちょうど、そこへ町廻りの帰りだという畝源三郎がやって来たので、早速、事情を説明すると、 「荒川に住んでいて、赤ん坊の名前がおこうというのがわかっているのですから、多少なりとも、手がかりはあるわけです」  早速、明日にでも長助を荒川へやって調べさせるし、赤ん坊もお上《かみ》のほうであずかるように手配をするという。 「あずかるといっても、御承知の通り、捨て子|溜《だまり》は、あまり面倒みのいいところではありませんが……」  源三郎にいわれるまでもなく、るいは赤ん坊が不愍《ふびん》になっていた。  親に捨てられたのも知らず、乳をたっぷり飲んだのだろう、大人が大さわぎをしているのをよそに、おこうという名の赤ん坊はすやすやとよく睡《ねむ》っている。 「私どもの不注意でこういうことになり、お上に御厄介をかけるのもなんですから、赤ちゃんは私共でおあずかり申します」  るいの申し出に、源三郎が笑った。 「お気持はわかりますが、赤ん坊の世話は大変ですよ。この子はせいぜい生まれて半年かそこらでしょうから、もらい乳もしなけりゃあならないでしょうし、お襁褓《むつ》だって……」  源三郎は親切からいったことだったが、るいは、なんとなく子を産んだことのない自分が馬鹿にされたような気持になった。 「大丈夫でございます。これでも、女のはしくれでございますもの」  いつものるいらしくない言い方に、源三郎は、はっとしたようだったが、すぐに真面目な表情で、 「では、とりあえず、お願い申します」  母親の年頃や人相などを嘉助に聞いて、まだ降り続いている雨の中を帰って行った。 「全く、どうも、えらいものを背負《しよ》い込んじまって申しわけございません」  嘉助は、最初に女へ声をかけたのを責任に思うらしく、るいに頭を下げ、豊海橋の近くの産婆に、この近所で乳の余っていそうな母親はいないか訊いてくるといい、お吉はとりあえず、重湯《おもゆ》でも作っておこうと台所へ去った。  るいは梅の間からそっと赤ん坊を抱いて、自分の居間へ連れて来たが、目がさめた赤ん坊が泣き出したのに仰天した。 「お嬢さん、今、重湯が出来ますから……」  あたふたしながらも、お吉は度胸がよくて、さました重湯を木匙《きさじ》で赤ん坊の口に流し込む。  てんやわんやの中に畝源三郎の妻のお千絵がやって来た。 「捨て子ですって……」  源三郎から聞いたといい、風呂敷包にして来たお襁褓だの小さな下着や着物を取り出した。 「源太郎が赤ん坊の時のものですけれど、この際、男も女もありませんでしょう」  と、こちらは一人、子供を育てた経験があるので、お吉よりも上手に重湯を飲ませ、濡れていたお襁褓まで取り替えてくれた。  小座敷に布団を敷かせ、これも持参の小さな枕をちょんとおいて、赤ん坊を寝かしつける。  るいもお吉も、その手ぎわのよいのに、ただ茫然と見とれていた。  やがて、嘉助が帰って来て、新川に、ちょうど生後一年になる赤ん坊を持つ母親がいて、いつでも連れていらっしゃい、といってくれたと報告したが、お千絵は重湯の飲みっぷりがよいので、夜はこのまま重湯で通し、明日、乳もらいに連れて行くといいと助言した。  結局、亥《い》の刻(午後十時)近くまで、お千絵が赤ん坊の面倒をみてくれて、おそらく、これで朝方まで寝るでしょうと、嘉助の呼んだ駕籠で帰って行った。  東吾が「かわせみ」へ戻って来たのは、更に一刻(二時間)ほどあとで、るいは古い浴衣《ゆかた》をほどいて、せっせとお襁褓作りをしている最中であった。      二  翌日、東吾は朝餉をすませると、まっしぐらに本所の麻生家へ行った。  七重にざっと捨て子の話をすると、ものわかりが早くて、花世の赤ん坊の時の衣類が、ひとまとめにして蔵の長持に入れてあるからと、早速、取りに行った。  その女房の後姿を見送ってから、宗太郎が、 「驚きましたよ、まさか、昨夜の話をおるいさんにぶちまけて、朝っぱらから叩き出されて来たのじゃあるまいかと……」  と笑う。  実をいうと、東吾は昨日、やっと、この友人に悩みを打ちあけていた。  三年前の、宗太郎と七重が祝言をあげた雪の夜に、身投げをしようとしていた娘を助けて、不思議な家へ行き、成り行きで契りを結んでしまった事件のことから、先日、麻太郎という三歳の子を伴って、夫と共に筑後柳河へ去った琴江という、七重の友人が、その時の娘であったことまで、洗いざらい、半分は酒の力を借りて喋《しやべ》った。  宗太郎という男は、天性の聞き上手であった。平素、とぼけたことを真顔でいっているくせに、心の深いところに、芯が通っている。  信頼できる友人としては畝源三郎もいるのだが、医者という職業のせいもあって、東吾には宗太郎のほうが話しよかった。しかも、相手の女は、七重の友達でもある。 「神様というのは、何を考えているのかわかりませんね」  というのが、話を聞き終えた宗太郎の第一声であった。 「仮に、あの麻太郎坊やが東吾さんの子だったとしても、今の東吾さんはどうすることも出来ないでしょう。先方も、東吾さんに迂濶《うかつ》なことをしてもらいたくないと願っているに違いありません」  せいぜい身を慎んで、時の経つのをお待ちなさい、と、悟りすました高僧のような顔で宗太郎がいった。 「それから、これは断じて、おるいさんに打ちあけてはいけません。話せば気がらくになるなどと考えるのは卑怯で、男のやることではありません。ただし、神様は気まぐれですから、将来、どういう展開になるか、人智のはかり知れぬところです。その時、どうにも逃げられなくなって白状するまでは、決して喋ってはなりません」  もう一つ、間違っても、自分の子の顔をみたいの、会いたいのと考えぬことだといった。 「今のところ、麻太郎坊やは大村どのの悴であって、東吾さんの子ではない。そこのけじめを守ることですな」  神妙に聞いていた東吾が、つい苦笑した。 「仰せ、まことにごもっともだ」 「それにしても、いい金蔓《かねづる》をみつけましたよ。これから先、小遣いに困ったら、東吾さんをしぼり上げればいいわけだ」 「なにをいうか」  なんとなく肩の重荷が少しばかり軽くなった気持で、昨夜の東吾は麻生家を辞したのだったが、宗太郎はその件を、東吾がるいに打ちあけたと思ったらしい。 「あれだけ、御丁寧な御忠告とお諭《さと》しを頂いたんだ、簡単にそむいちゃあ、仏罰が当るだろう」 「なかなか、よい御量見ですぞ」  笑い合っているところへ、七重が風呂敷包を女中に持たせて戻って来た。 「どうぞ、これをお役に立てて下さいまし」  さし出されて、東吾は溜息をついた。 「全く、うちの内儀《かみ》さんのもの好きにも参ったよ。今朝だって、夜が明けねえ中《うち》から、おぎゃあ、おぎゃあだろう。とてもじゃないが、寝てなんぞいられないんだ」  宗太郎が目を細くした。 「父親とは、そういうものですよ。生まれて暫《しばら》くの赤ん坊は、一刻ごとにお乳を飲むものです。乳の飲み方の下手な赤ん坊を持ってごらんなさい、母親は寝ている暇がないくらいです」 「花世がそうだったのか」 「花世はお利口でしたから、夜は泣きもせず、実によくねむりました。寝る子は育つといいまして、理想的な赤ん坊だったのですよ」 「全く、親馬鹿がよくいうよ」  花世は乳母と遊びに出ている。帰って来ると、また立ちにくくなるからと、東吾は風呂敷包を下げて「かわせみ」へ帰った。  夕方になって、深川長寿庵の長助が来た。  一日、荒川のあたりを聞いて廻ったが、どうも、それらしいのが見当らなかったと、すまなさそうに報告した。 「荒川と申しましても、けっこう広うございますから、明日からは若い連中も伴《つ》れて、本腰をすえて探してえと思います」  ところで、子を捨てて行った母親だが、荒川へ帰ったのだろうかと長助はいう。 「畝の旦那は、万一を考えなすって、番屋や橋番にも手配をなすったようですが……」  それは「かわせみ」でも心を痛めていた。  若い母親が子供をおいて立ち去るというのは容易なことではないので、まあ、考えられるのは、姑と折り合いが悪くてとび出したとか、夫婦喧嘩の果てぐらいのものだろうが、下手に思いつめて、川へとび込んだり、首をくくったりでは、とりかえしがつかない。 「なんとか、身許が知れるとようござんすが……」  お吉が気をきかせた茶碗酒を旨《うま》そうに飲んで、長助は深川へ戻って行った。  その夜も、東吾は女房から、ほったらかしにされた。  文句のいいようもないので、黙って眺めていると、一日が経って、るいの赤ん坊を抱く手つきも多少、馴《な》れて来たようだが、昼間、貰い乳と重湯と半々で過したという赤ん坊は、相変らず腹が空けば泣き、お襁褓がぬれたと泣いている。  女の子でよかった、というのが、東吾の気持であった。これが、男の赤ん坊だったら、つい、麻太郎と重なってしまって、到底、平静ではいられないだろうと思う。  それにしても、一人の赤ん坊のために、るいのいそがしさは、それこそ目が廻るようであった。  嘉助もお吉も、宿屋稼業に追われているので、そうそう、るいの手伝いは出来ない。  るいも、それを承知していて、なにもかも自分で片付けようとする。  ほとんど、一刻おきに貰い乳だ、重湯だと走り廻り、赤ん坊が寝ている間にはお襁褓の洗濯であった。  流石《さすが》に疲れるのだろう、夜になって布団に入ると、すぐねむってしまう。そのくせ、ちょっと赤ん坊がむずかると、ぱっと目をさまして、起き上って行く。  考えてみると、これまで「かわせみ」が子供をあずかったことはあるが、こんな小さな赤ん坊の面倒をみるのは初めてであった。  赤ん坊が「かわせみ」に居すわって三日目に、麻生宗太郎が築地まで来たついでだといい、立ち寄って赤ん坊の様子を診《み》てくれた。 「これは、どうも、あんまり良い育て方をしていなかったようですな」  といわれて、るいは自分のやり方が悪かったのかと青くなったのだが、宗太郎がいったのはそうではなくて、 「生まれてから、母親がいい加減に育てたようですね」  赤ん坊はまだ言葉が喋れないから、泣くことで意思表示をする。 「空腹か、お尻が冷たくて気持が悪いか、どこかが痛いか、とにかく泣いて教えるので、母親たる者は、泣き声で赤ん坊のいいたいことを判断して、その願いをかなえてやると、それがつまり赤ん坊の躾《しつけ》になるのです。ところが世間の母親の中には、泣けばなんであろうと乳房を口に突っ込めばよいと考えているのや、泣いてもほったらかしにしておけば、やがて泣きやむだろうという乱暴なのや、まあ、けっこうひどいのがいましてね。そういう母親に育てられた赤ん坊は、悲惨なものですよ。つまり、自分がなんで泣いているのかわからなくなって、泣きぐせがつく、母親は苛々《いらいら》する、その苛々が赤ん坊に伝染する。いいことは一つもありません」  思わず、るいは吐息をついた。 「赤ちゃんを育てるのは、大変なことですのね」 「親になるのは誰でも大変なものですよ。しかし、いい子にしてやりたいと思う気持があれば、大抵のことはうまく行くものですがね」  なるべく、気持をゆったり持って赤ん坊の世話をして下さいといい、夜泣きがひどかった時には、湯に入れる時には、などと、細かな注意をしてくれた。  宗太郎が診てくれたことで、るいはいくらか度胸がついて、ぴいぴい泣かれても慌てなくなったが、東吾のほうは面白くなかった。  いつもなら、つきっきりで酒の酌から、魚の骨まで取ってくれて、飯だ、茶だと面倒をみてくれたるいが、赤ん坊が泣けば飯の最中でも、ついと行ってしまって、暫くは戻って来ない。  夜は夜で、疲れ切っているのをみれば、流石に声もかけにくく、独身時代、兄の屋敷で膝小僧を抱いて寝ていたのを思い出すような日々であった。  おまけに、「かわせみ」の連中は、そんな東吾の心中も知らぬげに、 「もしかすると、この赤ちゃんのお母さんは、もう、この世の人ではないのかも知れませんよ」  我が子を他人の家におき去りにするくらいだから、よくよくの事情があったに違いなく、自分も死ぬ気で捨て子をしたのではないかと、涙もろいお吉などは、しきりに、 「不愍《ふびん》ですよねえ、この赤ちゃん」  と目を赤くしている。  不愍なのはこっちだ、といいたいのを東吾が我慢しているところへ、長助がいささか疲れた様子で毎日の報告に来た。 「あいすいません。足を棒にして歩き廻っているんですが、どうも……」  遂に東吾はいった。 「明日は俺も荒川まで行ってみよう」      三  朝からよく晴れた空の下を、長助と肩を並べて深川から本所を突っ切って押上村へ出た。  このあたりは一面の菜の花畑である。 「荒川ったって広いんだ。なんてったって川なんだからな」  綾瀬川のふちを中川のほうへ向いながら、東吾が長助にいった。 「かわせみの連中も、もう少し、くわしく聞いておきゃあよかったんだ。ただ、荒川の近くといったって、海に近《ちけ》えほうと、豊島のほうとじゃ、お江戸をぐるっと廻らなけりゃならねえんだ」 「あっしも考えたんでござんすが……」  ぼんのくぼに、ちょいと手をやって、長助が話し出した。 「赤ん坊をしょって大川端へやって来たんですから、まあ、同じ荒川の近くでも、そう遠いほうじゃあねえと思いまして……」  まず、深川っ子が汐干狩に出かける洲崎の先、砂村新田を越えて、荒川の河口のほうから探しはじめた。 「だんだんと川上のほうへ上って行きまして漸《ようや》く亀戸村を越えましたんで……」  ただ、江戸の人間が荒川の近くといった場合に、この押上から千住にかけてを指すことが多いと長助はいった。  それというのも、このあたりは大川が蛇行して、荒川とつかず離れず寄り添っているので、江戸のまん中あたりに住む者には一番近い荒川だからで、 「今日こそ、なんとか手がかりを掴《つか》みてえと思っています」  と長助は張り切っていた。  とはいえ、これは容易ではない探索だと東吾も間もなく気がついた。  長助と東吾のお供をして来たお手先連中は手分けして、百姓家を一軒一軒聞いて歩いている。  この近所に半年ぐらい前に赤ん坊の生まれた家はないかと訊くと大方がさあと首を振るし、たまさか、どこそこの家がと教えられて行ってみると、その赤ん坊を背負った女が顔を出してがっかりする。  それどころか、目つきの鋭い、みかけない男が赤ん坊のことを訊いて歩いているので、人さらいではないかと要心されたりで、長助も若い衆も、さんざんであった。 「どうも、とんだ迷惑をかけたなあ」  平井村の歓喜天《かんぎてん》の近くの茶店で昼飯を食べながら、東吾は長助達をねぎらった。 「かわせみの連中にいってやるよ。手前《てめえ》達のぼんやりのおかげで、どのくらい、長助親分達が苦労してるか」 「冗談じゃありませんや」  長助が慌てて、東吾を制した。 「あっしらは、これが商売なんで……第一、どこの世界に宿屋へ子供をおいて行く馬鹿がありますか。かわせみだって大迷惑してるんですから……」  声が大きかったせいか、茶店の親爺がこっちをみ、長助は首をすくめた。  茶店の前に広がっているのは菜の花畑、その前方に荒川の土手がみえる。  この川の岸辺をどこまで探したら、あの赤ん坊の身許が知れるのかと、東吾は草餅を頬ばりながら、次第に憂鬱になって来た。  るいのことだから、あの赤ん坊の身許が知れないと、この先ずっと、自分が育てるといい出しかねない。  そうなったら、俺はどうなると思った時、茶店へ草餅を買いに来たらしい女の声が耳に入った。 「名主さんとこの嫁さん、まだ実家《さと》から帰らんそうじゃ」 「そら、ちょっと長い里帰りだのう」 「まあ、病人はござるし、赤ん坊は手がかかるし、嫁さんは骨休めがしとうなったんじゃろうが、田の仕事は始まっとるし、名主さんは苦い顔してござるわ」  東吾と長助の目が合った。  すかさず、長助が立ち上って、女のほうへ近づいた。この近くの農家の女房らしい。 「草餅を十ほど土産に包んでもらえんかね」  老練の岡っ引だけに、長助は、はやる気持を押えて、まず、そういった。 「ここは平井村の中かね」  さりげなく、女房に訊く。 「へえ、そうだ」 「名主さんは、たしか……」 「岡村庄右衛門さんじゃ」 「そうそう……そこの嫁さんは今、里帰りかね」 「そうだ」 「たしか、つい最近、赤ちゃんを産みなすったと聞いたが、それじゃ、実家の親に孫の顔をみせに行きなすったんだねえ」 「まあ、そうじゃろ」 「赤ちゃんの名は、おこうちゃんだったねえ」  茶店の老爺が、長助にいった。 「お客さん、庄屋さんの知り合いかね」 「昔、世話になってね、おかげで深川で店を出せるようになったんで、ちょいと礼|旁《かたがた》、挨拶《あいさつ》に行くんだが、ここらあたりは久しぶりに来ると、まるっきり見当がつかなくなっちまって……」  流石に、餅は餅屋だと東吾は感心していた。  庄屋への道筋を教えてもらって、草餅の包を若い衆が持ち、揃って茶店を出る。 「茶店の爺さん、奇妙に思わなかったかね」  庄屋へ礼に行く一行に、長助はともかく、得体の知れない若い衆と侍が加わっている。 「まあ、田舎の人は、あまり気を廻しませんから……」  十中八九、間違いはないと思うものの、庄屋へ行くまで、誰もが不安であった。  行ってみると、なかなかの大百姓のようで、門の近くには馬小屋と牛小屋が向い合って居り、庭には鶏が餌をついばんでいる。  東吾と若い衆は外に残り、長助だけが家の内へ入って行った。  かなり経って出て来た時は、若い男が一緒であった。 「手前は、岡村庄太郎と申します」  まだ二十二、三だろう、がっしりした体つきで、畑仕事のせいかよく日に焼けている。 「娘が御厄介になっているそうですが、なにかの間違いではございませんか」  というところをみると、長助の話が信じられないようであった。 「あんたの娘の名はなんという」 「おこうでございます」 「いつ、生まれた」 「昨年の十月二日で……」 「あんたの女房は……」 「只今、里帰りをして居ります」 「いつ、帰ったんだ」 「今日で五日になりますが……」 「実家は……」 「両親はもう歿《なくな》りまして、兄があとを継いで居りますが……」  神田で蕎麦屋をしているときいて、長助が驚いた。 「なんて、店だね」 「信濃屋で……」  長助が軽く舌打ちし、東吾が訊いた。 「知り合いか」 「たいしてつき合いはございませんが……」  同業である。 「おかよは娘をつれて実家へ参って居りますので、まさか、捨て子なぞ……」  東吾は、かわせみを出る時、念のため、お吉から聞いて来た赤ん坊の着物の柄を話した。  ついでに、子をおいて消えた母親の着物についても、書いて来た心おぼえを出して読み聞かせると、庄太郎の態度が変った。 「心当りがあるなら、大川端まで来てくれ」  東吾の言葉に、庄太郎がいった。 「手前が参りますについては、親達におかよがなにをしでかしたかを話さねばなりません。そうなりますと、ことが大きくなりますので……」  神田の信濃屋へ行ってもらい、もしも、おかよがいたら、娘をつれてすぐに平井村へ帰るように、とりはからってもらえないかという。  随分、虫のいい頼みだとは思ったが、ことを大袈裟《おおげさ》にしたくないというのもわかるので、東吾は承知した。 「なんてえ親ですかね。自分の娘が他人様の厄介になっていると知ったら、なにをさておいても、ぶっとんで行きそうなものですが」  長助は慨歎したが、赤ん坊の身許がわかっただけでも、東吾はやれやれという気持であった。  考えてみると、ここからは大川が近く、舟を頼んで川伝いに両国橋へ出て、若い衆は深川へ帰し、東吾と長助は神田の信濃屋へ行った。      四  信濃屋の主人は、吉次郎といって三十そこそこ、女房と職人一人、女中一人という小人数の蕎麦屋であった。  長助をみて、吉次郎は丁寧に挨拶したが、妹のおかよが帰って来ているかと訊かれて顔色が変った。 「やっぱり、平井村のほうから、なにかいって参ったので……」  と訊く。 「おかよは帰っているんだな」  長助の声がきびしくなって、吉次郎はへえと答えた。 「実は五日ほど前にやって来まして、婚家のほうから、少しばかり骨休みをして来いといわれたと申します。うちの奴が、赤ん坊はどうしたのかと訊きますと、乳母がついているので心配はないといいまして……」  それはいいとしても、二階で一日中、ごろごろしていて、店の手伝いはおろか、上げ膳、据え膳で飯の仕度もしない。 「うちの奴が文句をいいますし、今日も、手前が、いい加減に婚家へ帰れと申しましたところ、ぷいっと回向院《えこういん》へ芝居をみに行くと申しまして……」  板場で、こっちの様子をうかがっていた吉次郎の女房が、お茶を出しがてら、口を出した。 「やっぱりおかよさん、暇を出されたんですか」  と訊く。  長助が返事をためらっていると、 「そうじゃないかと思っていたんですよ。まだ小さい赤ん坊がいるというのに、何日も実家でぶらぶらしていて、お乳が張って痛むからと、お産婆さんの所へ乳もみに出かけたりしているんですから、こりゃあ、ただごとではないと、うちの人に何度もいったんですけど……」  きんきん声で訴えた。 「いや、別に平井村のほうじゃ、おかよさんに暇を出した様子はないが、ただ、赤ん坊を連れて里帰りをしたまま、いつまでも帰って来ないと……」  吉次郎と女房が顔を見合せた。 「赤ん坊なんぞ、つれて来て居りませんが」  温厚な長助が遂にどなった。 「捨てたんだよ」 「なんでございますって……」 「おかよは、ここに来る前に、大川端のかわせみという旅籠《はたご》に御厄介になって、そこへ赤ん坊をおきっぱなしにしたんだ」 「そんな……」  絶句した夫婦に東吾がいった。 「とにかく、誰かにおかよを呼びに行かせてくれ」  商売どころではなくなって、吉次郎が自分で妹を迎えに走った。  待つほどもなく、吉次郎が若い女をひきずるようにして帰って来た。  まだ十六、七だろう、母親というよりも、子守っ子といった感じがする。 「お前、なんてことをしたんだ、人様の家に子供をおき去りにするなんて……」  吉次郎がどなりつけ、おかよが泣き出した。 「お上に御厄介をかけるのも、ほどほどにしろ。とにかく、大川端へ来て赤ん坊をひき取ってくれ」  なんだか拍子抜けのした感じで東吾はいい、あとを長助にまかせて、信濃屋を出た。  大川端へ帰って来て、居間にお吉や嘉助を集め、今日の顛末《てんまつ》を話し終えたところに、長助が吉次郎とおかよを伴ってやって来た。 「さあ、こちら様にお詫びを申し上げろ」  とうながされて、手を突いたおかよはあの雨の日に「かわせみ」へ入って来た時よりも子供子供していた。  寝かされている赤ん坊をみても、どことなく、けろりとしている。 「お前さん、なんだって、ここの家へ子供をおいて行ったんだ」  嘉助が訊くと、 「だって、つくづく、いやになっちまったものだから……」  首をすくめている。 「いやになったって、赤ちゃんを育てるのがですか」  と、お吉。 「年中、泣くし、お乳をやらなけりゃならないし、ねむくて……」  おまけに婚家には半身不随の姑がいて、 「動けないくせに、口やかましくて……」  と、口をとがらせる。 「なにを馬鹿な、嫁入りしたら、そんなことは当り前だろうが……」  吉次郎が妹を叱りつけ、「かわせみ」のみんなに何度も頭を下げた。 「これから手前が平井村へつれて参ります。二度とこんなことはさせませんので……」  嘉助が苦い顔でいった。 「二度と来たって、うちには入れねえよ。水をぶっかけてやる」  まあまあと東吾が制したが、嘉助の怒りはおさまらないようであった。  赤ん坊は吉次郎が抱き、長助にうながされて早々に兄妹は「かわせみ」を出て行った。 「なんだか、馬鹿にされたみたいですね」  といったのはお吉で、 「こっちは、あの人が川へとび込んだんじゃないか、てっきり死んじまったものだと、毎日、仏壇にお線香あげてやってたのに、兄さんの家でのらくらしてたなんて……」  忌々《いまいま》しいと舌打ちする。 「この節の若い母親は、あんなものでございましょうか」  嘉助も憮然として、 「神田といえば、それほど遠くもなし、赤ん坊がどうしているか、みに来るとか、母親なら、それ相応の心配をしそうなものですが」  なんともはやといいながら帳場へ戻って行く。  るいは、とうとう口をきかなかった。  なにもいう気になれず、なにをいってよいのかわからない。  気が抜けたようなるいを、東吾は黙って眺めていた。  こんな時、下手なことをいっても仕方がないと承知している。  間のびがしてしまったような、その夜の「かわせみ」であった。  赤ん坊の泣き声は、もう、どこからも聞えて来ない。  翌日も晴れた。  講武所から、いつもより早めに帰って来ると、東吾はるいを誘った。  どこへ行くともいわず、永代橋の近くの船宿から舟を出させた。 「なんなんです」  どちらへ参りますの、と、るいは二度ほど訊いたが、東吾が笑って返事をしないので、すねたように川岸を眺めている。  大川の上は春風であった。  陽は西に傾いているが、空は充分に明るい。  綾瀬川へ入ってから、東吾は船頭に声をかけて岸へ着けさせた。  暫く待っていてくれと、心づけをはずんでやってから、るいをつれて土手の道を下りて行く。  白髭《しらひげ》大明神の境内のふちを行くと、見渡す限りの菜の花畑であった。  花の中を、東吾はるいの手をひいて万福寺へ出た。  荒川の流れが目の前にある。  川のむこうは、まっ黄色の花で埋まっていた。どこまでも、菜の花だけが長く広く続いている。 「きれいだろう」  息を呑んでみつめているるいに、東吾がいささか得意そうにいった。 「昨日、長助と、この先を通ったんだ。あんまり見事なんで、るいに見せてやりたくなったのさ」  江戸もここまで来ると閑静だろう、という東吾を、るいは涙の滲《にじ》んだ目で仰いだ。 「あなた」 「気に入ったか」 「ありがとう存じます」  ふっと目のすみを指で押えたるいに、東吾は苦笑した。 「よせやい、菜の花ぐらいで礼をいうなよ」  寄り添って、菜の花畑の続く対岸をみつめながら、るいはその先に、おそらく、おかよの嫁ぎ先があるのだろうと気がついていた。  その家に、今、赤ん坊はいるに違いない。  母親の乳を吸い、腕に抱かれて、この春の陽を浴びているかも知れない。  不思議に、気持は動揺しなかった。  どんな親であれ、親の手に戻った赤ん坊はそれなりに幸せだと思う。 「おい、なにを考えている」  東吾に顔をのぞかれて、るいは明るく微笑《ほほえ》んだ。 「あんまり、花の香がするので、少し、酔ったみたい」  荒川に背をむけて、菜の花畑を歩いて行く二人を、淡い夕月が眺めていた。  本書は一九九六年十一月に刊行された文春文庫「秘曲 御宿かわせみ18」の新装版を底本としています。 〈底 本〉文春文庫 平成十八年一月十日刊